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掌編

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記事一覧

短編小説「テンペラ」

短編小説「テンペラ」

ウタの母には1人、小さな友達が居た。彼女の住む一軒家からは参道を挟み、斜向かいにある低層マンションに越してきた男の子だ。彼は、紫色をした帆布製のランドセルを背負っていた。それは市内にある私立学校の指定品だった。ウタも、いずれかは、その学校へと進学させる予定だった。しかし、ウタはもう居ない。水難事故だった。紋章のワッペンが付いた紫の鞄に名前を探した。見つけられたものが、持ち主の名を示していなくとも構

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緑の森

緑の森

【華道家Aの場合・1】

緑の森が遠ざかる。社用車の天蓋広告、人々の挿す極彩色のパラソル、街路樹に不向きな植物群が形作る並木通り。それらは、徐々に名前を失くし、緑系色に還元されていく。森は春風が運び損ねた枯葉すら、その時の森の色に引き込んでしまう。5階の高さを飛ぶ銀色の蝶を初めて見たと思った冬があった。それは、外気に踊らされた処方箋薬局の袋だった。水滴が、私の頭上から爪先までを引っ掻き損ねたように

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「僕の叔父さん、勘八叔父さん」

「僕の叔父さん、勘八叔父さん」

新訳が出た。叔父の時代は終わったのだと思った。僕の実家は鰻屋だ。僕は素直に憧れた。怒ったトラたちが溶けてバターになったお池、フライパンを滑らかに広がる液状生地、弾ける気泡。 漂うその香ばしさが、歯触りを予期させる。少し蒲焼と似ているか。

”虎達はますます怒りましたが、まだお互いの尻尾を離そうとはしませんでした。ものすごく怒っ た虎達は、木の回りを走りながらお互いを食べようとし始めました。そして、

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短編小説「桜桃泥棒」

短編小説「桜桃泥棒」

トレンチコートは、穂都梨だけだった。



10月、利人はスーツを新調させられた。彼と、化粧を済ませた穂都梨は、菓子折りを持って、1階にある呉服店の若女将を訪ねた。彼女は利人と穂都梨の住むマンションの大家でもある。女手一つで、息子を二人、国立大学へとやった彼女を、彼は尊敬しているのだった。そして、彼女は美しい。やや幸の薄そうで楚々とした佇まいに好感を抱いていた。彼女は、穂都梨にバッグと草履を無償

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短編小説「代々木恋愛ゼミナール」

短編小説「代々木恋愛ゼミナール」

1

少女A、或いはB。少年A、或いはB。或いは。

僕は、最後まで少女Bの定期券区間を知ることは無かった。 ただし、JR線代々木駅の東口に用があっても、そのまま東口を使わないあたり、代々木は彼女のなにか最寄駅なのだろうとは思っていた。

ご存知の方も居るかと思うが、東口改札に続く階段は、西口御用達の予備校生に喧嘩を売っている。君たちには、悠長に階段を昇り降りしている余暇など無い

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短編小説「プラネテス、アイキャンディ」

短編小説「プラネテス、アイキャンディ」

今日もまた、やってしまった。

レンズの向こう側に、従順で、そこそこ有能そうに見える「女子大生」を送り出してしまった。

職業的微笑。

シャッターが切られるタイミングで、

「ウイスキー」

と、声無しに唱えると、それは不思議と出来上がる。スマイルの量産。女らしさとは。

秀でた額、艶のある肌に控えめにちょこんと乗った小さな鼻。三白眼で意志的な瞳の印象をふっくらとした頰が、和らげている。本当は、

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