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『王妃マリー・アントワネット』-王妃救出作戦とフランス革命期のパリ巡り-

みなさん、こんにちは!

今回の記事で、遠藤周作氏の『王妃マリー・アントワネット』のご紹介は、完結したいと思います。

『王妃マリー・アントワネット』の過去記事はこちら↓

前回は、バスティーユ牢獄に民衆が向かう場面で終わったので、今回はその続きから書きます。

(ネタバレになる箇所もあるので、これから本を読む方はご注意ください)

因みに、ベルばらでは、7月14日のバスティーユ牢獄襲撃の場面は、ベルばらで一番の山場(クライマックス)であり、私が大大大好きなオスカルが戦死してしまう辛い場面でもありますT-T

『王妃マリー・アントワネット』では、7月14日、民衆がバスティーユに向かう場面が描かれていて、サン・タントワーヌ通りからバスティーユ牢獄へ向かっていたことを知りました。

この時、民衆に近衛兵も加わり、このサン・タントワーヌ通りをオスカルも通ったんだなと、感慨深くなりました。

本に書かれている通り、サン・タントワーヌ通りの一部は、現在リボリ通りになっています。

バスティーユ牢獄襲撃後、国王一家はベルサイユ宮殿からテュイルリー宮殿に移され、マリー・アントワネットは海外へ逃亡したい気持ちが募ります。

ルイ16世は、逃亡したいマリー・アントワネットに対して、「民衆の気持ちが落ちついてきて、せっかく傷口がふさがりかけているのに・・・」と、最初、彼女の逃亡計画には反対でしたが、もしこのまま逃亡が実行されなければ、ルイ16世やマリー・アントワネットの運命も違ったものになっていたかもしれません。

少なくとも、彼らは処刑されなかったかもしれない。

バスティーユ襲撃から1年後に、シャン・ド・マルス広場(現在のシャン・ド・マルス公園あたり。エッフェル塔の隣にある)で、革命記念日の1回目の祭典が開かれ、ルイ16世とマリー・アントワネットが出席します。

現在、このあたりは観光客で賑わっていますが、マリー・アントワネットも訪れたこの場所を、私ももう一度、散策してみたい気持ちになりました。

この後、逃亡計画は現実味を帯びてくるのですが、なんでも人任せで育ったマリー・アントワネットは、フェルゼンに頼りきりで、「なんとか解決していただかないと・・・」と言って、フェルゼンを困らせていて(もちろん、マリー・アントワネットにはフェルゼンを困らせているつもりはないが・・・)、フェルゼンも大変だ💦と思いました。

逃亡の日、テュイルリー宮殿を1人で抜け出したマリー・アントワネットがカルーゼル広場を横切り、ロワイヤル橋まで歩くシーンがあるのですが、ベルばらにも描かれている通り、フェルゼンの待つ”エシェル通り”に、彼女は向かったので、ロワイヤル橋ではなく、逆方向のパレロワイヤル方面に向かったのではないかと思います。

エシェル通り(フェルゼンとマリー・アントワネットの待ち合わせ場所)は、ベルばら聖地巡礼のYoutubeでお話していますので、宜しければYoutubeをご覧ください。
(記事の一番下にリンクを貼っておきます)

この後、国王一家の逃亡は失敗に終わるのですが、この歴史的な事件についても過去記事でいろいろ書いているので、宜しければご一読ください。

国王一家が、逃亡に失敗したことは、ロベスピエールらにとってプラスになり、国王一家にとっては致命的な事件となります。

革命への第1段階が、首飾り事件だとすれば、このヴァレンヌ逃亡事件は、その次の段階で、国王一家の立場は階段を上るようにどんどん悪化していきます。

逃亡事件後、マリー・アントワネットを助けようとテュイルリー宮殿に忍び込んだフェルゼンに、マリー・アントワネットが「バルナーヴを味方につけた」とフェルゼンに得意そうに語り、フェルゼンが落ち着いて聞いている場面があるのですが、史実では、これはありえなかったのではないかと思っています。

なぜなら、Youtubeでも何度かご紹介した『マリー・アントワネットの暗号』によると、マリー・アントワネットがバルナーヴと親密になっていることにフェルゼンが怒っていた(嫉妬していた)らしい・・・からです。

史実でも、マリー・アントワネットとフェルゼンは、この時の出会いが最後になり、この後、国王一家はより監視の厳しいタンプル塔に幽閉されます。

マリー・アントワネットにとって、最後の頼りは、祖国の兄(レオポルド2世)だったわけですが、レオポルド2世って、ストックホルムで観劇の最中に狙撃されて亡くなっているんですね・・・。

『王妃マリー・アントワネット』を読んで初めてこの事実を知って驚き、ネットでいろいろ調べてみたのですが、レオポルド2世の最期について書かれているものを見つけることは出来ませんでした。

『王妃マリー・アントワネット』の最後の山場は、なんと!!、マリー・アントワネットが処刑場に向かう途中の道で、別の女性とすり替えて救出するという作戦が実行されること!です。

この作戦は実行され、(王妃と似ている)マルグリットに薬をかがせて意識を失わせ、彼女とマリー・アントワネットをすり替えようとしたのですが、マリー・アントワネットは、「自分の身代わりで誰かが死ぬのは望んでいない」と言い、最終的にマルグリットは助かります。

この「身代わり作戦」なんですが、処刑場に向かう途中、マリー・アントワネットは、サン・トノレ通りを通る(厳密には荷馬車で運ばれる)のですが、この通りにサン・ロッシュ教会があり、マリー・アントワネットがこの教会の前を通る時にすり替えようという作戦でした。
(処刑場までの道のりもYouTubeで話していますので、宜しければご覧ください)

サン・ロッシュ教会(Église Saint-Roch)

本当かどうか分かりませんが、このサン・ロッシュ教会とノートルダム大聖堂が地下で繋がっているという設定で、そのため、すり替え場所として、このサン・ロッシュ教会が選ばれたようです。

私、偶然、このサン・ロッシュ教会の名前に触れたのが、今年に入って2回目で・・・この教会に個人的に興味を持ち始めています。

Saint-Roch, Paris - Wikipedia

因みに、このサン・ロッシュ教会は、『エロイカ』でも、ナポレオンが大砲をぶっ放した場所として描かれていて、史実でも実際に銃撃戦(ナポレオンVS王党派)が行われたようです。

駆け足で、3回の記事に渡って、『王妃マリー・アントワネット』をご紹介しましたが、いかがでしたか。

遠藤周作氏は、この作品を書く前に、恐らくパリを訪れたのだろうなとわかるほど、パリの街や歴史が詳細に描かれた物語でした。

フランス革命期の史実とフィクションが融合した素晴らしい作品は、『ベルサイユのばら』しか知らなかったので、今回、この本を手に取ることが出来て、本当に良かったです。

フランスで、聖地巡礼したい場所が、日に日に増えています💦が、またフランスに行くことが出来れば、是非『王妃マリー・アントワネット』の舞台も訪ねてみたいと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

https://youtu.be/LGgzMwzbXoM


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