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【短編】 優しい幽霊

 彼女はいつも、ぼんやりしている。
 大抵は、近所の海辺をうろうろしているだけで、まるで幽霊みたいだから誰も近寄らない。
「○○には絶対に近寄ったり、話し掛けたりしてはいけないよ! あの女は、油断した子どもを捕まえて食べるからね!」
 近所の子どもたちは、皆、親からそう教えられる。
 だから、彼女の姿を見ると怖ろしくなって、遊ぶ気も失せてしまい、家に帰って仕方なく学校の宿題をしたりする。
 
「○○は子どものとき変な男に襲われてね、その、女の春を奪われたんだってさ」
 親たちの会話をこっそり聞いても、子どもの私には意味がよく分からなかった。
「あの女の人生は気の毒だけどさ、頭が変になった女に近所をうろうろされたら、こっちが迷惑するよ。町内会長さんも警察に掛け合ってるみたいだけど、人権があるとかでさ……」
「そういえば○○って子どものときね、お姫様みたいに可愛くて、芸能界に誘われたって話を聞いたことがあるな。今じゃただの幽霊みたいで、見る影もないけど……」
 
 私はただの小学生でしかなく、○○を見かけたらすぐに逃げるようにしていた。
 でもあるとき、海辺で小さな蟹を捕まえたりして遊んでいたら、突然、後ろに○○が立っていることに気づいた。
 私は腰を抜かし、一瞬で、女に食べられるのを覚悟した。
「驚かせるつもりはなかったの。でも潮が満ちてきて、君がこの岩場に取り残されていたから助けにきたの」
 周りをみると、確かに潮が満ちたせいで自分のいる岩場が島みたいに孤立している。
「この岩場で夢中になっている人を見かけたのは、君で三人目かな。他の二人は大人だったから放っておいたわ。日が暮れないうちに帰りましょ」
 ○○は子どもの私を抱きしめ、びしょ濡れになりながら、私を陸まで運んでくれた。
「な、な、なぜ、ぼくを食べないのですか?」
 私は、彼女にお礼をいうべきだった。
「わたしは君を助けたかっただけ。迷惑だった?」
「あ、あなたは頭が変で、ただの迷惑な人なのになぜ生きているのですか?」
「わたしは、噂とは違って誰にも犯されてないよ。ただ、この世の中が嫌になったから、毎日海辺を歩いていただけ」
「あなたは、幽霊じゃないんですか?」
「まあ、幽霊でも何でもいいよ。それより早くおうちに帰りなさい」
 
 彼女は、私が中学生になる頃には姿を消していた。
 噂では、大富豪と結婚したとか、小説家になったとか、月へ行ったとか、いい加減な話ばかりだ。

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