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「野原ひろしの足は臭い」ことについて|おめざブログ
最近、国民的キャラクターが、これまでとは違った視点で注目を浴びるケースをよく見る。
例えば、クレヨンしんちゃんのひろしは、180センチの高身長で安定した職業、一戸建て持ちで理想的な父親像だ、とか。
そう言われてみると、確かに、とうなずく部分もある。
けれども、僕の中で野原ひろしは「足が臭くて可愛い女の子に横目をつかうどうしようもないパパ」なのだ。
いまキャラクターが注目を浴びるときの掛け声
地元の路線が廃線に|おめざブログ
自分の実家は福岡県朝倉郡東峰村という小さな村にあります。2017年、西日本豪雨で被害を受けた地域です。現在でも復旧工事が進められている最中なのですが、村を通るJR日田彦山線の廃線がこの度正式に決まりました。
自分の実家は、村に3つある駅のひとつ、宝珠山駅の近くにあります。小さい頃からこの路線にはお世話になっていました。特に高校時代には、宝珠山駅から日田駅まで毎日通学で利用していました。
利用者
水のような文章を書きたい。
小説家の吉行淳之介さんのエッセイにこんなことが書いてありました。
私は水のような文章が書きたい。水道の水では駄目で、あれはカルキのにおいがする。水は無色透明だが、無味ではない。味ともいえない微妙な味がある。(略)水になってしまえば、「文章に実用的と芸術的との区別はない」ことになる。
前に「実用的な詩を書く」というコラムを書きました。「実用的な詩」というものを、別の視点からとらえてみたものと言え
「歩く」ことを意識するということ。
初めて都会に住んだとき、何より人の歩く速さに驚いた。しかも、誰もが歩きながら、誰とも視線を合わすことがない。今では見慣れた風景になってしまったけれど、田舎者には驚きの風景だった。
実家の周りは、山に挟まれて家が数件集まっているだけの集落だった。なので、歩いているときに出会う人は、ほとんど顔を知っている存在だ。小学校の登下校は、家から学校まで2kmあり、子どもの足で40分以上かかっていた。下校の時