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シン・短歌レッスン

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記事一覧

シン・短歌レッス132

シン・短歌レッス132

王朝百首

小野小町は夢の和歌だと思ったらさすがに天邪鬼大王(勝手に名づけた)塚本邦雄ならではの選か。小町の代表作だが、小町が小娘というよりも遣り手婆婆(おばさん程度か)の時に文屋康秀に言い寄られたときの一首。

そのとき文屋の歌は記述がないので、どうでも良かったのかもしれない。文屋の歌は、これまたどうでもいい理屈めいた歌が百人一首に載っていた。

小町こそは『古今集』の花であり女歌の原型とする。

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美意識=死生観なのか?

美意識=死生観なのか?

『短歌と日本人〈2〉日本的感性と短歌』佐佐木幸綱(編)

座談会「日本人・こころ・恋歌」…阿久悠・夏石番矢・俵万智・佐佐木幸綱

歌人二人に俳人と作詞家の対談。阿久悠が入っているから面白い。ただ最近の若い奴らはという話になりがちだった。

阿久悠が言うには最近の歌にはロックのようなフォルテでがなり立てる歌が多く、ピアニシモの歌がないという。なるほどそれは言えているかも。ピアニシモで歌う歌手って誰か

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俵万智一強の時代

俵万智一強の時代

『短歌研究2024年4月号』

特集俵万智は俵万智が今ブームだというジャーナリズムの視線だろうか?そういう波に乗っていくのが上手い歌人だとは思う。それも才能か?俵万智は口語短歌を流行らせながらきちんと伝統短歌を踏まえた人だとわかる特集だった(特にリズムについては勉強になる)。女子大生歌人も先生で母親だった。その安心感が受けるのかもしれない。オヤジ受けがいいのも一つの才能だった。

俵万智

『短歌

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シン・短歌レッス131

シン・短歌レッス131

王朝百首

後京極摂政藤原良経は『新古今集』の中心的な歌人。春歌の最初と最後を採用され(もっとも選者だった)、『新古今集』の序を書いているという。掲載歌も西行、慈円(叔父さん)に次いでベスト3。九条家は藤原定家と対立した歌所だった。後鳥羽院にも愛され塚本邦雄も敬愛する歌人。

志賀(大津)は古都としての花の名所だったらしい。かつての栄光を懐かしむ歌か?良経自身も三十二歳の若さで暗殺されたという夭折

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シン・短歌レッス130

シン・短歌レッス130

王朝百首

寂蓮法師は西行の友達だったか?

時代的には新古今集だから重なるので、辻邦生『西行花伝』でも登場人物として出てきたからだろう。

寂蓮じゃなかったな。寂然、寂念兄弟だった。間際らしいが鎌倉時代の僧侶というから、すでに春の繁栄は過ぎて暮れゆく春の情景なのだろう。

西行「僧形論」

吉本隆明『西行論』から「僧形論」。

西行の説話集『撰集抄』は今日では贋作とされているのだが、その西行像に

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シン・短歌レッス129

シン・短歌レッス129

王朝百首

藤原姓も多いが源姓も多い。武人のようだ。妹に百人一首に載る二条院讃岐がおり、「沖の石」を詠んでいるという。

「沖の石」は、仲綱自身であるともいい、波には隠れないが霞には隠れてしまうと歌う。霞は貴族社会ということか?霞に涙の意味もあるという。その歌の流れを二条院讃岐が引き継いでいるのか?

現代短歌史

篠弘『現代短歌史Ⅱ前衛短歌の時代』から「戦後思想の表現者」。短歌に批評が必要だとい

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外部からの批評に短歌はどう答えたか?

外部からの批評に短歌はどう答えたか?

