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ソナタ形式はシンメトリーのたくらみ 其之一【さらば、わが愛〜覇王別姫】《140字の感想文+ 30(今回は字数超過) 》

陳凱歌「さらば、わが愛〜覇王別姫」

 

 うれしいことに、これのひとつ前の記事コンテンツ会議で紹介してもらえました。
 よろしかったらご覧くださいませ。

 

 さて、こんどこそ、この映画「覇王別姫」が「ソナタ形式で作られていること」についての話になります。

 このしょっぱなの記事↓で、そもそも「ソナタ形式」という言葉を出したんですけど、

 ここまできてやっと、「ソナタ形式」をかたるところにたどり着きましたわよ!

 

 そして、これを読んでいるみなさんは、すでにいちどは映画を視聴しているもの、と勝手に前提して、

 どんどんとネタバレな内容に踏み込んで書いていきます。
 なので、初見の感動、初見の驚きを大事にしたいひとは、このまま読むのをやめてくださいね。

 

 とにかく、五百蔵が1回目を見終わったときに、真っ先にうかんできた感想が「これはソナタ形式でできている」ということでした。

 ソナタ形式とはなにか?ということは、ウィキペディアを読んだだけではとうてい理解できるものではなく、結局クラシック音楽そのものを聴き慣れてないとわからないのですが、あえてことばだけで説明すると、

 まず、主要なメロディーが語られ、日常の物語がはじまり(提示部)、
 メロディーが形を変えながら絡み合い、いわば旅に出かけ(展開部)、
 また、もとの形に帰ってきて、旅をふりかえりながら大団円をむかえる(再現部)。

 とでもいうのが適当だと思います。
 で、いまからこれをもっとひらたく、強引な言い方をします。

 途中でいろいろあったけど、首尾が一貫している。

 うわー、これわひどい!
 きちんとクラシック音楽を勉強したみなさんからはぜったい叱られるくらい、こじつけレベルMAX!
 高校時代の現国の先生が、「橋田壽賀子のドラマを5文字でまとめるなら?」という問いかけに、「色々あった」とまとめやがったのと同レベルのひどさだとはわかっていますから、みなさん、どうか怒らないで。

 ですけど、感覚的には、これが、ソナタ形式です。
 耳で勉強してみたい人は、ベートーヴェンの運命や田園、モーツァルトのト短調など、有名な交響曲の第1楽章なんかがわかりやすいと思いますので、You Tubeなどで探して聴いてみてください。

 

・◇・◇・◇・

 

 さて。
 五百蔵が「ソナタ形式で出来ている」と感じたものは、しかし、この映画「覇王別姫」が初めてではありませんでした。

 まえにもいちど、なにかに対して「ソナタ形式」を感じたことがある。

 それが何だったかを記憶のなかからひっぱり出してみたら、ラーメンズの第17公演「TOWER」でした。これは今のところ、ラーメンズとしては最後の公演になります。

 

 ラーメンズのコントの脚本は、ご存知の人はご存知のとおり、すべて小林賢太郎の手によります。
 そして、小林は、たぶん、首尾が一貫していることとシンメトリーが大好物です。
 とくに、首尾が一貫していることについては、「home」「news」「CLASSIC」「TEXT」「TOWER」の各公演の構成に、如実にあらわれています。

 そのなかでも、もっとも形式に美を感じるのが、この「TOWER」です。

 時間があればぜひ、公演の全部を最初から順に見てほしいのですが、構成の美しさの核心を手っ取り早く理解するなら、

 提示部となる「タワーズ 1」
 展開部の代表として「名は体を表す」
 そして再現部の「タワーズ 2」

 を、ひと続きのものとして視聴してみてください。
 小林と相方の片桐仁とが扮する、なんとなく仲の悪かった2つのタワーが、公演の最後にはなぜだか仲良くなっていて、「名は体を表す」やその他のネタを仲良く回想したりします。

 ネタの中に音楽が用いられている、ということのせいもあるかもしれませんが、実に音楽的で、お笑いやコントという枠をはるかに飛翔しています。

 このため息をつくしかない美的センスは、まさに、「ソナタ形式」と表すよりほかはありません。

 

・◇・◇・◇・

 

 では、映画「覇王別姫」で、いわば「タワーズ 1、2」にあたるパートはどこか?

