Annaの日記 ハイリスク妊婦の末路⑫
一進一退
この言葉がほんとにしっくりとくる入院生活だった。
入院して1週間。やっと赤ちゃんのいる忙しい生活が始まると朝から身支度と、病室の片づけをルンルンでしてたら小児科の先生が入ってきた。
先生の顔の表情で、ひとめに悪い事が起こっているのは分かった。
今朝のレントゲンの結果、
まだ肺の穴がふさがっていなかった。
日常生活に問題ないくらいの大きさにはなっているが病院の規定でまた「完治」とは出来ない。
先生は2つの提案をしてきた
①NICUは一度「卒業」すると、出戻する事が出来ない。
よって完治するまでNICUで生活をする。母親が退院した後も入院が続くようなら、外部から毎日お見舞いという形で見に来る事になる。
②今日から母子同室を始める。
母親が退院時に完治していない場合は、赤ちゃんは「小児科病棟」での再入院となり、母親は保護者として小児科病棟で寝泊まりを毎晩してもらう。ベッドが同じなので、産後の体にはキツイかもしれない。
(同室により肺の塞がりが遅くなることはない)
私は迷うことなく②を選んだ。
一日でも一秒でも早く同じ部屋で過ごしたいと思っていたのもあるが、①を選んだ場合、退院まで私はひとりのんきに病院ライフを過ごし、その後におむつの交換の仕方もイマイチわかっていない、「夜泣き」が何かもわからない状態で退院して子育てをスタートする事になる。
これだけは避けたいと思っていた。この3日ですべてをマスターして卒業しないと今後がとんでもなく大変になる事は安易に想像が出来た。またその事に対する焦りもあった。
先生は少しびっくりした感じだったが、
私の意志を尊重してくれた。
午後になり、NICUから「卒業」してきたあんなが新生児室に仲間入りしてきた。
「ふつうの子」らと比べても格段に大きかったが、2週間遅れて出てきたからか、顔つきもふにゃふにゃの新生児とは全然違ってしっかりしていてかわいらしかった。
気合をいれてスタートを切った
「母子同室」だが、
一日目で根をあげてしまいそうになった。
泣くタイミングもわからない、乳が飲めているかわからない。その前に帝王切開の腹が痛くて持ち上がらない。
でも、私にはトレーニングの日が3泊しかないと、夜別室を提案されたが断った。
3時間置きの授乳は、老体には堪えた・・。山ほどの薬の服用と、授乳の時間のアラームでほぼ毎時間携帯が鳴っていた。
でも、母子同室にした事は絶対に間違いではなかったと、この時も今も思っている。
基本は自分だが、すぐに助けてくれる看護師さんがたくさんいて、色々教えてくれる。
盛大にうんちを漏らした時もベッドごと替えてくれて、沐浴の仕方も教えてもらった。
体が大きい分、ミルクもよく飲み、寝るのも上手、うんちも盛大で、首もまあまあしっかりしていたので比較的育てやすいと看護師さんにも言われ、自分でもそう感じていた。
たった3泊だったが、この経験は、この後の子育ての「気持ちの余裕」は全然ちがった。
あっという間に翌日が退院の日となった。
母親は1日前に最後の健診があり、産後の経過も問題なく退院の許可が出た。
あんなは明日の朝一番の検査で退院か残留かが決まる。
これで母子退院になれば、
この出産は花丸で終われる。
そう信じて、夫に持ってきてもらった
退院の時にと用意していた洋服を広げてみた。
真っ白のかわいらしい洋服だった。
大丈夫、大丈夫。
そして、退院の朝がきた。
〜続く〜
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