常設型のプレーパークへ行ってきた。/子どもから学ぶ(ほぼ)毎日note#28

(ほぼ)毎日note28日目。

幼稚園教諭、プレイワーカー、森のようちえん保育士を経て、今は3歳と0歳の息子と365日ともに暮らしている。

「こどもの遊びと育ち探検家」として、我が子との暮らしの中での未知との遭遇を楽しみながら、世界中の子どもたちの幸せな暮らしと育ちについて日々ぐるぐると思考している。

ただいま実家へ帰省中。
息子たちとプレーパークへ。
会いたいひとたちのいる都内のプレーパークは、2人のちいさな息子たちと公共交通を使っていくにはまだハードルが高く、今回はさいたまの冒険はらっぱへ。

カオスな感じ。控えめに言って、最高だなぁ!

8年前、悶々としていた時期、冒険あそび場づくり協会の全国フォーラムinさいたまで武田 信子さんの「こどもの体験がサプリメント化している」という言葉に脳みそ殴られたような感覚になって、幼稚園を辞めてプレイワーカーになりたいと思い至った衝動を思い出した。

この施設は、もうすぐ完成します。とそのときに事例紹介として紹介されていたんだ。足かせ8年かぁ。

自分の育ったまちで、我が子と一緒に暮らすように帰省してみて感じることが沢山ある。俯瞰して、いろいろいろいろ思考が巡ってしまう。

場慣れするのにたっぷり時間のいる3歳息子も、安心した様子で遊び出す。午後になってくると、小学生も増え、どんどん広がり深まる遊び。
金づちの音、ギターの音、こどもたちの声、いろんな音が響き合う。

命が喜んでる!って感じ。

常設のもつエネルギーってあるよなぁ。

1年半前にも訪れさせてもらったのだけれど、そのときよりも場がより自然体になっている感を受け取って、そんな風に、日常が育っていく場っていいなぁ。って心底思った。

そのうち小学生たちが大きな穴を掘りだす。

あそび場では当たり前の光景だけれど、久しぶりに見たなぁ、としみじみ見入ってしまった。

そこにたぶん目的はあるようでなくて。ただただ彼らは楽しそうで。

猫車に水を溜めて、バシャバシャさせながら超特急で水道と穴とを何往復もしていく。

乗り物好きのちいさな人たちは縁側ですす汚れたトミカたちを走らせ乗り物愛を熱く語りながら、その視界の先にいる大きなお兄さんたちのどこまでも楽しそうなにぎやかな穴掘り作業を片目で見ながら、「お水ジャーってなったねぇ!」なんて言っている。

それはそれは目をキラキラと輝かせながら。

生後7か月になった我が家の小さな人を土の上へいざなってみたら、そばにあった葉っぱを触りはじめ、その目線の先に見つけた石ころのほうへ進み、またそこから見えた目線の先の泥だらけの何かのほうへ進み…を繰り返して、ずりばいを習得して半月、いまだかつて見たこともない速さで前進していった。

気付けば口の周りに黒ひげ生やしていた。

地面の魅力たるや。

3つ年齢の離れた2人の小さな人たちと母1人、プレーパークで遊ぶのは、それはそれはひっちゃかめっちゃかだった。笑

2人3人の子どもを連れてプレーパークに通っていた母ちゃんたち、すごいなーって、しながわ子ども冒険ひろばの常勤をしていた時に思っていたけれど。改めて超すごい!えらすぎ!!って思った。

でも、「ここにさえ、来てしまえば大丈夫。」っていう思いも心底感じて。

次男に授乳したり眠くてぐずぐずしているときに、今日もスタッフさんがさり気なく長男の相手をしてくれていた。本当に本当に助かる。

まちの公園となると、たばこの吸い殻とか、気になるものはたくさん落ちていて、帰省中、近所の公園の砂場で一通り気になるものを拾って、表面の土を気休め程度にひっくり返してから、息子を地面にいざなってみたけれど。「すごいねー!」「豪快だねー!」と言われたり、少々ドン引きされてしまったりもした(笑)

プレイパークに行くまでに電車とバスを乗り継いで大人の足なら30分でいけるコース。
乗り物大好きな息子とだから、目的の6割は「乗り物に乗る、見る」
駅でわざわざ切符を買ってみたり、新幹線を何本も見送ったり、駅の構内の案内表示について「あれはなに」「こっちはなに」の質問にその都度応えながら、結局目的地までたどり着くのに2時間近くかかった。

