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本懐【ブラックペアン】《140字の感想文+  23》

日曜劇場「ブラックペアン」第9話

 

たったひとつの論文が、だれかの命を救うよすがとなるかもしれない。しかし、ほんとうにそんなときが来るのかは、来てみないことにはわからないから、人はつい、「書き残す」ということの本来の意味を見失って、名誉のためだとか、出世のためだとか、あらぬかたへ迷走しはじめてしまうのかもしれない。

 

ブラックペアン 人物相関図 第9話  

《140字感想文集》のマガジンもあります。

 

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ネタバレ注意。

 

 今回は「最終回前」というただし書きにふさわしく、どんでん返しに次ぐどんでん返しの更にまたどんでん返ししまくりの最後の最後までがどんでん返し、とでも言いたくなるようなストーリーでした。
(注: 実際はそこまで七転八倒していませんが、そんな気分になりました)


 ですが、たったひとことで言うなら、

 佐伯先生、腹黒過ぎ。

 以上。ですね。

 

 どのように腹黒かったかは、ストーリーを追うとわかるので、今から説明します。
 完全にネタバレですので、引き返すなら、今です!

 それと、ひたすらストーリーを追っていくので、バカ長いです。
 かいつまみやすいように、ポイントは太字にしてます。

 でも、あきたらさっさと結論に飛んでくださって結構です。

 
 
 

・◇・◇・◇・

 

 場面は、倒れた佐伯が病室で意識を取り戻すところから始まります。

 このへんは話がややこしくてはっきり覚えてないのですが、なんと、佐伯の心臓の血管は普通とは違う走り方をしていて、それが酸素不足の原因となって発作が起こったらしいです。そのうえ、佐伯自身の心臓も僧帽弁に不全があり、つまり「佐伯か渡海しか執刀できない」状態だったのです。

 渡海はもちろん執刀するつもりだったのですが、佐伯が渡海の執刀を拒否します。それどころか、カエサルを使うよう指示します。こんな時に「教授命令」を持ち出してスタッフを黙らせるあたり、佐伯先生、なかなかズルイです。

 

 とにかく佐伯の指示なので、カエサルによる手術の模索が始まります。高階は帝華大での経験があるので助力を申し出ますが、帝華大の人間扱いされて一蹴されます。

 それでもカエサルのシュミレーターを動かそうとして、データが帝華大により抜き取られていることに気が付きます。高階はデータを提供してもらえるよう、帝華大におもむき、西崎と談判しますが、軽くあしらわれます。
 それどころか、高階が西崎のために完成させたカエサルの論文を、すでに別の者に書かせてあるから不必要だと、お払い箱に。つまり、西崎は高階を切り捨てたということです。

 それでも医者かと詰め寄る高階に、「はい、医者です」としれっと答える西崎先生もなかなかの悪人です。
 「最近、亀治郎(いまは猿之助だけど)は悪役が多いよなー」なんて夫もボソリ。

 

 なんだかんだありつつも、佐伯の執刀を担当する黒崎は自分の力不足を認め、高階に執刀を委ねます
 ここ、黒崎先生の「佐伯先生、命!」な気持ちが全開されて、うるっときます。

 メンツにこだわらず、率直に非力を認め、助力を乞う。それは、佐伯の命を救うため。
 そして、敬愛する佐伯を助けることは、佐伯の手術を待つあまたの患者の命を救うこと、と言い切るあたりは、佐伯の医療に対する基本姿勢の薫陶を思わせます

 

 こうして、高階もチームに加わりますが、佐伯の症状は執刀例がなく、世界中をあたって探しますが、見つかりません
 シュミレーションも繰り返しますが、2時間というタイムリミットの壁を突破できないのです。

 そんななか、佐伯はスタッフのがんばる姿を見たい、とカメラを設置させたり、高階にはお払い箱にされた論文をどうしたかさり気なく問うたり
 スタッフ思いのいい人だなぁ、とうるっとさせといて、

 これが、大どんでん返し (ノ`▽´)ノ彡┻━┻ の仕掛けだったなんて、だれが思いますかいな!

