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ポンコツストーリー3 -「ビッグアイズ」と子どもの感性-

私はポンコツだ。

これは、謙遜でも卑下でもなく事実である。


前回の図工の授業での出来事で思い出した幼稚園時代のエピソードを書いてみる。


私は近所にあった幼稚園に通っていた。
キリスト教の教会が運営している幼稚園だが、ミッション系と呼ばれるようなお坊ちゃま、お嬢様が通う感じの高級な幼稚園ではない。

この幼稚園についてきちんと調べてみたら、関東大震災後、貧しい家庭に生まれ、戸籍もなく学校へ行けない子どもたちに、教育や食事の機会を与えるという福祉事業となる尋常小学校が前身となっているとのことだ。

私が通う頃には幼稚園のみになっていたわけだが、いわゆる私立のミッション系の幼稚園のように大学までエスカレーター式であったり、幼少のころから英才教育が施されるなどの教育ではなく、自由にのびのび、個性や自立性を伸ばすことに重点が置かれた教育方針であったようだ。

この幼稚園で私は、教育方針に沿って自由と自立性を確立し、創園以来初となる脱走者となったわけだが、個性もこの時点から頭角を現していたようだ。

幼稚園なので、お絵かきの時間がある。
自由な園風なのでみんなで同じことをするというわけではなく、絵をかきたい子はこの部屋に、外で遊びたい子は外で…といった感じだ。
その日、私は絵を描きたかったようだ。
恐らくは、テーマなども特に与えられることなく書きたいものを自由に書いてよいという内容だったかと思う。
残念ながら、私はこの絵を描いたときの記憶はない。
何を思い、何を願い、何を伝えたくてその絵を描いたのか不明だ。


幼稚園から、息子さんの描いた絵だと母に手渡された一枚の紙。
画用紙一面、真っ赤なクレヨンで塗りつぶされていた一枚の絵。
母親は私に尋ねる。


「これは何を書いたの?」


母親の気持ちになってみると穏やかではなかっただろうと思う。
精神的に病んでいるのではないだろうか。
発達に問題があるのではないか。
次々に心配の種が沸き上がってきたはずだ。
母の声は穏やかだったと記憶している。
努めて穏やかに尋ねたのだろうと思う。
私は答えた。


「高速道路の火事!」


「ファッ?????」


母親の頭の上にはたくさんの?マークが浮かんでいたであろう。
高速道路は父の車で何度も走っているが、火事はおろか事故ですら目撃したことはない。
なぜ火事なのか?
なぜ高速道路なのか?
なぜそれを描こうと思ったのか?
今となってはその答えを知るものはない。
だが一つはっきりしていることは、この「高速道路の火事」という前衛的な現代美術を生み出した当時の少年は、ポンコツながら人と違った感性を育みつつスクスクと成長し、今では大人になってタイのバンコクで暮らしているという事だ。

恐らく今の時代であれば、あんな絵を描いた時点で心の病を疑われていたことだろう。
それを受け入れてくれた幼稚園と母。
これは時代のせいなのか、自由な園風のせいなのか不明だが、私の芸術性を語るために欠かせないエピソードの一つになったことは確かだ。

書かれた絵に心の状態が投影されることがあるであろうことは否定しない。
当時の私の心の状態がどうであったかも定かではない。
だが、子どもの感性を認めつつ程よく放置することも大切なのではないかと思う。



絵と関係した映画は多くあるが、今回はティム・バートン監督の「ビッグ・アイズ」を取り上げてみたい。
ちなみに、このnoteのシリーズの一本目で何となく映画を取り上げてしまったので、惰性で結びの部分で映画を紹介するような流れになっているが、もし何も紹介されずに終わっていても気にしないでほしい。
映画を紹介したくて書いているものではないし、なんとなくエピソードを書いていて思い浮かんだ映画を書き連ねているだけなのだから。

この映画は実際に合った出来事を元にした映画だが、絵の作者の人生が波乱万丈すぎてグイグイ引き込まれる。
ネタバレにならない部分だけであらすじを書くと、幼少期の記憶から目には相手の心が表れると考え、目だけ異常に大きく書く画風の作者。
この絵が多くの人に認められるが…という話だ。
見たことのない人には何のことだか全くわからないと思うが、これ以上書くとネタバレにつながってしまうのだ。

今回のエピソードと関係するのは、幼少期の記憶は描く絵に大きな影響を与えることがあるという部分だ。
それが、手術などの経験であったり、精神的に大きな圧力を感じたものであったりとそれぞれだろうが、いずれも悪い事ばかりではないように思うのだ。
いじめられている子の絵が心の状態のサインになっていたというニュースも見たので、心のサインを受け取る一つの目に見える方法ではあると思うが、新しい芸術作品が生まれるきっかけにもなると思っている。
なので、心のサインとして受け取れるものであればケアしてあげてほしいし、それ以外であれば心配しすぎることなく、子どもの感性を伸ばしてあげる方に目を向けて欲しいのだ。

とはいえ、私の「高速道路の火事」という作品は、家に飾られることも後世まで残されることもなく、私ですらうっすらとした記憶に残る程度であるし、その後の作品も特に際立ったものはないので必ずしも芸術が生まれるというわけでもなさそうだが。

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