乗り換えの大宮駅はターミナル駅。大人の時間感覚が流れまくる街の中でベビーカーに乗って動画を見ている(見せられている)小さな人たちと何十人もすれ違う。

バス停でバスを待つ。ショッピングモールの中にある託児所であろうエプロンとインカムを付けた保育士さんと泣き叫ぶ小さな子が、気持ちを切り替えるために外に出てきたんだろうなあ、っていうシーンに出くわして、なんだかなんだか、どうしようもなくもどかしかった。

こういう「保育士さん」も社会では必要だけれど、でも、本来、子ども側からしたらどうだ…なんてことをぐるぐる考えてしまった。

実家に帰省するたびに街の暮らしのスピードがあがり、大人の都合時間のしわ寄せが子どもに向かってしまっているなぁ、ということを感じる。

だからこそ、日常に遊び心を。ハードルを下げてとにかく遊べる場を。っていう移動式あそび場のアイディアが生まれていった脈絡も改めて腑に落ちた。

課題があるのは都市部だけではない。ちがう課題がもりもりあるとも思う。

いま住むまちは、日中公園へ行っても子どもに会わない。みんな、保育園か、満3歳になったら幼稚園に通い出す。「この一年は一緒に」と思って園に通わず過ごすことを選んだ我が家の長男は3歳7か月。

日常の中で子どもに出会うチャンスが少ない。

まちの子育て支援センターは、事なかれ主義な空気が流れていてなかなか足が向かない。

春からは家のそばの、羊とともに暮らしている認可保育園に親子で通いつつ働かせていただけることになった。子どもと大人が共に居る、そんな保育を大切にしてるようで、楽しみだ。

山の上での暮らしはそれはそれは面白かった。願わくば、とも思うけれど。でも、腰が痛い、膝が痛い、と言いながらも孫のお世話をそれはそれは楽しそうにしている両親が、年に1度帰省するたびに少しずつ老いていく事実を感じたりして。

実家のそばに暮らさずとも、空港が近く物理的に帰省しやすい距離にいたいという思いが年々強くなる。

両方の実家が遠い我が家は選択肢が多くて、この先どこに根を下ろしていくんだろうかってことをここ最近ずっと考えている。

同時に、どこかで私的なパブリックスペースをしたいという思いが強くなる。

我が子の育ちと共に育てていける、イベントじゃない日常が積み重なる場。小さくても子どもたちや親子が気軽に歩いていける日常の中に在ること。
立派じゃなくても、途上でもいいから、在ることのほうが価値があるなぁ。

「我が子のために」と活動を始めたという先を行く人たちの原動力が少々分かり始めてきた。

プレーパーク的な思想の誰にでも開かれている場
いろいろな立場や世代がごちゃ混ぜに在れる場
日々流動的に人々が交わる化学反応的な面白さ。

森のようちえん的な思想の乳幼児期の親子が日常を深めていく場
自然の力を借りて、こどももおとなも育ちあう場
今日から明日、春から夏、1年、2年、3年と重なって深まっていく日常の面白さ。

移動式あそび場的な、出向いていく啓発的な動き
なんでもない場所が、思いもよらぬ遊びが生まれる場になる。
待っているだけじゃ全然出会えなかったチャンネルの違うアンテナを持つ人に届いていく面白さ。

あちらもこちらも大切だと思うからこそ、全部手を出して、全部面白くて、でも出来上がった道を歩かせてもらっただけで、深め切れず自分の足では立てていない状態だ。

暮らしを遊ぶことの面白さ。
一緒に台所に立ったり、ちいさな畑を耕したり、もっと自然に根差した暮らしで、必要なものはスーパーでパパっと買うだけ、みたいな消費的な暮らしじゃない、創り出す面白さを親子の暮らしの中でやってこうよ、みたいなこと。

もっと言えば妊娠中から、もっと言えば、妊娠前から、そんなこと言ったら親になる前から、若者のうちに、子育てとか考える前から…

そうしたら結局幼いころからかぁと、堂々巡りでぐるぐるぐるぐる。笑

息子の年齢が上がるにつれて、絵本のなかの物事が暮らしの中で生き生きと立ち上がっていく様をまざまざと見せてもらって、それが面白く、絵本がますます好きになる。
石井桃子さんにいわせると「子どもに歯ごたえのある本を」というようなこともしたいなぁ。

プレーパークも自然のなかでの保育も、親子が育ち合う場も、全部関心があるし繋がっているなぁと思うからこそ、手始めに何をやったらいいのだろう。お金は?場所は?
思いだけがむくむくしていて、エンジンとブレーキ全開でエンストしそう(笑)

というつぶやきを8年前の小さな決意表明のように、ぶつぶつ呟いてみた次第です。どう動いていこうか、というとき、みなさん一体どうやってはじめの一歩、進んでいったのだろう。何か良き策があれば教えてほしいです。

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