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常識とは自分の内側の世界

「こんなの常識だ!」
「こんな常識も知らないのか!」
「常識がないぞ!」

とまあ、
生きていると色んな場面で
怒られることがあるわけですが。


人はそれぞれ、

自分の「常識」や
自分の「正しさ」や
自分の「正解」や

そういう沢山のルールをもっている。

そして、
そのルールにおさまる人は「マル」で
はみだす人は「バツ」になる。

自分の「常識」も
自分の「正しさ」も
自分の「正解」も

環境や
状況や
文化が変われば
簡単にひっくり返るし
絶対的なものではない。

今までの常識が
あるときから非常識に変わったり。


今までの正しさが
あるときから正しくないに変わったり。


今までの正解が
あるときから不正解に変わったり。

そういうことは幾らでもある。

そもそも「常識」とは、
自分の内側にある世界のこと。

内側は常識だけど、
そこにないもの、
つまり「外側」にあるものは「非常識」になる。


でも、
自分にとっての常識は
誰かにとっての非常識であり。


自分にとっての非常識は
誰かにとっての常識になる。


絶対的な「常識」も「非常識」も
本当はどこにも存在しない。


あるのはただ、
それが今の自分の内側なのか
外側にあるのか、それだけだ。


だから、
もし今の状況が本当は不満で
そこから抜け出したいと思ったら


自分の外側にあるもの、
つまり非常識のものを受け入れるに限る。

これまで避けてきたことや
タブーとしてきたことや
絶対NGとしてきた外側の世界。

これらに
一回許可を出してみる。

思いきってチャレンジしてみる。

外側にあるものを受け入れるのは
怖いし、抵抗はあるし、そう簡単にはできない。


だってこれまで自分が、
「ダメだ」と自分に言い聞かしてきたわけだから

自分で自分のルールをやぶるなんて
これまでの自分が許すはずがない。


相当な葛藤を伴うし、
自分のルールが強固であればあるほど、
それは容易ではない。

ただ、
自分で自分のルールをつくってきて
それを自分で守ってきたわけだから、

そのルールを破れるのは、
やはり自分しかいない。

「ルールを破る」

ということがどうしてもできない場合は、
「破る」のではなく「更新する」と思えばいい。


スポーツでもゲームでも、
最初に設定されたものから
必要に応じて変更(更新)されることは
よくあることであり、

それは、
よりよいものにしていくために
必要なことなのだ。

生まれてから死ぬまで、
人は色んな
常識や
正しさや
正解といった

自分のルールを抱えて生きていく。


生まれてから死ぬまで、
ずっと同じルールを持っているのもよし。


これまではそうだったけど、
これから先は、
よりよいルールに変えて生きるのもよし。


一回変えたからといって、
やっぱり嫌だったら元に戻すのもよし。

他の誰かにとやかく言われる筋合いはないし
介入させてはいけない。


最終決定権は、
いつも自分の手が握っているのだ。





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