『現代短歌史〈2〉―前衛短歌の時代』篠弘

戦後短歌は外部からの批評に晒され、戦後世代が育っていく。とくに若い世代が学生短歌として活躍してくるのだが、その中に岡井隆や塚本邦雄が登場してくる。さらにいままでの結社ではなく、ジャーナリズムから『短歌研究』の編集者中井英夫が中条ふみ子や寺山修司を発掘する。

「乳房喪失」は短歌研究新人賞の第一回受賞で中条ふみ子の登場でそれまでの女流歌人とは違った女性歌人

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シン・短歌レッス128

シン・短歌レッス128

王朝百首

塚本邦雄『王朝百首』をまた借りてきたので、再開。藤原秀能も初めて聞くような名前である。藤原家はみんな一緒のような気がしてくるが。

新古今和歌集で出てきていた。全く覚えてなかった。

『新古今集』の春歌上で後鳥羽院が選定したが、藤原定家は凡作とけなしていたとか。山辺赤人の歌と比較されたようだ。

濃い授業があった。このぐらいやってくれれば和歌も覚えるかも。

藤原定家と後鳥羽院の仲違い

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シン・短歌レッス127

シン・短歌レッス127

 珠玉百歌仙

塚本邦雄『王朝百首』は予約されていたので、とりあえず返却して代わりになる本を探したところ『珠玉百歌仙』はその続編のようなアンソロジーだと本人が書いている。

この百歌仙は和歌の韻文に重きを置いたとある。塚本邦雄は藤原定家『百人一首』の批判から『王朝百首』を編纂し、さらにそれ以後もそうしたアンソロジーが並んでいく。

それは定家『百人一首』の形を借りた本歌取りではないかと思うのである

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外部からの批評を受け止めた短歌と受け止められなかった俳句の違い

外部からの批評を受け止めた短歌と受け止められなかった俳句の違い

『短歌研究 2024年3月号』

短歌雑誌は作品を丁寧に読もうとすると時間がかかる。まだ好きな現代短歌作家がいないから一応全部に目を通すようにしているのだが、難解漢字や古語が出てくるとめげてしまう。せめてルビが欲しい。まだ短歌は若い人がいるから面白い作品もあるのだが。今月号では、北山あさひ「うるせえドライヤー」が面白かった。正月に地震があった能登特集は、あまりぴんと来なかったが、松本清張の『ゼロの

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シン・短歌レッス126

シン・短歌レッス126

 王朝百首

花は桜だとすると雁は季重なりなのだが、和歌は関係ないのは、むしろその対比によって歌の本意を示しているからだろうか?帰雁しない春の雁。そして塚本の詩では夕桜と見ている。和歌が恋の歌ならば夕闇から曙まで待っていても音沙汰がなかったということか?そして曙に恨みの文を渡してねぐらに帰るのか?

西行

辻邦生『西行花伝』から。

「十二の帖」
西行の歌の師匠藤原為忠の四兄弟は西行と親友なのだ

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シン・短歌レッス125

シン・短歌レッス125

 王朝百首

「やなぎさくら」は柳とさくらなのか?枝垂れ桜を「やなぎさくら」と称しているのか、よくわからないが、塚本邦雄は詩でやなぎとさくらをそれぞれ別の色に喩えているから柳と桜なのだろう。素性法師という風狂な人だから桜より柳が最初なのかとも思う。どちらも街路樹としてよりもやはり庭木なんだろうな。広大な宮廷の庭がにしきなりけるというような。

齋藤史

梯久美子『この父ありて』から。

史が198

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シン・短歌レッス124

シン・短歌レッス124

王朝百首

「やなぎさくら」は柳とさくらなのか?枝垂れ桜を「やなぎさくら」と称しているのか、よくわからないが、塚本邦雄は詩でやなぎとさくらをそれぞれ別の色に喩えているから柳と桜なのだろう。素性法師という風狂な人だから桜より柳が最初なのかとも思う。どちらも街路樹としてよりもやはり庭木なんだろうな。広大な宮廷の庭がにしきなりけるというような。

NHK短歌

NHK俳句の第4週は句会で面白いのだけど、

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シン・短歌レッス123

シン・短歌レッス123

王朝百首

紀貫之の歌は情緒よりも理知的な部分があるという。それがあえて「水無き空に」とことわる部分であろうか?「なごり」は「名残」より「余波(なごり)」であるという。「天のさざ波」が「あった花」ではなく「失われた花」の幻想という部分は塚本邦雄らしい解釈か?つまり華やか日々を回想しているという情況なのだ。それが理知なる言葉で歌を構築していく紀貫之の言葉。

NHK短歌

吉川宏志も今月で終わりだっ

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