 この映画は、「現在」からはじまります。
 年代はよくわかりませんが、すくなくとも文化大革命が終わり、毛沢東が死に、四人組も処罰されているのは、セリフから明らかです。
 程蝶衣段小楼の2人の京劇俳優は、11年という長い年月を経て再会し、久しぶりに2人で京劇「覇王別姫」を演じることになったようです。

 この「現在」において、だれもいない体育館のようなところで、舞台衣装と隈取りで美々しく扮装した蝶衣小楼の2人は、2人だけで「覇王別姫」を演じはじめます。
 そこから画面は、項羽の目の前で虞姫が自ら刎(くびは)ねいましも血を吹き出している絵図へと切り替わり、タイトルが映し出され、メインの物語が始まります。

 ここまでが提示部にあたります。

 

 メインの物語は、幼い日の回想からはじまります。蝶衣がまだ小豆と呼ばれていて、路上で孫悟空を演じていた石頭と呼ばれてた小楼に出会い、京劇俳優の養成所のようなところに連れてこられ、そのまま母親に捨てられる日からです。

 そして時系列で、蝶衣小楼の人生を映し出していきます。
 養成所の厳しい訓練も、売れっ子の俳優として絶頂の2人も、日中戦争にあい、共産主義革命に翻弄されたことも。
 そしてさいごに、文化大革命のつるし上げ集会で2人の仲が決定的に断裂するその日までを。

 これが、展開部です。

 

 そしてまた、場面は「現在」に戻ります。2人は「覇王別姫」を演じていますが、小楼は年齢のせいか、以前のような演技ができません。
 そして蝶衣は、物語の虞姫がやったとおりに、真剣を自らの首筋にあてがって死することを選びます。
 そのまま映像ははじめに出てきた項羽とその目の前で死にゆく虞姫の絵図に切り替わり、エンドロールとなります。

 このように、再現部をむかえ、程蝶衣の人生の物語が終わります。

 このように、この物語の前後は、2人の「現在」と項羽と虞姫の絵図によってサンドイッチされています。

 

 それだけではありません。
 展開部で蝶衣小楼によって演じられる「覇王別姫」、これは子ども時代の小豆石頭の京劇俳優としてのデビューの時から幕を開けるのですが、画面の中に出てくるたびにすこしずつすこしずつ物語が進行していきます。
 そして再現部にいたって、再会した蝶衣小楼の2人きりで、ついに「覇王別姫」のラスト、項羽と虞姫の今生の別れの場面を演じるのです。

 最後に蝶衣がなにをしたかは、実は映像としては映されません。その代わりに、頸部から血を吹く虞姫の絵図が映され、映画自体も終わるのです。

 うまくいえないのですが、

 「現在」の時点で2人が演じている「覇王別姫」と、
 展開部で、細切れになりながら物語がじわじわと進行していた舞台上の「覇王別姫」と、
 程蝶衣の人生そのものである小楼を項羽と見立てた「覇王別姫」と、

 つまり、3つの「覇王別姫」が、再現部で同時にラストをむかえ、項羽と虞姫との絵図に象徴される結末へと収束する。

 このエンディングを知ったあとで、もういちど映画「覇王別姫」をあたまから見直したときは、すでに絵図が蝶衣の人生の終わり方を暗示していることに気がついて、作り手の意図にぞっとしました。

 

 このように、五百蔵が映画の構成に音楽を感じたのは、ラーメンズの「TOWER」によく似た、「現在」と絵図とによるサンドイッチの構成と、映画の冒頭から一貫して流れてきた「覇王別姫」が、虞姫の自刎へと収束するその鮮やかな首尾一貫、この2点によるものだと思います。

 これは自然にそうなったものではもちろんなく、意図して仕組まれた構成なのです。そこに「作曲すること」と同じ作為を感じるのです。

 ゆえに、この映画を、「途中でいろいろあったけど、首尾が一貫している」ソナタ形式で作られたものだと感じたようです。

 

・◇・◇・◇・

 

 さてさて。
 そんなわけで、五百蔵は冗談で、

 こんなに構成が小林賢太郎に似てるんなら(ていうか、ありうるとしたら、小林がまねたんだと思う)、
 小林の大好物のパーフェクトシンメトリーも構成の中に仕組まれているのではないか?

 という、アホな仮説を立ててみました。
 もし、意図してシンメトリーをたくらんでいるなら、どこかに対象の軸があるはずだとか、そんな変な仮説です。

 ていうかそもそも「ソナタ形式」って、始めと終わりとでややシンメトリーなんですよね。

 

 そんな目で2回目、3回目と見てみたら、身の毛もよだつようなシンメトリーが企まれてましたよ……。

 では、長いので、次回に。

 

・◇・◇・◇・

 

 あのですね……映画の仕組みが複雑すぎて、
 いちばん語り倒したい程蝶衣の人生にまで全然たどり着かないんですけど……。

 
 
 

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 こちら↓が、コンテンツ会議で紹介してもらった記事です。

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いま、病気で家にいるので、長い記事がかけてます。 だけど、収入がありません。お金をもらえると、すこし元気になります。 健康になって仕事を始めたら、収入には困りませんが、ものを書く余裕がなくなるかと思うと、ふくざつな心境です。