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ハードボイルド書店員日記【118】

「息抜きにすぐ読める本、あるかな?」

繁忙期が続く正月明け。入荷は4日に再開した。雑誌と新刊はそれなりの量が来ている。補充分はまだ少ない。一部の棚で地肌がだいぶ露出している。ひとつの風物詩だ。すぐ戻る。

自分の荷物を出し終え、担当が休んでいる実用書に取り掛かる。「ゲッターズ飯田の五星三心占い 2023」が種類によっては売り切れている。惜しい。占い本と暦は年末年始が最大の稼ぎ時なのだ。ビジネス書では「バナナの魅力を100文字で伝えてください」が好調だ。年末のギリギリで注文したのが今日入ってきた。

品出しを終えたら万引き防止の巡回。コミック、ラノベ、雑誌。バーゲンブックのコーナーの前で声を掛けられた。背の高い男性。初めて見る顔だ。年齢はほぼ同じ。海外ブランドのものと思しき黒いトレンチコートの生地を見る限り、年収は最低でも5倍以上。左手の薬指も空き家ではない。

「ジャンルの希望はございますか?」「何でも。サクサクいけるやつなら」これぐらいの無茶ぶりなら可愛いものだ。先週は年配の方から「少し前に○○書店で見掛けた国防の本、ここにもある?」と訊かれた。タイトルも著者も曖昧。積んでいたのなら新刊かもしれないが、それすらも覚えていない。さすがに絞り込めなかった。

「こちらなどいかがでしょうか?」PHP研究所から出ている「シャア専用の言葉」を目の前の棚から抜き出す。「お、ガンダム」「お好きですか?」「うん。Zとか」「わかります」同世代でガンダムを嫌いな男性はあまりいない。懐かしそうにパラパラ捲っている。「本当に言葉だけだね。解説も何もない」「ええ」「これは売れないよ」たしかに絶版だ。しかし彼は知らない。発売日に購入し、いまも家で読んでいる人間がすぐ横にいることを。

「私のオススメは」「ん?」「106ページです。こう書かれています。『チャンスは最大限に生かす。それが私の主義だ』」「……ホントだ。すごい」言うほどには驚いていない。「バーゲンブックなら定価よりだいぶ安いんだよね?」「そうです」「じゃあいただくよ」本はバーゲンブック、アウターはハイブランド。富裕層のライフスタイルが垣間見えた。村上春樹の長編をすべて単行本で揃え、無印のデニムとユニクロのフリースを着続けるどこかの書店員とは雲泥の差だ。

「あとは何かある?」「Zガンダムがお好きなんですよね。ZZは?」「あれはアムロもシャアもいないから」閃く。「少々お待ちくださいませ」

「お待たせいたしました」ラノベの棚から持ってきた「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア ベルトーチカ・チルドレン」を手渡す。「懐かしいね。映画好きだったよ」「お読みですか?」「とっくの昔に手放したし、内容も覚えてない。小説の方はベルトーチカなんだっけ?」「はい。チェーンではなく」主人公アムロ・レイの恋人であるベルトーチカ・イルマはなぜか映画に登場しない。代わりにチェーン・アギという女性が同様の立ち位置で活躍する。「今更だけど、あれ何でなんだろう?」「理由らしきものがこの本のあとがきに」「え、そうなの?」「私の記憶がたしかならば」「ああ『料理の鉄人』だ」世代が同じだと話が早い。

「さっきのやつ、できないの?」「さっき?」「ページと書かれた内容を覚えてたでしょ」リクエストされるのはなかなかない。「では最初のページの最初の一文を」何度も読んで頭に焼き付いている。

「朝、起きるのが遅くて良いというのは、幸福なことだ。だからと言って、いつもいつもそうなら、それはとても不幸だろう」

「…なるほど」浮かびかけた苦笑を噛み殺し、神妙な顔で頷いている。「隣のページにはこうあります」思い出すまでもない。青春時代のバイブルなのだ。

「一生がバカンスだったら、人は上手に生きられないってこと?」
「そんなことになったら、ほら、気持ちの良いことっていう感覚的判断は、できると思う?」

深いなあ。深い。昔はそんなところまで読み込んでなかった。嬉しそうに2冊とも購入してくれた。「一生がバカンスだったらって焦がれることもあるけど、そういう時はこの本を思い出すよ。ありがとう」ハイブランドのコートを愛用する既婚のロスジェネ。きっと私には想像もつかない様々な重荷を背負っているのだろう。読書をじっくり楽しむ暇もないほどの。

おかげで己の甘さを見直すいいきっかけをもらった。まさしくチャンスは最大限に。しかし私にはああいう生き方はできない。理由は最初の本の35ページ。そこにはこう書かれている。「坊やだからさ」

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