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これって多分、レアな「死にざま」②。

父の「死にざま」は、映画のワンシーンのように脳裏に焼き付いている。前回のお話はこちら

病院から、「その時」が近いことを知らせる電話が鳴った。
さっきまで、まだまだだ、と思ってた。
取るものも取り合えず駆け付けたものの、意外と長い滞在になるのかもと、そういう心配さえしていたのに。

病院につくと、落ち着かない様子で看護師さんたちがパタパタと忙しそうに行き来している。壁沿いに置かれていた父のベットの位置が、病室の中央に動かされた。やがて集まった家族が、ずらりと父のベッドを取り囲む。なるほど、片方が壁よりずっといい。

まだ大丈夫。死ぬはずがない。わたしたちの目の前の父の姿は、「死にゆく人」とは程遠く思われた。
どうしようもなく体が重く、気怠い様子は伝わってくる。相変わらず呼吸は早く、懸命に酸素を取り入れようとする息使いに変わりはない。しかし、「う~~~ん」、と両手を思いっきり上に伸ばしてみたり、息を深く吸って「あ~~~~!!」と大声で叫んでみたりする様子は、まるでマラソンのスタート地点で準備体操しているようにさえ見えた。

確かに、発する言葉は何を言っているのか、耳を傾けても聞き取りづらくはなっていたが、腹の底から出るその声は力強く、意味のある言葉に違いなかった。

こんなに動く人が、こんなに声が出る人が、これから本当に死ぬのだろうか。父の周りで、父を見守り、父の声に返事をし、がんばれ、と声をかけるわたしたちは、正直、半信半疑な気持ちだった。


それでも直後、やはり間違いなくその時が訪れることは、確信となった。

やがて父は、「背中を起こして」、と言ってきた。ベッドには、背中を自動で起こしてくれる背上げ機能がついている。寝たままじゃ嫌なのだろうか、と、父に従いベッドの背中を少し起こす。

父は不満げにこちらを見て、か細い右腕で空を切り、「もっと起こせ」と合図する。わたしたちはどうしたらよいか分からない中、言われるがままに少しベッドを起こした。物足りない父は「もっと起こせ」とまた合図する。そのやり取りを何度か繰り返し、とうとうこれ以上は上がらないところまで上げてしまった。

「父ちゃん、もうこれ以上は上がらんよ!」

わたしたちがそう叫ぶ声は、父の耳にしっかり届いている様子で、「もっと起こせ」と右手で合図することは諦めた。しかし今度は、「背中に枕を入れろ」と言い出した。背上げ機能の最大角度(70度くらいだろうか)ではもの足らず、もっと起き上がりたいというのだ。わたしたちは抗うことはせず、父の背中に枕を挟んだ。もはやベッドの上の父は、90度の角度で座っている状態だ。
「もうこれ以上は起き上がれんよ・・・」


明らかに、異様な空気が流れていた。
穏やかで、静かな終焉を想像していた、というわけではないが、・・・あまりに程遠い。しかし、これは何か変だ。わたしたちは、父が確かにこの世を去ろうとしていることを察知した。

「がんばりーよ!」「大丈夫やけんな!」「まだいける!」「父ちゃん、死んだらいかん!」「いったらあかん!」

人数分の、父を引き留める言葉が飛び交いだした。

心電図と、血中酸素濃度を示すモニターが異変を示しだしたことが素人目にも分かる。そんな中。


父は、酸素マスクを自分で外した。

「ほれはあかん!」「これつけとかな死ぬでよ!」

わたしたちは必至で外された酸素マスクを父の口元に戻した。なのに。

父は再び、戻された酸素マスクに手を伸ばし、はぎ取った。

信じられなかった。心電図の、血中酸素濃度は明らかに低下していっている。吸っても吸っても苦しい呼吸かもしれないが、マスクをつけることで少しは楽になるはずなのに。あり得ない思いで、わたしたちは再び外されたマスクを、父の口元に戻した。「お願いだから、マスクはつけて!」


しかし、父はそれを許さなかった。
3度目の正直。父は再び、酸素マスクを右手でつかんだ。そしてわたしたちに戻されることがないように、と考えたのか、今度はなんと頭の後ろのクッションに挟み込んだ。

あまりの父の行動に、呆気にとられてしまった。
これ以上、父に余計なことをさせるわけにはいかない。父は、そうしたかったんだ。わたしたちは、やっと理解した。

「分かったよ。もう、マスクはつけんとくわな。」
わたしたちは、父の口を酸素マスクで塞ぐことはやめた。


マスクを外してからは、そう長くは持たなかった。

父は、最後の力を振り絞り、身体を前に、前に、動かそうとした。前のめるその姿は、まるで、マラソンのゴールテープを切るかのようだった。目は見開いていたが、黒目は白く濁り、目の前で手を振ってみても、もう反応はなくなっていた。

そして父は、身体から抜けていった。


全てが終わった後、皆、今起こった出来事をうまく理解できずにいた。
人は、こんな死に方をするものなのだろうか。
人は、こんなに最後まで体をコントロールできるものなのだろうか。
人は、最後まで動き続けられるものなのだろうか。

沢山の疑問符が浮かんだが、答えは全て、間違いなく、Yes、だ。
父は、最後まで身体を動かしたかった。最後は、自分の口で、この世界の空気を吸いたかった。そして、長い長い苦しい道を、一人で走り切ったんだ。

病名を知らされたときから、病状や治療法を一人で聞き、すべて一人でやりたいようにやってきた父に、ふさわしい最期だった。


父の死はその後、わたしの人生に大きな影響を与えることとなる。
父の死は、わたしの生きる糧となり、今のわたしの一部は、父の死によって作れらている。あの時、あのタイミングで父が死んだからこその今、がある。


「死」は、様々な形があるが、すべて、わたしたちの一部として必要な痛みかもしれない。もしわたしが死ぬ時が来たら、わたしの「死」がきっと誰かの気付きとなり、糧となる必要があったのだろう。そう思う。


〇エピローグ〇
父は他界する1か月前に、地元のフルマラソンにエントリーしていた。毎年、息子二人と一緒に走るそのイベントを、楽しみにしていた。最期の日も、「完走はできんでもいいんじゃ、ちょっとでも走れたらいいんじゃ」と言い、出場の意欲を見せていた。

しかし願い叶わず、父が切ったゴールテープは、マラソン大会のそれではなく、ベットの上での、この世最期のゴールテープ。

ーーー3か月後ーーー
父がエントリーしたマラソン大会が行われた。
完走者名簿にはこの世にはいない父の名が載り、5時間42分のタイムを残していた。
彼の娘が、彼の名でエントリーしたゼッケンとチップをつけて出場し、記録を残したのだ。兄二人とともに兄弟三人そろって初めてのフルマラソンだった。

走っているとき、父を感じた。一人で孤独に走るとき、自分の呼吸の音にだけ集中する時間。苦しい時もあり、ふと楽になるときもあり。いつ走り止めるのか、どこまで走るのか、どこから歩くのか、また走り出すのか、全て自分次第。フルマラソンの後半、もう歩いても完走ができるところまで来ると、走る意味が分からなくなったり。父はまるで人生のようなマラソンに魅せられ、最後まで走り抜いた。

今でもランニングをすると、あの時の父の、ベッドの上での息使いが蘇る。まぁ、なんとも厄介な置き土産をしてくれたものだ。


これまでの経験で、なんとか自分の役割に気づくことができました。与えられた役割を全力で全うするため、「わくわく」と「ドキドキ」のど真ん中を走ります。 サポートでの勇気づけ、素直に嬉しいです\(^o^)/