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【ショートストーリー】何人もの自分

深夜の清掃の仕事をしていた僕は、
担当のビルのトイレ掃除をする時、
向かい合った鏡の中に、
何人もの自分が写る光景を神秘的に思っていた。
どこまでも続く自分の列。
合わせ鏡に写る自分を見ては、
いつもわくわくしていた。

ある晩、誰もいない深夜のビルのトイレで、
僕はその中に入ってみたくなった。
僕は洗面台に足をかけ、
鏡の国のアリスのように
鏡の中に足を踏み入れた。
するっと僕の足は鏡を通り抜け、
中に入ることができた。

「うわっ!」
まさか本当に入れるとは思っていなかったので、
僕はびっくりした。
「意外と入れるもんなんだな」
独り言を言いながら
無数の自分たちに微笑みかけて、
軽く頭を下げて挨拶をした。

無数の自分たちは
それぞれ違うリアクションをした。
笑顔で手を振ってくれる自分、
しかめっ面でこちらを見る自分、
はにかんで目を泳がせている自分など…。

僕は混乱した。
合わせ鏡の中の自分は、自分一人ではなく、
自分のいろいろな面が出現するらしい。
楽天的な自分、
怒りっぽい自分、
表面だけ取り繕っている自分、
真面目な自分など…。
だって、このように、
それぞれの自分が勝手なことをしている。
ぼくは何人にも分裂してしまったようだ。

「あのう…」
僕は無数の自分に話しかけた。
「何?」
と答えてくれる自分、
ちらっとこちらを見るだけの自分、
無関心を装い無視している自分…。
「ここからはどうやって出るの?」
僕は質問したが、
答えてくれる自分は数人しかいない。
「出られないよ」
「一度入ったらずっとこのままなんだ」
「え、知らないで入ってきちゃったの?」
同情の目を向けている自分もいる。
そうか、僕は一生このままなのか…。
好奇心を抑えられず、子どもみたいに
鏡に足を踏み入れた自分を責めてももう遅い。

「ひとつだけ出られる方法があるぜ」
こっちを見もせずに言う自分がいた。
「何? どうするの?」
必死にすがりつく僕。
「自殺するのさ。死ねば出られる」
ほかの自分たちが
「あぁ、言っちゃった…」といった顔で、
教えてくれた自分を見ている。
「死ななければ出られないのか…」
僕は言った。
「どうするの?」
子どもみたいな自分が僕に聞いた。
「どうしよう…かな」
僕は何も考えられなかった。
このまま鏡の中で生き続けるか、死を選ぶか。

でも鏡の国のアリスは最後に夢から覚めて、
鏡の国から戻ってこられたのでは?
僕も実は清掃中に寝込んでしまっただけで、
もうすぐ夢から覚めるのでは?
「あまいな」
さっき、教えてくれた自分が言った。
「ここはそんな、おとぎ話の世界じゃない」
相変わらずこちらも見ずに言っている。

まあ、そりゃそうだな、と僕も納得して、
ここで生きていくことに決めた。
いつもは僕の中に閉じ込められている
何人もの自分に、
実際に出逢えるのも悪くない。
そう思ったのだ。

「ここで生きていくことに決めたよ。
 …というわけで、よろしく」
僕は何人もの自分に改めて挨拶した。
こちらを一瞥してチッと言っている自分もいる。
自分は自分でも、気の合わない自分もいるんだな、
と僕は思った。こうして僕はいろいろな自分と
面と向かってつきあっていくことになった。

©2023 alice hanasaki

山根あきらさんの企画 #合わせ鏡
参加させていただきました。#青ブラ文学部
あきらさん、よろしくお願い致します。

※この作品は創作であり、
私生活とは関係ありません。

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