頭の悪いレシピはなぜ頭の悪いレシピという題名になったか?《頭の悪いレシピをばひとつ 10》
6月からちょこちょこ書いている「頭の悪いレシピ」シリーズ、なぜこんなふざけた題名にしたのか、いつかは説明しないと……と思いながら、日にちがたってしまいました。
やっと取り組む気持ちがわいてきたので、書きます。
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そもそも、この「頭の悪いレシピ」ということば、どこから来たかというと、デイリーポータルZのこの企画↓からです。
……そうです。目分量でどばっとつくるけどなぜかおいしい我が家の味を募集するこの企画。
よほど面白かったらしく、計4回も特集が組まれてます。しかもそれぞれのタイトル、目分量の究極の形態まで行きついていて、見ているだけでくらくらきます。
たとえば、醤油の分量は「ひと回し、ふた回し」だとか「ダバ、ダバ」だとか、「このくらいかけたらちょうどおいしいな」って加減まで入れるだとか、結局は「色見て決める」だとか。
缶詰とか瓶詰3種くらいをまるごと調合したら出来上がりだとか、もしくはひと缶まるごとどばっと使うだとか。
砂糖は「なんじゃこりゃ!」ってくらい甘くなるまで入れるだとか、酢がむせなくなるまで入れるだとか。
まあとにかく、
レシピが読みものとして
こんなに面白かっただなんて……ぷぷぷっ
って、ツボにはまる企画です。
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だけど、やってることはおバカなのに、おバカだけで終わらないのが、デイリーポータルZのすごいところなんですよね。
特集を担当している編集部の古賀さんとニフティの関根さんのコメントが深い。ていうか、哲学的なんです。それを読んでいるうちに、五百蔵は思ったんですよ。
むしろこれが料理の本来の姿。
って。
そもそも、大さじ小さじとか計量カップって、家庭でも誰でも手軽においしく料理できるようにするために発案された、と聞いたことがあります。
それに、出回っているレシピ自体、プロが目分量でやってるものを後でわざわざ計量して書かれているものだったりするといいます。
だから、私たちが、大さじや小さじや加熱時間をくわしく書いているものを「レシピとはこういうもの!」って思い込んでるのは、認識が逆立ちしているわけなんですよ。
つまり、要するに。
大さじ1杯砂糖を入れるから酢がむせなくなるんじゃないんです。酢がむせなくなるまで砂糖を入れた、それが大さじ1杯だった。それがレシピの真の姿なんです。
「三杯酢なら、醤油と酢と砂糖を大さじ1杯ずつ」というのは、むせなくなった結果を日々使いやすく洗練して呪文化したもの、なんですよね。
それともうひとつ。このバカバカしい特集を読みながら五百蔵の頭に浮かんできたのは、なぜか料理研究家の辰巳芳子さんのエッセイ。
1冊だけなのですが、ミョウガの漬け方がのっていたので買ったエッセイがあります。
美味しそうな手料理が季節ごとに書かれていて、読んでいるだけで辰巳家の奥床しい雰囲気が伝わってきます。美味しそうなので、私も作ってみたいと思いました。だけど、分量とか加熱時間とか全然書かれていないのです。
なぜなら、「そういうものは自分の手と体で分かっていきなさい」という趣旨のようなのです。
もうね、「えーいクソっ!レシピって分量とかあってナンボぢゃろがー!」って、腹が立ちましたね。最初は。
だけど、だんだんとわかってきました。
辰巳さんは、上手に計量できることを求めてるんじゃない、台所での身のこなしや立ち回りが巧みになることを求めているんだ、って。
そのことは、辰巳さんの独特の言葉遣い「料理を展開する」……例えば、炒め玉ねぎを作り置きして、そこからハンバーグなりルーから作るカレーなり、次の料理へと広げていくような……にもよくあらわれていると思います。
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その辰巳さんの考え方と、お醤油を「ひと回し、ふた回し」と注いでいく目分量なやり方は、非常によく合致している。そんな気がします。
「醤油を大さじ1」、は鍋の大きさや作る分量が変わったら、いちいち計算し直さないといけません。
だけど、「ひと回し、ふた回し」というやり方は、大きい鍋なら大きい鍋なりに、小さい鍋なら小さい鍋なりに、融通無碍に使えます。さらには、集会所の大鍋でどっさり煮物を作るときだって、一升瓶から直接醤油を注ぎながら、「ひと回し、ふた回し」と数えている声が聞こえてくるような気がします。
