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ウタバしかいないのに(第4回):《クルアーン》ファジュル章14-16節をめぐって
《人間》と訳される《アルインサーン》の「アル」は冠詞《聖典クルアーン》「ファジュル(暁)章」14節から16節の検討は、後段に入る。15節に降ろされている《さて人間は主が御試みのため、寛大にされ恵みを授けられると、彼は「主は私に寛大であられます」と言う》の中にある《人間》という語の解釈である。前段すなわち「ウタバしかいないのに」の第1回から第3回までは、この《人間》に具体的名宛人がいるという、アッラ
もっとみるウタバしかいないのに(第2回):《クルアーン》ファジュル章14-16節をめぐって
「あとはあなたの問題だ」そこで、ここでもイブン・イスハーク『預言者ムハンマド伝』[1]に従って、ムハンマドとウタバの間の初期のやり取りから振り返っておこう。
クライシュの長であったウタバ。人々と談笑中。ムハンマドが一人で礼拝所に座っていた。すると、ウタバは、ムハンマドのところへ行っていくつか提案をしてみるという。折しも、ハムザの改宗で、ムハンマドに強力な護衛が付くことになり、クライシュ族たちは迫
ウタバ・ブン・ラビーア( 西暦624年3月13日歿)しかいないのに:《クルアーン》ファジュル章14-16節をめぐって
クルアーンにおける人間人や人々の多様性の大切さがことあるごとに唱えられるようになっている。SDGsの17のゴールの第4番目「質の高い教育をみんなに」の7番目のターゲットにこうある。
「文化の多様性の尊重」。この表現に違和感を覚える人は少ないかもしれない。イスラーム教徒の側から言っても、家父長的な家族の在り方、女子教育の軽視、宗教的行事への参加の強制なども、イスラームの文化なのだから、それが他と
「天女」でも「ブドウ」でも:イスラームの天国について
せんせんと流れる川の上に何ものでもない状態から現世に生を享け、審判を挟んで、来世に復活する。「2度死に2度生きる」というイスラームの死生観。クルアーンが繰り返すのが、この世よりあの世の方が、圧倒的によいということ。たとえば、《本当に来世はあなたにとって現世よりよい》(「朝章」第4節)「アッラーがあなたが満足するよういくらでも与えて下さるのだから」「今は、周りの人々に惜しみなく与えなさい」となる。
呪いの言葉に効用はあるのか?④:《クルアーン》「棕櫚章」をめぐって(第4回/全4回)
「尊厳」の基礎岩井は、資本主義経済を存続させる観点から、不純物の存在が不可欠と主張したわけだが、戦争は、自己利益追求の原則から大きく離れた市場にとっての不純物であり、その点でまさに資本主義の発展にとっては、おいしすぎる餌食である。戦争による血の流し合いが経済の成長を支えるということになり、信じるものと信じない者との間の線引きがそれを少なからず助長していたとなれば、それに加担する格好になる。
そうな
「呪い」の言葉に効用はあるのか?③:《クルアーン》「棕櫚章」をめぐって(第3回/全4回)
お金にまつわる不安「棕櫚章」第1節には「人を呪わば穴二つ」的含意がついて回ることは、第2回の論考でみたとおりであるが、しかしなお、アッラーはあえてこれを読ませているのではないかと思われる節もある。第2節から見えてくる財のあり方がその入り口になる。
人はなぜお金を稼ごうとするのか、貨幣を貯めようとするのか。それは、未来に対する不安のせいだという。食べ物を買物でしか調達できないとするならば、とりあえ
「呪い」の言葉に効用はあるのか?②:《クルアーン》「棕櫚章」をめぐって(第2回/全4回)
「人を呪わば穴二つ」Wer anderen eine Grube gräbt, fällt selbst hinein.(独)(他人の墓を掘る者は、自分がそこに落ちる。)筆者自身の「人を呪わば穴二つ」との出会いはこれ。大学時代のドイツ語の授業。訳語の方の「人を呪わば穴二つ」が記憶に残っている。直訳すると「他人に墓を掘った者が、自らそこに落ちた」。ネイティブの解説は言う。「他の人を落とすための墓を掘
もっとみるトルコ・シリア地震から1年
被災者推計180万人2023年2月6日(月)未明、未曽有の大地震がトルコ南部とシリア北西部一帯を襲った。シリア内戦もあれば、クルド人問題もある、人間の主義主張の深刻な亀裂が人々を引き裂いている一帯での出来事である。寒さが厳しかった昨年の冬。震源の深さがほんの10キロ。マグニチュード7.8,7.6に立て続けに見舞われた。あれから1年。被災地の一つ、シリアのアレッポの独立系非営利のメディア「Halab
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