  

・◇・◇・◇・

 

 さて、世良は渡海にアドバイスを求め、「日本外科ジャーナル」の編集長、池永と会い、こともあろうに雑誌掲載前の帝華大のカエサルの論文を見せてほしい、とか、無茶なことを頼みます。
 当然断られますが、渡海の指示どおり、「バカはバカなりに」熱意で押し通して、池永の記憶にあったアメリカの唯一の論文を提供してもらえることになります。

 それは、池永自身も難病にかかり、主治医が必死で探してきた論文により回復することができた、という個人的な経験を思い出させ、池永が論文に関わる仕事を目指した、そもそもの志を揺り動かした結果でした。

 

 ところで、このドラマの中で、「論文」は一貫してこき下ろされてきました。
 渡海はそもそも書く気はないし、論文に一生懸命な高階のことは馬鹿にするし、帝華大に引き抜かれたときも「論文が患者を治してくれるんですかー」みたいな小学生レベルのイヤミを言うし。
 さらにここへきて世良も、スナイプやカエサルの論文が、西崎と佐伯の日本外科学会の理事長選の点数稼ぎの道具になっていることを、「バカはバカなりに」池永にむかってディスるし。

 でも、池永は、そうではなく、「世界のどこかの誰かを救うために、そのための治療法を伝えるために、論文というのは書かれるものなのだ」というようなことを、わが身を引き合いに出して諭します。

 ええ、ここで「論文」が、名誉挽回のどんでん返しッ! (ノ`▽´)ノ彡┻━┻

 

・◇・◇・◇・

  

 しかし、手がかりは得たものの、やはり渡海抜きのシュミレーションは難航します。
 だのに、いまだ手術方法が確立できてないというのに、佐伯が発作を起こし、緊急に手術をせねばならなくなります
 しかも、タイムリミットが1時間に半減するという厳しい状況です。

 高階はカエサルのアームを操作しますが、治療すべき血管のところまで、アームが届きません。いろいろ試みますが、時間はどんどんと過ぎ、佐伯も危険な状態に。
 なすすべはないかと思われたとき、渡海がカエサルを乗っ取ります

 正確に言うと、カエサルのシュミレーターからの遠隔操作で、佐伯の手術を行うのです。

 

 むちゃくちゃやん!とか、マンガじゃないんだし!という批判はわきにおいときましょう。五百蔵も、全力で目をつぶってます。
 それにたしかに前回、渡海は初めてとは思えない器用さでシュミレーターを操ってましたし……ブツブツブツブツ。

 しかも、さらにむちゃくちゃなことに、行うことができるのは佐伯と渡海しかいない「佐伯式」の手術を、カエサルでやってのけて、成功させます。

 渡海先生からしたら当たり前といえば当たり前ですが、「機械よりも手でやったほうが楽」、だったそうです。

 とにかく、佐伯の手術は、無事に終わったのです。

 

・◇・◇・◇・

 

 さて、帝華大の西崎先生

 ライバルの佐伯は心臓病でダウンだし、帝華大のカエサルの論文は載ってるし、とにこにこしながら「日本外科ジャーナル」の最新号を開きますが……

 そこにはなんと、高階と佐伯の名前の入った、カエサルの論文も載っているではありませんか!

 

 ……ここで家族全員、高階の名前が「権太」=「Gonta」なのを見つけて、ひきました……

 「けんたでなくごんたか……」と、頭をかかえるように、夫。
 五百蔵もこの名前なら、小泉孝太郎でなく杉本哲太が適役じゃないか……と。

 が……まあ、いい。

 

 それに対し、池永編集長は、症例、佐伯式、そして資料の動画……と、東城大の論文のほうが優れていたので掲載したことを告げます。


・◇・◇・◇・

  

 そうなんですよ!
 ここに来てやっとわかったんですが、

 最初から佐伯先生は狙っていたんですよ!

  

 渡海の手術を拒否したのは、渡海にカエサルを遠隔操作させるため。
 カメラの設置は、操作中の渡海を撮影するため。

 そのうえ、排除されようがなんだかんだあろうとも、渡海が患者にとってベストになるよう手立てを尽くすことを怠らないことも、ちゃあんと計算に入れている。

 でもって、これだけのネタがあれば、一発逆転で西崎の論文に勝てる、って。

 だから高階の論文なんか、渡りに船の廃品回収。
 たぶん高階が西崎に切られることも読んでいたはず。

 え〜い!佐伯式大どんでん返しじゃ〜! (ノ`▽´)ノ彡┻━┻

 

 でも、いちばん可愛そうなのは「論文」です。

 今までさんざん、渡海にこけにされ、視聴者にもそのていどのもんと思われ、世良にディスられ、せっかく、池永が汚名をそそいでくれたのに。

 佐伯先生、しっかりと、理事長の椅子争いの道具として使ってくれてましたよ!

