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ゆらり揺られて笑い花

カンカンカーン!!
と聞き慣れない音がする。
夢か幻か、新手の選挙の応援か、何事かと思って起き上がると、娘がカレースプーンでフライパンの底を叩いているではないか・・

「パパー起きてー!!お昼よー!!」

と、またカンカンカンカン。

まるで昭和の漫画やドラマに出てくるような典型的な起こし方をしてるので指摘すると、
「だってパパ、昭和生まれやん!」

だと。

確かにそうだけどと思いながら時計を見ると、もう正午を過ぎていた。

何度か起こしたけどまるで効果がなかったらしく、思いついたのがこの日本の伝統である「フライパン叩き起こし」だそうで、叩く棒がなかったので娘なりに考え大きめのスプーンで代用したらしい。

先日娘が高熱を出し、私の家で療養している。

いろんな検査も陰性だったのでその点は安心だ。
どうやら疲れと湯冷めの相乗効果の働きで風邪をこじらせ扁桃腺が腫れてしまったようだった。

私も有給を取り、通常の休みと重ねて久しぶりの連休である。

娘がフレンチトーストが食べたいと言うので、食パンを厚切りにし、特製のソースにしばらく漬け込み、簡単ではあるがサッと作ってあげると全部食べてくれた。薬と睡眠のおかげでだいぶ回復した様子で、熱も下がっている。
お腹が空くってことは元気になってきている証拠だろうと、いやはやバタバタとした慌ただしい連休であった。

夜は手作りの餃子を食べたいと言うので、お昼からは近くのショッピングモールへ買い出しに行って来た。一緒に着いて行きたそうにしていたが、週末で人も多いし、病み上がりで免疫力も多分落ちているので、家でゆっくりお留守番をするように伝えたところ、下唇を突き出して、まるでひょっとこの様な顔をした。

このショッピングモールにはいくつか懐かしい思い出がある。

ある週末、まだ小さかった息子と娘を連れ買い物にやって来た。
外は大雨でまるで台風の様な荒れた天候だった。
息子はコインゲームで遊んでおり、私もその間娘と二人、食材や日用品を買う計画を立て、食品コーナーを歩いていると、おや??娘の姿がない!!
はぐれたかな?と思って周りを見渡しても娘が見つからない。
お菓子売り場や、その近くのおもちゃコーナーにもいないのでどうしたものかあれこれ思案していると、レジの店員さんが娘の手を引いてやって来る。

「娘さんでしょー?さっきご家族でお店に入って来られるのを見てまして、外にカート整理に行ったら、女の子が泣いているものだからもしかしてと思いまして」

娘は涙と鼻水の大洪水の顔で大声で泣いている。

どうやら私の姿が見えなくなり、なぜか外へ走って行ってずぶ濡れになったようだった。

店員さんに何度もお礼を言い、娘の髪をタオルで拭いてあげてもなかなか泣き止まず、絵本とシールを奮発して買ってあげて、やっと泣き止んだのである。「なんで外に出たとね?危ないし雨も降ってるとに・・」
と聞くと、どうやら不安になって無意識のうちに外へ出たらしく、子供ながらに(置いていかれたかも?)と危機回避の本能だったようだ。

私は、これからはちゃんと手を繋いで迷子にならないように気をつけようとその時はかなり反省したが、後になってこの話をすると、息子も大笑いし、「なんで外に走っていくかね?」とからかい、いい笑い話だ。

またある時は市内のデパートのエレベーターに娘が初めて乗った時、人混みに押され流されなぜか目的ではない階に他の人と一緒に降りてしまい、慌てて上の階から息子と二人走って向かうと、やはりその場で蜂の巣をつついたように大泣きしていた。
「人に流されてしまったー」
 と言うので、
「でも偉い偉い、今度は外には走って行かんかったね」
と頭を撫でると、初めてのデパートで階も上で、外への行き方が分からなかったとのことだった。

これがいくつかある松本家迷子事件の二つの事例である。まだまだあるけれど、その話はまたいつかの機会に記事にしようと思う。
ただ全ての事件に共通するのは、
1・大泣きしていること
2・天候に関わらず外に走って出ていること
の二点である。

