記事一覧
今、ここ、でうまれる言葉(場について)
今、ここ、というものは、「今」でしかないから、「ここ」でしかないから、そこに意味がある。
もしも、この生が、どこにでもありえるもので、あるいは永遠に続くものであったとしたら、どこであれいつであれ、かけがえのない経験とはならないだろう。限りある生だからこそ、経験の一つひとつが、貴重なものとなる。
「わたし」は何も持たずに生まれてきたわけではない。感じる力、知る力、考えを広げる力を具えている。それ
「場について」 いつも今
決まった「こたえ」のない問題の「こたえ」をさがす。
それは、その問題を、こたえのある問題に落として考えることではないだろう。また、こたえのある問題から借りてきた、こたえを組み合わせることでもないだろう。
こたえは何だろうと、考え続ける過程がこたえなのではと、言ってみるものの、それがこたえだったのかとわかるのは、ずっと後になってからのことになりそうだ。
ところで。
「今」というものは、常に動い
つくり上げる場 「場について」
「ここ」とは、どのような場か。「ここ」とは、どのような経験か。
それを確認するために、「自分はここにいる」という感覚を失ってしまった状態を考えてみる。それは、自分がこの場に接地していない、与えられた「場」が、自分の「場」になっていないという感覚である。(自分というものがわからなくなってしまったわけではない。)
場とのつながりが感じられない理由は何だろう。この場が自分にふさわしくないのか、自分が
「場」について 思考の枠組み
「ここ」で生きているということに気付いたので、ここがどういうところなのか考えてみる。「ここはこういうところなのだろう」と仮説を立て、検証するための材料を探してみる。他の場所と比べることから始めてみるが、気が付くと、手許には関連した多くの情報が集まっている。
例えばこうだ。人差し指のことを調べようと、親指や小指と比較することから始めてみるが、掌との関係はどうなっているか、手とはどういうものか、また