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自分の中の「嫉妬」という感情について考えてみた

先日、いつも楽しみにしている「スイスイ サクサク よむラジオ」を拝読して、とても興味深かったので、備忘録のためにここに記しておくことにする。

テーマは「嫉妬」。
スイスイさんとサクちゃんという全く異なるタイプのお二人だからこそ、「嫉妬」に対する明確な考え方の違いが浮き彫りとなっていて非常に面白かったのだ。

私なりの「気づき」がいくつかあったので、それを今日は書いておこうかな。

自分の中の「嫉妬」という感情について考えてみた

このnoteを読んで思ったことは、私はサクちゃん寄りの人間だということ。
そして、スイスイさんのような「蹴落としてやりたい!」とか「奪ってやりたい!」というアグレッシブな感情(+実際に相手が不幸になるように仕向ける行動をとること含む)を持ったことがない。

じゃあ、「私は人に嫉妬なんかしません」という聖女や仏や仙人の域に達しているのかというと全くそういうことではなく、過去を振り返ってみたら、中学生〜大学生、つまり10代後半から20代前半くらいまでの多感な時期には「嫉妬」に近い感情が日々心の中を渦巻いていたような気がする。

ただ、ここで定義されているように
「嫉妬」=「自分だったかもしれないこと」に対して起こる
とすると、そもそもその段階で自分の感情は「嫉妬」ではなく、どちらかというと「嫉み(ねたみ)」に近い感情だったんだろうな、と気づいた。

若い頃、相手に対して「ズルイ」とか「なんだか腹立たしい、気に食わない」という気持ちを持つことがあって、でも同時にちゃんとその人が自分より実力がある、とても敵わない相手である、という事実もうっすら認識していた。
自分がそのポジションにいたはずなのに!とか、今からでもとって代われるはず!という考えは端からないのだ。

相手が優秀であることはわかっていて、自分は敵わないこともわかっていて、でも悔しくて、気に入らない!!
とにかく何か文句言ってやらないと気が済まない!
相手が嫌がることを言ってやりたい!(蹴落とすとはちょっと違う)
なんなら(自分が手を下さないで)不幸になればいい。
(でも実際相手にこういったことを言ったことはほとんどない。面と向かって言う度胸もなかった。)

完全なる「負け犬の遠吠え」状態で、今考えるとその幼稚さに恥ずかしくなる。
でもいういう「嫉みのメカニズム」を発動させている女性は多いのではないかと思うのだ。誰しも一度は通った道というか。

サク:わたしは好きな人が成功したらうれしいから、喜んでくれないってことは嫌いなのかな、って思う。でもマウントに対しては、気づいたら秒で譲るわ。同じ土俵に絶対乗らない。どうぞどうぞ、あなたの勝ち〜って逃げる。

自分の実力不足を棚に上げて相手の足を引っ張りたい。とにかく気に食わない。

これ、おそらく根底に「相手が嫌い」という感情がひっそりと横たわっていて、本人が自覚しているか、無自覚かはわからないけど、そういうのが何かのきっかけで爆発しちゃっていることが往往にしてあるような気がするの。

私もサクちゃん同様、好きな人が成功したら嬉しいと思うタイプだから、当時、上手くいっている相手を快く思えなかったのは「その人が嫌い」だったんだと思う。


嫉妬は自分に可能性を感じている人しか持てないもの

スイ嫉妬って実は自分に可能性を感じてる人しか持てないやつなのか。
サク:うん、そうだと思う。嫉妬するってことは諦めてないってことだもんね。

これ。
今回のnoteで一番心に刺さった定義。
自分はあんまり人に対して嫉妬をメラメラ燃やすタイプじゃないのはなんでなのか不思議だったんだけど、そうか、「自分に可能性を感じていないのか!」ということで腹落ちした。

確かに「嫉妬」って、
自分には実力がある、相手には絶対負けない自信があると思っている人、
もしくは、
今は実力がなくても将来的にはそう出来ると自分を信じている人、
しか持てない感情なんだと。

私はどちらにも当てはまっていなくて、これはサクちゃんの言うところの「自己肯定感が低い」ことが起因していると考えていて、誰かに嫉妬する前に諦めてしまう。速攻、相手の実力(可能性)と自分の実力(可能性)を天秤にかけて、自分の負けを認識してガックリしてしまう。

だからやっぱり「嫉妬」て誰にでも等しく抱ける感情でなくて、自分に自信を持っている人だけに許された感情なんだという気づきをいただけて、目から鱗だったのだ。


同じ土俵に乗らないようにする、乗せないようにする

スイスイさんとサクちゃんの「嫉妬」とうまく付き合う方法、お互いを変にライバル視しないようにする方法、としての一つの結論として出されたのは、「同じ土俵に乗らないようにする、乗せないようにする」ということ。

スイ:それで方向性の違いに気づけたってことか。それ大事かもね。お互いの、目指す方向を知っておくと、下手にライバルにならなくてすむよね。

サク:うん、土俵がちがうのに乗ってこようとしたり、自分の土俵に引きずりあげようとしたりすることでしょ、嫉妬って

スイスイが蹴落としてきたのも、自分の土俵にその人をあげて、蹴落としてたんでしょ 笑。

スイ:そうだね。

サクだからどんな人でも、土俵は別です、ひとり一個ですってしたほうがいいよね。

スイ:突き詰めたら多分どんな人でも土俵ちがうよね。

サク:そうそう。同じものを取り合ってるように見えて嫉妬しちゃうなら、もっと解像度上げて見たらちがうってわかるよね。

スイ:国民全方向性発表したらいいのにね。

土俵はひとり一個です」って素晴らしいなあ。
とても潔いし、清々しいし、平等だし。

今まで一つの土俵を奪い合っていた感覚(私はその土俵から早々にこぼれ落ちるのだけど)から解き放たれて、自分の土俵を自分色に大事に染めていくこと、育てていくことを許されたというか、それでいいのだという安心感を得たというか。

物理的に近くにいたり、同じ分野や業界にいたりすると、なんだか同じ島に閉じ込められて、そこで競い合わないといけない気分だったけど、解像度をあげれば、それぞれに個性も違うし、方法も違うし、目指す方向も大事にしていることも違う。
それぞれにそれぞれのやり方で頑張っていけばいいだけなんだね。

とてもいい気づきを与えてくれたお二人に感謝の気持ちでいっぱいです。
素晴らしいライフハックを提示していただき、ありがとうございます!

***

以前私が書いた「嫉妬」をテーマにしたnote。
結構たくさんの方が読んでくださったので、まだの方はぜひ。

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