さて、晩御飯は娘のリクエストに答えて手作り餃子を作った。
大根を薄く切り、それを餃子の皮にするのが我が家の定番だ。
具材にはニンニク、生姜、ニラ、キャベツ、鶏肉などを細かくして入れ、早く体調が戻るように身体がぽかぽか温まる工夫をした。
厚焼きたまご、サラダ、自家製キムチやお漬物、もやしのナムルなども添えて、もし息子がいたなら間違いなくハイボールを一緒に飲んだと思う。

当たり前だけれど、食事はみんなで食べる方が賑やかで美味しく感じる。
いつもより、なぜか箸が進む。

娘もお腹の調子も回復し、熱も下がって食欲が戻ったようだった。

いろんな話の中で、私はいつか娘に尋ねてみたいことがいくつかあったので、いい機会だからと思い聞いてみることにした。

生まれて間もなくお母さんを亡くし、父と兄と三人で実家に帰って来て来たこと。誰にも懐かなかった人見知りの激しい若菜が、唯一親戚のかすみねえちゃんにだけはニコニコして抱っこされ、気持ちよさそうに寝息を立てて眠ったこと。かすみねえちゃん夫婦には、訳があってどうしても赤ちゃんが出来なくて、それでもいつか赤ちゃんが欲しいと願っていたこと。
「若菜はかすみ達夫婦に育ててもらった方が幸せになるんじゃないかな、母親がいない女の子は、かわいそうで見ていられないし、こんなに誰にも懐かん若菜がかすみにだけはニコニコして抱かれて笑ってる。これは亡くなったママが、何かこれからの道を示してくれてるんじゃないかな?」と涙を流しながら言ってくれたこと。

そしてパパが自分で育てることをかすみ姉ちゃんに伝えて、今こうしてそばにいること。

そんな話を伝えた。そして、

パパじゃなくて、かすみねえちゃん夫婦に育ててもらってたら、若菜はもっと幸せになってたんじゃないかな?

パパは自分で育てるって、当たり前やと思って育てて来たけど、それは間違っていたんかな?

もしかしたら天国のママも、あの時若菜をかすみねえちゃんに育ててもらうように、伝えたかったのかな?

今、ママはどんな顔してるかな・・?

と、私は少し勇気を出して聞いてみた。


娘は食べるのに夢中で、餃子をいっぱい頬張りながら、「うーん・・」
と、何やら考えていた。

「そうやね、もしかすみおねえちゃん夫婦に育ててもらって、向こうの子供になっててもそれはそれで幸せだったかも知れないね。でもそうしたらさ、パパとお兄ちゃんに今みたいな感じで会えないし、こんな関係でもなかったってことでしょ?よく分かんないけど、わたしパパのキムチ鍋もおでんも好きだし今も幸せだよ。たらればの話してもさ、どうにもならないでしょ?
それにさ、わたしがいなかったらパパ悲しいでしょ?。ママだってさ、こんなパパを相手に選んだ訳でしょ?ならパパが決めたことなら笑って応援するんじゃないと?」
と、答えた。そして、これもらうね、と、私の分の厚焼きたまごもペロリと食べてしまった。

「パパ、なんでわたしが熱出したり、学校サボって先生からパパに連絡いったりさせてるか分かる?」

と今度は聞いてくる。

「なんでね?」と尋ねると

「パパが老けないようにたい!」

「だって親に心配かけたり困らせたり、言うこと聞かないのが子供のお仕事なんでしょ?わたしまだ成人式来てないけん」

どうやら私の日記を読んでいたようだった。


私は胸のつかえがどことなく取れた気がして、なぜかもっと食欲が出て来たような気持ちになった。
娘に負けじと餃子を頬張り、ハイボールをおかわりした。
一人だとこんなに食べれないくせに、今日はなぜかたくさん食べた。
生姜とニラが鼻の奥に詰まり、なかなか取れなくて大きくむせてしまった。
自信のない私の顔が、もっと変顔になった。
娘が、迷子話のお返しとばかりに笑った。

今日という日付は、妻と初めて出会った日だ。

あの日、私達の人生が始まった。

外には桜の花が咲いていた。
優しい風に吹かれ
気持ち良さそうに
ふわりふわりと揺れていた。

天国の妻もきっと笑っているだろう。

あの日二人で見た、花のように。

















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子どもに教えられたこと

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