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問われるのは「大義の是非」

初めて「村上RADIO」を聴きました。

毎月最終日曜の19時から放送しているようです。

今回は「再びアナログナイト」とのことで、春樹さんが自宅にあるアナログLPをたくさんかけてくれました。渋い声とやや舌足らずな語り、そして名曲たちが心地よかったです。あと大学生時代に水道橋のジャズ喫茶でアルバイトをしていたというのは初耳でした。どこかで読んだけど忘れていたのかも。

関東在住の方は、放送から1週間以内でしたらradikoで無料で聴けます。ぜひ。

番組内で、春樹さんが神宮外苑の再開発について話していました。

彼が神宮球場の外野席でプロ野球を観戦中に小説を書こうと思い立ち、デビュー作「風の歌を聴け」の執筆に取り掛かったのは有名なエピソード。あの界隈での生活が長い方だし、反対する気持ちは理解できました。

私はいわゆる「駅前再開発」で勤めていた書店が閉店し、職を失った経験があります。数年後に訪れたところ、馴染みの蕎麦屋がなくなり、なんとも味気ない高層ビルがいくつか建っていました。がっかりしましたね。「こんなものを作るためにハローワークへ何度も足を運ぶことになったのか」と。

一方でかつて通っていた校舎が移転し、新しくなり、冷暖房が完備されたと聞けば「よかったね」と思います。よく雨漏りしていたし、真夏の教室はサウナでしたから。学生や教員のことを考えたら、思い出の場所が失われたなんて感情は芽生えません。

こういう場合に問われるのは「なぜやるのか」という大義の是非ではないでしょうか?

新国立競技場のために住み慣れた家とコミュニティを奪われる人がいたのは明らかにおかしかった。今回のケースだと神宮球場と秩父宮ラグビー場の老朽化はわかります。でもそれらの建て替えのために歴史ある樹木を大量に伐採することがどうしても必要なのか?

関連書として↓を紹介させてください。

引き続き状況を注視していきます。

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