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日々のエッセンスをあつめたエッセイ

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事実と信念は揺らぐことはないからこそ、 エッセイはエッセイとして居る
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記事一覧

ながいすうじつ

■ 周回と螺旋の違い いつも何かに喚き散らしている人は 同じことを少しだけかたちを変えて話…

りよう
4か月前
95

読みかけの本にいれた指の隙間から見えたことばは雨の色

風は体で受けるよりも 耳で感じる方が好きだ 風が強い日は想いが遠くに飛んでゆく それに名前…

りよう
2週間前
80

煙の濃淡と見えないものの線描

雨上がりの硝子窓から見えた 水たまりみたいな鏡を 玄関の壁に吊り下げた 手に持った重みはな…

りよう
2か月前
74

タイニー、タイニーを抜け出して

電車に乗っているとほとんどの人は無言 何を思っているのかは窺い知ることはできない 時折、人…

りよう
3か月前
66

ほろ苦アフォガード

ひとしきりの会話が終わって、傷口がないはずの胸がペーパーカットをしてしまった親指のように…

りよう
6か月前
86

Blaze

ニキビも大人になったら吹き出物と言うように、 人見知りも大人になったら別の表現に置き換わ…

りよう
7か月前
78

私のまわりはヒントに溢れているが、それらは答えにつながってはいない

映画『インセプション』のように夢のなかの夢に迷い込むことが時々ある。幼少期は夢と現実の区別はいったいどうやってつけているのだろうか、私が見ている現実は実は夢のなかで、周囲とずれているのではないか、と勘繰ったものだ。 (たとえば私がまさにお風呂に入ろうと洋服を脱いでいたとして、本当の現実は学校の教室で、そうなると私はみんなの前で突然洋服を脱いでいるという耐え難い現実に私だけが気づいていないのではないか、といった疑念。) 一方、現実と認識しているなかにもそういったことはあって、

とある一日のこと

朝、近くのグラウンドの外周を走ると少年野球の練習が行われていた 少子化といえど子どもはい…

りよう
9か月前
62

背表紙のあらすじほどの一日

できるだけ分厚い本を 旅路の孤独を埋めるためだけの不純な動機。 平積みされた本はどれも読…

りよう
9か月前
58

ドリーマー、ビリーバー

たまたま訪れた街の今日は、お祭りの日だった。 マスク生活になってから久しくお祭りなんて、…

りよう
9か月前
58

new sentiment

感覚的な理解をことばで説明してしまうと より明確に理解を知覚することができる一方 時々、そ…

りよう
10か月前
58

殻と壁の造り方と使い方

昨日読み終えた小説のことを思い出す。相も変わらず同じ世界観、同じ展開、同じ台詞で、既視感…

りよう
10か月前
55

夜に置き忘れないために

アルコールを少し摂って コンポーネントから流れる音楽に寄りかかりながら 静かに本を読み続け…

りよう
10か月前
60

ふたたびたびをおもう

目的地で過ごすだけが旅ではない と、私は思っている 通り過ぎるだけの風景もまた 旅のひとつであり、魅力が存分にある と、私は思っている 本屋さんで、ひとり旅を特集記事にした 雑誌を見かけた 手にとって流し読み程度にページをめくると 一枚の写真に目を止めた いわゆる原付バイクが山道を走る写真だった のだけれど、ある大きな地方を原付バイクで 廻るという提案で、これはすごくいい、と思った 一度は徒歩で実家まで帰ってみたいと思っている のだけれど、それはかなり過酷だろうなあと