ももた

気がつけば40代後半のおばちゃんになっていました。強迫性障害の持病があります。森田療法…

ももた

気がつけば40代後半のおばちゃんになっていました。強迫性障害の持病があります。森田療法初心者です。森田療法を通じて自分の症状を少しでも楽にすること。それを通じて誰かの辛さが少しでも楽になりますように。

最近の記事

スーパーの片隅で

抗うつ薬を増量して三週間。 今日は病院に行った。 一日4錠の薬で全く普通に暮らせます。 と先生に報告。 なんだか力が抜けてしまう。 私の40年の苦しみは一体なんだったのだろうと。 摂食障害から鬱病、ここ10年は不眠に悩んだ。 たった4錠のこの黄色い小さな薬で私の強烈な 不安感は消え去った。今までの苦しみは全く無意味 だったのか。 スーパーの片隅でわたしは立ちすくむ。 精肉コーナーで泣く中年女は周りにどう見えた だろう。  「善人なおもて往生をとぐ、    いわんや悪人

    • 生活の発見会

      ゴールデンウィークが明けた。 昨夜は深夜に強迫性障害の発作がきて 大変だった。ラムネのような薬を 二錠飲み込む。 そのまま毛布にくるまり嵐の過ぎるのを待つ。 「自然な自分であれば、 それで輝いて生きられる。」 ということを発見することが出来るのが 森田療法の考え方なのです。 『森田理論学習の要点』 「生活の発見会」の冊子の一文を想う。 そして私は今までの自分の生き方、考え方を 振り返る。 人に秀でることばかり考えてこなかったか。 人に気に入られること

      • 強迫症の薬物治療

        強迫性障害の薬「フルボキサミンマイレン」を 増量してから二週間。(50mg→100mg) やっぱり不安が圧倒的に少ない。 この記事にある「薬で改善する可能性があるということ」 に私も同感。(あくまで個人的な意見だけど…) 抗うつ薬はとかく危険視されがちだけど 多分セロトニンが足りないんだー。 なら足してもいいじゃない。って思う事にする。 森田療法みたいな精神療法もすごく大切だけど 人生観を変えるのだから割と時間がかかると思う。 精神療法の入り口に立つためにも いまは薬を飲

        • ただそれだけのこと

          「睡眠は眠れた分だけを受け取る」 素敵な言葉だ。 良いことも悪いことも うれしいことも悲しいことも ただ与えられた分だけを受け取る。 不安さえも何等かの意味があって 与えられるのか。 与えられた分だけを受取る。 生きるとはただそれだけの事。 そう思うと少し楽になる。

        スーパーの片隅で

          母の事

          給湯器が壊れた。 ので、家族四人で私の実家にもらい湯にいく。 言うまでもなく私と母の関係はそれは理想とは 程遠く、私の思春期は夕飯をお風呂で吐くこと に費やされた。 母に体調を崩していること、強迫性障害の薬を 倍にしたことを説明するが、耳が遠い、そして 精神疾患などの存在を信じない母には届かない。 「気のせいだよ。」 と母は一言。 あの時と同じだ。吐くことを止められないわたし が「助けて」を言えなかったあの時と。 私は静かに諦める。母もまたしんどい人生だった のだろう

          好きな本①

          症状が重くなると 朝が一番辛い。朝、目が醒めて意識に 捉えられるのが辛い。 https://www.msz.co.jp/book/detail/08181/ 平穏無事な暮らしにめぐまれている者にとっては 思い浮かべることさえむつかしいかも知れないが 世のなかには、毎朝目がさめるとその目ざめると いうことがおそろしくてたまらないひとが あちこちにいる。 ああ今日もまた一日を生きて行かなければならない のだという考えに打ちのめされ 起き出す力も出て来ないひとたちである。  神

          好きな本①

          病なのだろうか。

          どこからが病気といえるのか。 森田理論では病気とは言わない。 症状という。 不安に囚われた時、その不安を取り除こうと 強迫行為をする。その行為によってますます 不安に囚われる。 不安に囚われた時は、一旦その不安を取り除くことを 諦める。そうすれば最も早くその不安から逃れる事 ができる。神経症者はその不安の扱いを誤っている。 その結果、さまざまな症状と言われるものに苦しむ。 「囚われる」のだ。 しかし、考えて見ると誰も自分の意識から外にでることは できない。 大なり小なり

