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ハードボイルド書店員日記【128】

「30冊で希望出して5冊しか入らなかったみたいです」

やや肌寒い金曜日。週末から施設主催のキャンペーンが始まるせいか客足は疎らだ。相変わらず不毛な荷物が多い。棚下の混雑状況はすでに朝8時の東京メトロ日比谷線を超えている。魔女の一撃を食らった直後みたいにおそるおそる動かさないと、本が奥のスペースへ落ち込んでしまう。

「待っていないものがイナゴのように襲来して、置きたい書籍や雑誌は凶作。世の不条理そのものですよ」

空いている昼の時間帯。文芸書担当とレジへ入る。彼女は「美ST・増刊号」が瞬殺されたことを頻りに嘆いていた。「たしかにこういう状況が続くなら、事前予約は受けられないな」「トラブルを避けるためにもその方が無難ですね」「東野圭吾はどれぐらい入った?」記念すべき100冊目の著作である「魔女と過ごした七日間」も本日発売だった。

「どれぐらいだと思います?」「少なくとも100は」「40です。だいぶ減らされました」耳を疑った。そんなしけた数は土日でなくなる。多くのファンが待ち望んでいるのに。「『ラプラスの魔女』シリーズの新作ですが、前作の『魔力の胎動』がウチでは売れ行きが芳しくなかったようで」「なるほどな」当時彼女は別の棚の担当だった。人気作家の人気シリーズゆえ、相応の販売実績がなければ満数は送ってもらえない。

「町の本屋さんだと、30冊希望して1冊入荷なんてことも珍しくないみたいです」「シビアだな。数を見極める目と責任感が育つ気がする」「ですね。ウチみたいに大雑把に注文して大雑把に返品していると、こういう時に困りますから」「にしても40か」「まあ『ガリレオ』や『マスカレード』ほどは動きませんけど」お客さんが来たので中断した。

「東野圭吾のシリーズだと何がいちばん売れる?」電話対応や問い合わせをこなし、またふたりでカウンターに立つ。「どの年齢層にも『ガリレオ』は強いですね。あとは『新参者』の」「加賀シリーズか。『悪意』と『私が彼を殺した』が忘れられない」「先輩は加賀推しですか?」頷きかけていやと首を振る。「マル笑シリーズだな」「マル笑?」「4冊すべてが『○笑小説』という題なんだ」正式な呼び名は知らない。

「どんな感じですか?」「ブラック寄りのユーモア短編集。『怪笑小説』に収録された『超たぬき理論』が有名だ」「聞いたことあります」「狸には超能力があり、UFOの正体は文福茶釜だと信じている男の話だ」「だいぶパンチが効いてますね」マスクの下で頬の内側を噛んだように見えた。

ここまで暇だと反動が怖い。いまのうちにとカバーを折った。売り上げが先に来るか後に来るかの違いでしかないのなら、キャンペーンでポイント還元をした分だけ施設にとって損だろう。「さっきのシリーズ、出版社は」「集英社。問い合わせを受けたついでに文庫の棚を見たら、最後の『歪笑小説』だけあった」「やっぱりブラックですか?」「文壇の実情に材を取った短編集だ」今度は明らかに苦笑を浮かべる。「確定ですね」

たとえば、と言葉を繋ぐ。「文芸誌の編集部を舞台にした『小説誌』という話がある。職場見学に来た学生たちから耳の痛い指摘をされるんだが、それに対する返答が本音ダダ漏れだった」記憶を探る。たしか175ページ。

「納期? そんな言葉が連中に通用すると思うか。ふつうの仕事ができないから作家になったような人間たちだぞ。あいつらは子供と一緒なんだ。夏休みの宿題を八月三十一日にならないとやらない小学生と一緒だ」
「それ以下の奴だっている。平気で締切を無視しやがる。威張りながら原稿を落としやがる」

俯いている。肩を小刻みに震わせている。「…何ですかそれ」「人気と実力の伴った作家だから書ける内容だな」「たしかに」顔が真っ赤だ。「小説家ってそういう人ばかりなんでしょうか?」「知らない」そんなことはないはずだ。たぶん。

「先輩もどこかに小説を発表してますよね?」「noteに」「続いてます?」「どうにか。仕事じゃないから」「それでも毎週決まった日に新作を出すのは大変では?」「大変だよ。今日も帰ってから案を練る」「締切ないからいいやとか思わないんですか?」「締切を破っても許されるような大傑作は書けない。遅刻やズル休みを繰り返しても店を儲けさせる書店員とも違う。だからせめて納期を守り、無遅刻無欠勤を保つ。それだけが取り柄なんだ」

自虐トークをしたいわけではない。だが時々は己の限界と長所を見定めておくのも悪くない。今週もいつか締切ができたときに備えて準備をする。そして友人知人から嗤われるのだ。捕らぬ狸の皮算用と。

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