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映画雑談 キリング・オブ・ケネス・チェンバレン

最近見てきた映画の中で最も強い衝撃を受けた。

あまりにも、内容に圧倒されて映画館に4回も鑑賞してしまった。こんなことははじめてだ。

映画"セブン"や、"インビクタス・負けざる者たち"等数々の名作に出演した名優のモーガン・フリーマンが制作総指揮を務めた実話がベースの作品の映画キリング・オブ・ケネス・チェンバレンという作品だ。あらすじについてはこちらを見て欲しい。

話題作としてインターネットのニュースにも取り上げられる作品だったが上映している映画館が少なかったのが、この映画が伝えている内容が影響しているのかもしれない。しかしながらも、この映画で訴えていることは決してアメリカだけの問題ではなくどこでもありうる話だ。これは是非レンタルでも配信サービスでも、目に通して欲しいと思う。

アップリンク京都にて 3回目の鑑賞
彼はなぜ警官に殺されたのか?

主人公のケネス・チェンバレンは、医療用通報装置を誤作動させたことにより、安否確認のために訪れた警察官とトラブルになる。双極性障害を患うケネスには、どうして警察がきたのかすら分からず、盗まれたと思った靴を返しに来たんだろと言い放ち、誤作動だから帰ってくれ、元気だからと話すがそれだけで安否確認出来ました、とはいかない。

そこで一つの疑問が生まれる。

仮にもし、レスキューの方による安否確認だったらどうなのか。今回警察の場合は、声を聞いただけでは果たして本当にケネスが安全なのかがわからないために直接確認したいとケネスを説得する。しかしケネスには、被害妄想の面もあり、正直な話一人で暮らすのはかなり難しいと言っても良い。何かあったとき、一人では冷静なジャッジができず、また海兵隊員だったころの名残が抜けられず未だに葛藤する姿は、警備会社を導入しているにしてもトラブルがあったり、ケネスひとりでは弁明することが出来ない事案になったときに事が悪化してしまう。

これは、辛抱強く、ケネスを刺激しないようにかつ駆け付けたご家族の協力を得ることで解決したと思われるが、警察は警察でさっさと安否確認を終わらせたい目論見があると同時に頑なに家に入れさせることを許さないケネスの姿勢に猜疑心を抱く。

何か、隠しているだろう?

警察が抱く正義のためならば悪を裁かねばならないという使命感が暴走させたのならば、それは過った解釈外言い様がない。警察はあくまでも、法律に則り、法律に従い、必要に応じて説明を行ったり或いは補導する等、法律に基づく社会の秩序を乱さぬように見張り番を行うのが警察である。今回は過った思い込みと、きっとそうに違いないという今迄の経験から培ってきた過信が暴走の背景にある。

警察は警察で自分達のテリトリーの範囲内で解決したかったのだろうが、ケネスの抱える心の病の難しさに理解を示せず、焦燥感が招く苛立ちを露にしてしまったことにより事件が起きてしまった。

イオンシネマ東員にて 4回目の鑑賞
拡大して撮影

イオンシネマ東員では、鑑賞されていたのはわたしを含めてたったの3人だけ。何だか貸し切りみたいでとてもゆっくり鑑賞が出来た。

先程紹介したアップリンク京都では、午前中のみの上映しかないため、夜に鑑賞出来るのが個人的には有り難かった。わざわざ、高速を使わないルートにしたにも関わらず高速使わされて行った甲斐がありました(苦笑)GoogleMapのアナウンスって高速を求めていないのに早道の近道ばかり案内して結果酷道、険道ばかり行かされるから近道にならない。

余談はさておき、話のつづきへ。

アップリンク京都にて 2回目の鑑賞
席が前すぎて失敗 首が痛くなる

ここで個人的に思った謎をなぜなぜ分析しよう。

①ケネスは何故警察が家に入ることを拒んだのか

双極性障害があり、かつ被害妄想的な傾向のあるケネスには、警察がどうして来たのかすら理解が出来ず、誤作動で健康であることを主張することで退散してくれるに違いないと思った筈だが、ケネスの状態を見て本当に大丈夫なのかどうかをこの目で見て確認するまでが任務である以上譲れない。