          病なのだろうか。

          生きづらさの根柢にあるもの➁

          ゴールデンウィークの後半が始まった。 抗うつ薬を倍にして二週間。 恐ろしく効いている実感がある。 世界が光で満たされている。 セロトニンが脳内に大量に放出されているのだろう。 私のゴールデンウィークは薬によってもたらされた 静けさと平和の中にある。 強迫性障害は「囚われの病」とも言われる。 特に行為の伴わない強迫観念の場合、本当に自覚するのは 難しい。もし、何かの生きづらさがあったなら その根底に病があることを一度疑って見て欲しい。 どうかその生きづらさを誰かに打ち明けて見

          生きづらさの根柢にあるもの➁

          背番号49

          彼の背番号「49」が10代の私を苦しめた。 読売ジャイアンツのクロマティ…。 なぜ「49」なのか。「死ぬ」と「苦しむ」 を連想させるその背番号を見るたび、 小学生の私は震えあがる。 おまけに父はジャイアンツの大ファン。 クロマティはよく打った。 だから翌朝の「ズームイン朝」にまで 背番号49は登場する。 強迫観念で気持ち悪いまま 這うように学校に通った。 今でも思う。 なぜクロマティは背番号49だったのだろう。

          背番号49

          確認行為

          またやってしまった。確認行為。 強迫性障害の行動療法でこの確認行為を我慢するというのは基本だ。 でも、どうしても不安で確認してしまい、その後で自己嫌悪…。 明念倫子さんの『強迫神経症の世界を生きて』を読んでいる。 明念さんによれば、「五感にたよって確認する」癖をつければよいらしい。 うーん。難しい。 例えば手を洗う時、水の感触、泡の感触、匂い、手の感覚そういうものに注意を向けて洗う。その時気を付けなければならないのは、これは確認行為だという確かな確信をもって行うという事らし

          確認行為

          生活の発見会➁

          最近「生活の発見会」に入会。 早速届いた『森田理論学習の要点』を読む。   どれだけ現在の自分が苦しくても、将来必ず楽になり またこの悩みをきっかけに 現実のなかに自分を生かすことができるようになります。   自分の中には、生きる力があり そのために現在の悩みがあるということを自覚してください。       『森田理論学習の要点』 症状が辛い時何度もこの言葉

          生活の発見会➁

          強迫性障害の薬物治療

          とても辛いことがあって40日。森田療法を勉強して勉強して 頑張ってきたけれど、結局フルボキサミンマイレンを倍にして 1週間。朝起きた時の「強烈な不安感」がなくなった。 フルボキサミンマイレンを飲み始めて三年。 私にはこの薬がとても効くと思う。 本当は薬なしで頑張るのがベストだと思う。 「セカンドベスト」という言葉がある。 「次善の策」ともいう。ベストではないセカンドベスト。 完璧を目指す神経症の人にとっては本意ではないけれど 「次善の策」を選ぶことによって最悪の事態を避ける

          強迫性障害の薬物治療

          不安とつながる

          不安な時。 不安なまま行動する。 もやもやする時、不安なまま犬の散歩に出かける。 現実は変わらないし、起きたことはもうどうしようもないけれど ゆっくり歩く。五感を使って散歩をする。 鳥の声、緑の眩しさ、風の感触。 枇杷の実が小さく実っていたり 昨日より筍の背が伸びていたり モンキアゲハの黒がとても鮮やかだったり わたしは自分で作った小さく狭い枷の中から 一瞬解放される。薬で濁った頭の中に一瞬 光が差す。 不安な時は不安とゆるくつながったまま そのままで行動する。

          不安とつながる

          生活の発見会

          今日は生活の発見会だったのだけど、 とても疲れていて行けなかった。 気分本位ではなく行動本位で。とは森田療法の基本。 晴れない気持ちはそのままでとにかく手を出す。 ということに努めてきたのだけど少し 疲れてしまって、抗うつ薬が増えてしまった。 森田療法は神経症の治療に有用だがそれを実践するのは なかなか難しい。「ありのままでよい。」というのが難しい。 昨日、フランクルの「夜と霧」の番組を見た。 強制収容所での過酷な日々を経ても 「それでも人生には意味がある」と彼は言った。

          生活の発見会

          生きづらさの根柢にあるもの

          生きづらさの根柢にあるもの 生きづらい。 ようやくその理由がぼんやりわかって わたしは三年前に薬物治療をはじめる。 「強迫性障害」 多分6歳くらいからだから40年。 先月から森田療法の自助会にも参加しながら ようやく歩き出す。 抗うつ薬の副作用で忘れてしまわないように 備忘録のつもりで書いてみようと思う。 今の私の苦しさが、いつか誰かの励みになりますように

          生きづらさの根柢にあるもの