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ゼロ地点へ回帰するアイデンティティとレコード・ジャケットを想う(最近読んだ本5冊の感想)

前回思いつきで書いたもので、最近私が読んだ本についての読後感想の記事をアップしてみたところ意外にたくさんの反響をいただいて、投げ銭までいただいたので、僭越ながらもう少しだけ書いてみようかと思います。

例によって、私は読書家というにはあまりに雑多なジャンルを読み散らかしているので、まとまりがあるようでないかもしれませんが、その辺りはご愛嬌(?)ということで・・。

①『偶然と必然の方程式』(マイケル・J・モーブッシン)

昨今、巷を賑わせているAIやデータサイエンス、マーケティングを理解する上で必要な統計学や行動経済学的な知識って、だいたいこの本か、イアン・エアーズ『その数学が戦略を決める』か、『マネーボール』辺りに書いてあると思うのです。

物事の結果の成功/失敗には運が関係していて、実力が一定であれば、運の値がどの程度関与するかにより結果が変わるという考え方は、具体的には、反復可能性の有る無しで判断でき、同じことをもう一度できるようであればそれは運ではなく実力の強い範疇であり、逆は運による要素が強いと判断できる、と。

経験的にわかることとして、プロのアスリートと素人が(そのアスリートの専門の)競技で対戦した場合は必ずプロが勝つのに対し、ギャンブルや金融商材のデリバティブな取引、あるいはアイドルやアーティストなど運の要素が強いもの(結果の予測が難しいもの)についてはプロフェッショナルが必ず勝つ(または成功する)ということはないとしています。

では、運の要素が強いものについては自身の鍛錬で実力をあげることはできないのだろうかというとそうではなく、具体的にどのような戦略が存在し、自分がその場合にどのように行動すべきか?ということが書かれているのですが、

結局のところ、運の要素は「平均値への回帰」に従い、回数を重ねるごとにゼロに近付きます。であるからして、本当に必要なのは実力と戦略なのだ、そして戦略を知るには、運がどのように結果に結びつくかを知る必要がある、といったところでしょうか。面白い本です。

②『物語の構造分析』(ロラン・バルト)

基本的には構造や記号論的アプローチからテクストについてを分析する本ではあり、前提としてバルトの他著書『零度のエクリチュール』や『記号の国』などを読んでおくとより深い知識が得られるのではないかなあと感じる部分はあります。

「作者」という虚像がいつから誕生し、どのようにテクストの読みに関わってくるか、批評とテクストの関係性についても、ある時から彼は、社会によって生み出された「作者」というバイアスを指摘します。例えば、放蕩生活を送った作者の書いた退廃的文学、等・・現代の文化における文学のイメージそのものが、作者の人格や経歴に集中しているとしています。

読者はそういったナラティヴにフォーカスするのではなく、作品そのものの存在を読み解き、解釈する、というのがバルトの言う「作者の死」なのですが、現代アートの磁場では作者の「銘柄化」という逆の現象が起きていて、そういった意味でも興味深い書籍です。

③『“芸術”が終わった後の“アート” 』(松井みどり)

現代アートの持つコンテクストを丁寧に拾い上げる入門書のようなものですが、同時にポストモダン以降の思想について、ポストコロニアル、キッチュ、アレゴリー、またドゥルーズ=ガタリ的文脈のスキゾフレニアなど、象徴的なタームも拾われていて、そういう意味で、複合的なキャッチアップを行うには十分すぎるような豪華な内容・・なのですが、すっかり忘れていたので再読。

アートが工芸的な職人的所作から離れ、やがて現代アートになっていく過程の定義から丁寧に紐解かれています。

④『到来する共同体』(ジョルジョ・アガンベン)

形而上学的なフェイズから見た自己の存在、あるいは他者性や表象という言語活動について取りこぼしてしまうそのもののそのもの性について。

事物のある側面を切り取って形容する言語活動は、例えば木を「木」と名指すことを指すけれど、それは自分自身に所属すると同時に所属しない、あるひとつのクラスである、というのは、あるがままにその存在を受け止めるという点でファイヤアーベントの言説と似ている気がして、『知についての三つの対話』読了後に読みたくなり再読。

事物がそのように存在するままに存在することを欲することを「愛に特有のフェティシズム」とし、私はあなたの特性(髪が長い、美しい、等)を愛するのではないが、全くそれらの特性を分離することもない。あなたがあるがまま存在する、そのことを私は愛するのだという言葉は非常にエモいですよね。

⑤『Graphic Waves ネット時代のレコードジャケット』

Amazonの紹介文に出版社からのコメントとして「近年ほとんど刊行されなくなったレコジャケ本を、現在の視点から再構築」とありますが、サブスクリプションという媒体が音楽業界の収入源となっている昨今では、確かに昔のように「レコジャケ」を有難がることも減ったのかな、と思います。

それでも、プロダクトとして独立した存在ではなくなったとしても、Four Tetが「今後はアートワークはマーケティングのツールのようになるんじゃないかな(意訳)」と言っていたように、楽曲そのものを宣伝するためのツールとして相変わらず重要性を持っているのも事実なのではないでしょうか。

例えばTame Imparaのジャケットなどで有名なRobert Beattyは、荒唐無稽なモチーフの組み合わせによってどこか超現実的な、どこかドラッグによる幻覚体験のようなドープな世界観が面白く、また楽曲ともマッチしていますし、

ウィッチハウスとか好きな人ならお馴染みColin Fletcherも、00年代以降の重要なアーティストの一人でしょう。(Steve Hauschildtの『Nonlin』が彼の作品だったとは知りませんでしたが・・!)

本著はアーティスト、モチーフ、レーベルなどカテゴリで分けて進んでいく構成になっていて、近年のジャケットの在り方を網羅したとっても素晴らしい書籍です。

あとがき

結局のところ、誰かの成功譚を真似したとしても成功しないような運の要素が強い世界に対しては、戦略的に生きていく必要があり・・という点については誰しも体感的に理解していることだとは思います。

あらゆる事物には運と実力の相関関係があり、実力が一定の場合、運の度合いがどれほど出るかにより失敗/成功が決まる・・のだとして、試行回数を稼いだ際に運の値は「平均値への回帰」によりゼロに収束するので、実力も必要。でも、運の要素の強い磁場で戦うには、そもそもの戦場を複雑化する必要がある。

なんていうことがデータサイエンスや統計学の本では書かれています。プラグマティックに社会の構造を理解する際に、運と実力の相関関係を自分の中で理解しておくことは大切だなあと思いつつ・・

アイデンティティの在り方、作者の在り方、コミュニケーションについては、マルクス・ガブリエル『新実存主義』を読んでいて気になったので再考のために色々と読んでいた点もありますが、差異も含めてそのものを認めること、また、そのものの全体を端的に還元できる言葉は存在しないという考え方は現代の思想では重要なのかな、と個人的には感じます。

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