ケネスはどうしてそこまで警察が家に入りたがるのかが理解が出来ない。そこで最初のなぜなぜ。どうして家族と一緒に住むという判断が出来なかったのだろうという点だ。家族には迷惑をかけたくないというケネスの配慮が、独り暮らしでは何かトラブルが生じたときに冷静な弁明が出来ないために、大きな誤解が生じてしまう。それが前述した、悪い思い込みに繋がる要因になるのだとしたら、映画では実際に警察とのトラブルが去年にもあったのだと考えると、警備会社が入っているにしても独り暮らしは妥当ではないと言える状態にあったと推測される。

もう一つのなぜなぜはケネスが犯した罪について。映画のエンドロールで警官が発表したコメントが物語っている。ケネスは家に入らせたくない一心で警官に対して出て行けと発し、武力行使を行った際には抵抗しようとしてナイフを突き付けている。

一連のやり取りで分かることは、ケネスは警官が行う安否確認の公務における非協力的な姿勢を示し抵抗しようとして家に入れさせない行為は威力業務妨害にあたりまた抵抗しようとナイフで突き刺そうとするのは殺人未遂になる。それが映画の中で警部補が話す"逮捕事項"になるのだが、罪を犯した認識がないケネスにはただただ警察が入ってこないように最後まで頑なに拒み続ける。その上、令状なんて無いのにということをケネスは口ずさむのだが、令状がなくとも逮捕に価する行為が行われたら事情聴取を行わねばならない事態になる。

本当はこんなことしたくない、という警部補の武力行使を行わざるを得ないことを公言した際にケネスはたちまちパニックに陥り、その時点で家族を入れるべきだったが、警察は警察で解決したい思惑が現実を益々悪化させてしまう。

シネ・リーブル梅田にて 1回目の鑑賞

警官の中には人種差別発言ともとれる暴言でケネスを罵るシーンがあったが、これは所謂白豪主義たる肌の白い人が一番という考え方が欧米にはまだ残っている。例えば、テラス席があったとして見晴らしの良い場所は白人の方が座り、白人以外の黒人の方や黄色人種の方は人目に入ることを店側が拒み良い席には決して座らせて貰えない。

キング牧師が訴えた、肌の色は関係ないというのも時代は変わり黒人の方がモデルとして活躍するようになっても人種差別はまだ残っている。

これが哀しい現実だ。

WARASHIと鑑賞チケット

最後は警官が武力行使でドアを壊し、抵抗しようとして逃げるかもしれないケネスに対して背後からテーザー銃を撃ち気絶させたところを複数の警察官が取り押さえるが、それでも抵抗しようとしているのを見た警官がこのままでは襲われると思い拳銃の引き金を2発引いてしまった。

その結果、ケネス・チェンバレンは亡くなった。

頑なに家に入らせたくないことを拒まれ、武力行使しか手段がなくなり、最終的には自己防衛としてケネスを撃ってしまうのだが、冷静に考えたら逮捕する事案が発生したからやむを得ず武力行使でドアを壊したまでの流れはわかるが、テーザー銃を撃たれ気絶するケネスに複数の警官を振り払う余力など果たしてあったのか。恐らく無いはず。それが、エンドロールにも紹介された過剰防衛になるのだが、映画を見ていくうちに冷静になれば防げられた筈だし警察の説得では効果がないと分かれば潔く家族の方にお願いするべきだし、警察だから最後まで警察が解決する。余計なプライドや悪い思い込み、そんなケネスを心底理解し代弁が必要な際には代弁ができる同居者の存在の有無が決定づけた印象。

これは決してアメリカだけの問題ではない。

日本でも、ケネスのような精神疾患を患いいざというときには冷静な考えで行動出来ず悪い方向へと導いてしまうケースは起こるかもしれない。ただ如何せん警官は医療の知識など一般の方と同じぐらいのレベルであり専門家ではない。病気の特性を理解するのが難しい患者であればあるほど、イライラを募らせ思い込みが暴徒と化す要因がある。

この映画は、色々な方に見てもらい、警察とは?を改めて考えなくてはならないと思う。




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