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ネガティブな感情の時に読む物語 No.1

私が学生の時から看護師になるまでのお話です。

私はネガティブな感情に押しつぶされそうな人間でした。しかしある気づきからポジティな行動が起こせるようになった物語です。


私は幼い頃から姉や兄のような存在が多く、自分より年下の子が周りにいない状況で育ちました。そのため、特に苦労もなく可愛がられて過ごしました。しかし、周りの目を気にして自分がよく思われる方法を模索する子どもであったように思います。よく言えば空気を読む子どもですが、周りに合わせる癖がつき、嫌われることを極端に怖がる子どもでした。


中学生までは、そんな人当たりのいい人で過ごせました。しかし中学の後期では、周りは好きなアイドルや歌手がいたり、他人とは特別に違う雰囲気を醸し出す子が増えたり、個人の個性が見える年代になり、自分への違和感を覚えるようになりました。

自分らしさって何?

自分の人当たりの良さも、思いを抑える自分も嫌い。いっそのことグレてしまおう。違う自分になってみたい。そうして私の高校生時代は、ギャルという形で過ぎていきました。ギャルといっても夜遅くに出歩いたり田舎のヤンキーのような存在で、今思えば全く意味のない時間であったように思います(少しは意味があったのかもしれませんが)。今となっては、本当に自分のやりたいことを考え、コツコツ勉強した方がなんぼか賢かったと反省します。でも、この後悔がのちの私を作ります。

高校卒業後は、外国語大学の短期大学部に進みました。英語は幼い頃から好きだったので、本当に何となくです。私の父親が教師をしていたため、教師の辛さを聞いていた私は英語教師はありえないと(今思えば浅はかな考え)思っており、キャビンアテンダントなんかいいな、ホテルマンもいいな、などとのらりくらりとした考えで過ごしていました。見た目はギャル上がりでそれなりでしたが、内向的で友達もたくさん作れず、ストレスの多い学校生活でした。

大学の図書館で出会った一つの本。

その時の私は、本当に自分を分かっておらず、内向的であるにも関わらず、無理に外交的に振る舞ったり空回ることが多かったです。『私は誰?』と思うことが多くなり、現実と夢の境にいるような不思議な感覚の中で過ごしました。やや現実逃避しており精神状態が不安定だったのかもしれません。今思うと、自分らしさを失って途方に暮れ、出口の見えない迷路にいる感覚だったように思います。

疲れてしまい、よく図書館に行ってぼーっと過ごしたり、勉強をするようになりました。とりあえず、自分の興味がある本を読んでみようと思いました。自分なりの自分探しの旅の始まりです。

日本とアメリカの死生観の違い

なぜか私は各国の文化に興味を持ち、特に死生観が書かれた本に興味を持ちました。

その中で印象的だったのが、『日本人は生の先に死があると考え、アメリカ人は生と死は隣合わせと考える』という違いでした。それはつまり、私の解釈ですが、日本人は生を善とすれば死は悪や存在をあまり認識しなくていいものと捉え、より安全に長く生きることが大切と保守的な傾向にある。その反面アメリカ人は、いつか死ぬのだから自分らしく人生を全うしようという考えに結びつくものでした。確かに『自由の国アメリカ』と言われるほど、アメリカ人は個人主義で自分の価値観を大切にしているように感じ、妙に納得したのを覚えています。ここから私は人の生き方に注目するようになりました。

祖母の存在。

私は幼い時のことを少し記載しましたが、祖母は私にとって嫌な存在であり大好きな存在でした。祖母は少し不器用でやや捻くれたネガティブな性格の持ち主でした。しかし、私のことをとても可愛がってくださり、いつも一緒にいました。しかし、祖母の独特の匂いや土を触った手などが不潔に感じることがあり、嫌悪感をいだくこともありました。今思えばたくさんの愛情を受けた経験ばかりでそんな思いを抱くことは最低なことだったととても反省しています。

そんな祖母が私が短大を卒業する年度から認知症が悪化し、卒業後に息を引き取りました。まだ祖母が生きているとき、そのような状況を知っていましたし、両親から帰ってくるように言われていたため、県外(都会)にいた私はやることもなくUターン(田舎)しました。

その時は定職についておらず、バイトをしながら祖母の様子を傍から眺める程度でした。母は介護の経験もあり、祖母を熱心に世話していました。しかし祖母の認知症は進み、私のことすら分からなくなることがありました。そのため、祖母をお世話してくださる訪問看護師さんに来ていただくことになりました。祖母は「お父さん、お母さん」と誰もいないのに呼んで、私一人の時はそれが苦痛で仕方ありませんでした。

しかしそんなある日、私がバイトから夜遅く帰り2階の自室へ向かうとき、祖母の部屋からまた「お父さん、お母さん」と声が聞こえてきました。私はたまにそんな祖母の手を握ることもありましたが、その日は特に疲れており、無視をして2階へ上がりました。私の足が2階に着いた時、祖母は私の名前を呼びました。私はハッとしましたが、明日話をすればいいじゃないかとそのまま就寝しました。

その次の日もバイトがあり、私は祖母の部屋を覗かずバイト先へ向かいました。

その日、バイト先に実家から電話があり、「おばあちゃんが亡くなったので、帰ってきて欲しい。」と連絡がありました。


つづく


見てくださり、ありがとうございます♡これからもあなたが楽しく、健康的な人生を送れるよう、お手伝いができたらと思います! これからも面白い物語の提供や企画をする予定です!サポート貰えたら嬉しいです^_^