そしてなおかつ、煮汁の色を見て、「よしっ!このくらいで丁度」なんてつぶやいてるんでしょうね。
そうです。「もーこの目分量、ちょーウケる、草生える」みたいなのが、実はどこでも使える料理の勘所をグッと押さえた「いちばん生きてるレシピ」なんだと思うんですよ。
もちろん、料理下手にとっては、分量をかっちり計り、加熱時間もきっちり計ったレシピが必要なのはいうまでもありません。だけど、それはいつかは離れるもの。
だから大切なのは、なぜそうなるのか、タイミングはどうはかるのか、という五感を駆使したツボを押さえておくことだと思うのです。
それにより、大さじと小さじでガチガチに縛られたレシピから自由になり、ありあわせのものをさっと美味しくできるようになるのですから。
《追加》
田村浩二さんの記事↑が、自分の言いたかったことと重なっているような気がしたので、ここに追加しました。
この記事で田村さんは、豚肉を加熱する適温を徹底的に追求しています。
温度を1度上げてはカットして断面を確認する、という徹底した実験と検証。そして得られた「58度が適温」という結果をベースにした上で、
温度と見た目と感触。この全てを頭で理解した上で肉を焼くと、頭の中には常に肉の温度変化のグラデーションがあり、求める状態への精度は段違いに上がる。こうゆう説明を若い段階で知っていれば、肉を焼く技術は格段に上がりやすくなる。
さらに、記事の前半ではこうも言っています。
毎回温度を測るだけでその状態を自分で覚えなければ、それはただの作業であり、身に付かない。そうゆう仕事をしている人は、いつもの調理場を離れ器具がなくなった瞬間何もできなくなる。
家庭で料理する上でも、こういうことをもっと知りたいです。
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そんなわけで、五百蔵は、五百蔵のように死ぬほど料理が苦手で嫌いで、だけど料理から逃れられない人のために、がーっと「楽できるツボ」がつかめる料理の作り方をまとめてみたくなったんですね。
自分でも文中で何度か「ガレージキット」という言い方をしていますが、そういうことなんです。
つまり、ベースだけあって、あとは自由にどうぞ!って、いう万能の鍵みたいなレシピがほしいんです。
それは、五百蔵がアレルギーで食べ物にいくつも制限があることも関係しています。
普通のレシピって、たいてい何かしら使えない食材があって……結局、換骨奪胎しまくらないと自分が食べれるものにならなかったりします。
そう、料理しながら、レシピがスクラップ・アンド・ビルドされる感じなんです。
「だったら、最初からガレージキットなレシピのほうが、汎用性が高いじゃん!」って思いました。
で、「どこにもないなら、そういう観点で作ればいいや!」って。
そんなわけで始まった「頭のわるいレシピ」です。
はじめにあげたデイリーポータルZの記事の中で古賀さんがつかっていたので、そのまま拝借しました。
「アホなのか利口なのかよくわからないミステリアスな(?)ポジション」にいたい五百蔵には、うってつけの名前だと思います。
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最後に。
「頭の悪いレシピ」のマガジンについてです。
作った当初は自分の記事だけを収めていました。が、それでは自分も料理について考えるために使い勝手が悪いし、本気で悩んでいる人には無力すぎるので、他の人の記事も収めていくことにしました。
おもに、シンプルなレシピ、アレルギーでも食べれるレシピ、料理の勘所がつかめる読み物、なんかを集めていくのではないかと思います。
もちろん、これらの記事は頭は悪くありません。頭が悪いのは五百蔵の記事だけです。
よろしかったら、フォローしてみてください。
《頭の悪いレシピ》のマガジンもあります。
https://note.mu/beabamboo/m/m720f88c2485a
自己紹介的なマガジン、《五百蔵のトリセツ》
https://note.mu/beabamboo/m/m585d8928b5cc
いま、病気で家にいるので、長い記事がかけてます。 だけど、収入がありません。お金をもらえると、すこし元気になります。 健康になって仕事を始めたら、収入には困りませんが、ものを書く余裕がなくなるかと思うと、ふくざつな心境です。