 くっそ〜!佐伯清剛、悪魔だろ! (ノ`Д´)ノ彡┻━┻

 

・◇・◇・◇・

 

 でも、ある意味、佐伯は悪魔だけど、この人は患者の命を救うために医局の先頭に立ってきた。
 技を磨くことと、人の和を保つことのたいせつさを熟知していた。

 カメラの設置だって、動画撮影の下心はありつつも、佐伯不在でも自発的に手を尽くして頑張るスタッフの姿を見ながら、ひそかに胸熱になっていたろうと思います。
 いや、思いたいです。

 だからこそ、佐伯の危機に、スタッフ全員が一丸となれた。

 

 それに、渡海なら(ていうか、渡海って、説明書とか論文とか、めちゃめちゃ緻密に読み込むキャラみたいなんですけど)、カエサルがシュミレーターから遠隔操作ができることに気がつくだろうと読んでいたはず。

 ただ、それは信頼なのか、命を賭け物にした勝負だったのかはわかりませんが。
 手術の麻酔から目覚めた佐伯は、死に場所を求めて、死に損なってしまったかのようにも見えました。

 

 も〜、わけわかりませんが、これが佐伯清剛の魅力です。
 そうです。神か悪魔か、わけわからん。という謎、そのものの存在。

 

・◇・◇・◇・

 

 ここまで長々とお付き合い下さり、みなさん、お疲れ様でした。そして、ありがとうございます。

 そして、これが、「ブラックペアン」の魅力なのです。

 

 何が正しくて何が間違っているかなんて、瓜を二つに割るようにすぱっと分けられるものではない。
 ただ、この「ブラックペアン」の世界では、患者を救うために力を尽くし、実際に命を救ったものが正しい。

 それは、このストーリーでずっと追いかけられてきた、「機械」と「人の手」の対立もそうで、それぞれに得手不得手があるけれども、そこを上手に按配して手術を成功させたものが正義なのです。

 

 そして、善悪不可分の正義を追っていく中で、今回の「論文」のように、「本来の役割とは何か」という本質的なところが、ふと、明らかにされていく。

 そう、「善悪は分けられない、しかし本質はこれ」という物語の核がしっかりとしている。

 

 渡海の手術が荒唐無稽、とか、そんなにいつもミスが起きる病院はイヤ、とか、あの治験コーディネーターはいかん、だとか、いろいろと批判のポイントがあるドラマではあります。

 でも、それらの欠点を押しのけてでも「面白い」、と思えるのは、オセロのように裏返り続ける善悪のドラマ自体が、現実に生きる人間の汚いところもきれいなところも反映してリアルであることと、そうでありながらも渡海も佐伯も高階も決してふみはずすことのない、「医療は患者を救うもの」という本質は不壊で、ダイヤモンドのように輝いていることと、この2つの魅力によるものだと思います。

 このように、ストーリーを通してものごとの本質を「つかんだ」と実感できる瞬間があるドラマは、なかなかないのではないでしょうか。

 

・◇・◇・◇・

 

 この回はこのうえさらに、謎の患者、飯沼達次をめぐる駆け引きや、世良がペアンの写ったレントゲン写真を発見したところへ黒崎と渡海が来合わせるとか、どったんばったん大騒ぎがあったのですが、割愛です。

 ほとんどをベッドの上ですごしていたにもかかわらず、この回の主人公は確かに、佐伯清剛でしたから。

 

 それにしても今回は盛りだくさんの回だったので、ストーリーの本質を抽出するのにも、タイトルをつけるのに苦労しました。

 「本懐」に込めた意味合い、わかっていただけたら幸いです。

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いま、病気で家にいるので、長い記事がかけてます。 だけど、収入がありません。お金をもらえると、すこし元気になります。 健康になって仕事を始めたら、収入には困りませんが、ものを書く余裕がなくなるかと思うと、ふくざつな心境です。