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同化政策は人間の本能なのか

国家権力の強化に伴う、少数民族への同化政策は、結局どこの国にも存在する。

日本ではアイヌ、琉球民族。
韓国併合もそうだ。
スカンディナビア半島全域を一時期支配下においていた、強国スウェーデンでも。

国だけではない。
人類共通の慣習であるのかもしれない、悲しいかな。

人はなぜ、同等のものを強要するのか。
人はなぜ、少数のものを迫害するのか。

一般的には、”他者を蹴落とし、自分が優位に立つため”であるとされている。
本能に近いことらしい。

ではいつ、その本能が備わったのか。
いつから、その慣習が本能として標準装備されるようになってしまったのか。

人間以外の動物は、同等の慣習が”本能として”備わっているのだろうか。
正直、いささか疑問だ。

“国家”という究極のコミュニティ運営においては、そうした方がいろいろと円滑にに事が運ぶ、という理由は容易に想像がつく。
マジョリティの勝利、というやつだ。

ラガード、
マジョリティと永遠に交わることのない”マイノリティ”を消し去るために、少しでも0%に近づけるために、
究極の同化政策を図ろうとする。

チームマネジメントとしては、優れた策であろう。
しかし、だ。

もしそのマジョリティに亀裂がある事が発覚したら?

今までマジョリティに属していた民は、一気にマイノリティ側に転じるのだろうか。
いつまで、こんな無意味なことを繰り返すのだろう。

モノポリーは、単一耕作は危険だと、いつになったら気づくのだろう。

映画による「サーミ」の国際的広まりを経て、
サーミというガイドが近年「観光業」になったと聞く。

人間の強さと取るべきなのか。

悲しいと感じてしまうのは、私だけなのだろうか。

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