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ある本を読んで

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「パンドラの匣」太宰治著を読んで

登場人物の渾名がよい。
雲雀、マア坊、竹さん、つくし、越後獅子、固パン、かっぽれ。

お決まりのやり取りが楽しい。
「ひばり。」
「なんだい。」
「やっとるか。」
「やっとるぞ。」
「がんばれよ。」
「ようし来た。」

それは結核療養所という過酷な空間を、
なんだか不思議に明るく彩る。

私がなによりこの小説で重要あると感じたのは、文章がすべて「手紙」であるというところだ。

手紙とはすなわち「書

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読むということ

「辰さん」の妙にはしゃいだ声は、じっとり湿気を含んだ足下のコンクリートに吸い込まれていった。

柴崎友香さん「春の庭」より

この一節を読んで、ああ、こういう文章に出会いたくて、私は本を読んでいるのだなあと思った。

映像ではなく、文字でしかできない表現。

私が活字が好きなのは、「言葉にして文字で表現する」ということ、そしてそれを「読める」ということに、とても人間らしさを感じるからなのかもし

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「それを愛とまちがえるから」井上荒野著 を読んで。

いつでもそうなのだ。今度こそ何かがはっきりすると期待して、結果的には混迷がいっそう深まることになってしまう。

なんだか言えなかったり、言い間違えたり、言ったら本当になってしまったり。

みんながそうかはわからないけれど、少なくとも井上さんもきっとそんな風に日々を感じていて、私がモヤモヤ眉間辺りに溜め込んでいることを、じょうずに言葉にしてくれて、それにすごく救われている。

(ただ、文庫に関しては

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「春、バーニーズで」吉田修一著 を読んで。

「最後の息子」の未来の話と聞いて、さっそく読んでみた。
正直、読まなければよかったと思った。
未来の「僕」は、どうしようもなく悲しかった。

ままならない日々を、きっとみんな矛盾を抱えながら、何となくバランスをとって生きていて、一見グラグラでも崩れずいける人もいれば、しっかりと立っていたのにある日突然それが砂になってサラサラと流れてしまう人もいる。

作中に村上春樹の「羊をめぐる冒険」出てくる。私

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狡い男 山田涼介演(仮) / 「最後の息子」吉田修一著 を読んで

「閻魔ちゃん」という渾名がすごくいい。ぼくの恋人、閻魔ちゃん。

「ぼく」は閻魔ちゃんに、ようは飼われている。ぼくは閻魔ちゃんの愛人でいるべく、努力をしている。ウェットに飛んだ知識の収集、それをひけらかさない忍耐、そしてダメンズウォーカーの欲を満たすためのあえての暴力。

愛されている関係というのはらくだ。
求められている事に、上手に応えていればよいのだから。

相手が求めている自分を演じる。

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顔のない彼ら/「女の子のことばかり考えていたら、一年が経っていた。」東山彰良著 を読んで

子どもの落書きのような絶妙な絵を描く人が往々に素晴らしいデッサン力を持っているように、阿保な物語を書ける人は往々にもの凄く頭がよいものである。

「女の子のことばかり考えていたら、一年が経っていた。」
圧巻である。タイトルがもうすでに阿呆この上ない。

主人公は有象くんと無象くん二人の大学生。彼らを取り巻く登場人物は、イケメンくん本命ちゃん八年さん温厚教授ビッチちゃんと続き、極め付けは抜け目なっち

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「愛に乱暴」吉田修一著 を読んで

狂って見えるのか、狂って見せているのか、本当に狂っているのか、

決めるのは誰なのだろう。

狂っていると、果たしてその時自分で分かるのだろうか。
#コラム #本 #吉田修一

「静子の日常」井上新野著 を読んで

人生にも映画のように音楽が流れればいいのにと思う事がある。そうしたら救われるのに。

井上さんの作品はそういう意味で、音楽のない文章だ。頑張っても報われないし、期待通りにはならないし。困っていても誰も助けてなんてくれない。すれ違った気持ちは伝わらないまま。怒っても喧嘩になることもなく、なんとなく過ぎていく。悲しみや憎しみはドラマチックなものなんかじゃなくて、もっと日常的なものなのだ。

井上さんは

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いけ好かない女 中山美穂演(仮)/「優しい訴え」小川洋子著 を読んで

「博士の愛した数式」を、長い間読めずにいた。10年くらい。すごく悲しいお話な気がして手が出せなかった。老人と動物の話に弱いのだ。

ところがある時、実家の本棚でこの本の文庫を見つけ、なぜだかふと読み始めてみた。

たちまち引き込まれた。朗らかで可愛らしくてロマンチックで、温度があるみたいな文章だった。読み終わる頃には愛おしくて、宝物のように、そっとずっと大切にしたい一冊となった。

続けて読んだ「

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ゲスい男 要潤演(仮) / 「鳩の襲撃法」佐藤正午著 を読んで

佐藤正午さんという人は、プラモデルを組み立てるような文章を書く人だ。全体の設計図をしっかり描いてから、細かい部品を一つ一つ丁寧に作り、それらを組み立てて全体を完成させる。

面白い。構成も凝っているし、台詞も描写も隙がない。

そして何よりこの人は捻くれている。捻くれ者の私は捻くれ者が大好きだ。

主人公は津田さんである。「愛とスープは冷めるものだ」の。「困った時頼りになるのはやっぱり女だ」の。

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少し若い男 菅田将暉演(仮) / 「切羽へ」井上荒野著 を読んで

他人の感情を、たとえばその後の行為は批評できても、その感情自体を否定する事は絶対にしてはいけないと思っている。
どんなに此方からは理解できなくても、その時感じた気持ちはその人だけのもので、外からは分かり得ないからだ。

怒ったでも、傷ついたでも、嬉しいでも、そして誰かを好きになったでも。

九州の離島で暮らす主人公の30過ぎの女性は、夫を愛していて、愛されていて、しかしある時島に新しくやって来た、

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