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学生時代のこと

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看護学校の寮生活や、思春期ならではの馬鹿馬鹿しくも愛おしい日々のことをまとめています。
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その日々

その日々

ああいやだ、いやだ。
驚いてしまった。
前回のnoteを書いてから1ヶ月近く経ってしもうてるやないの。
不思議だが体感5日くらいである。
呑気にもほどがある。
何か特別なことでも起きていたのかと言うと、

特にない。

それが恐ろしい。
何かもんのすごいことに取り組んでいたとか、何かものごっついことを成し遂げたとか、そういったことが一切ないのに1ヶ月も経っているということが恐ろしい。

ただただ通

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戴帽式のこと

戴帽式のこと

ナースキャップというものを着けなくなってからずいぶん経つ。
あれは一体なんのために着けていたのだろう。

精神科病棟ではただただ邪魔だった。

不穏、興奮状態にある患者さんにとって1番つかみやすいのがナースキャップである。
サッと手を伸ばせばそこにナースキャップ。
非常につかみやすいデザイン。
しょっちゅうむしり取られては床に投げ捨てられていた。
ナースキャップは3ヶ所を白いピンで固定しており、む

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入学式と宝物

入学式と宝物

入学式の季節がやってくる。

小〜高の入学式はほとんど記憶にないが看護学校の入学式だけはハッキリと覚えている。
私にとって大きな出会いがあったからだ。

寮生活となる私は入学式の数日前に「入寮式」というものを済ませていた。

入学式の日は水色のワンピースの上に真っ白なエプロンスカートというユニフォームに身を包み、寮から学校へと向かった。
(私の卒業校は付属の病院があり、病院も学校も学生寮も職員寮も

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初めてのまとめ役

初めてのまとめ役

私は女子高の出身である。
創立100年近い学校で「茶道」「華道」「お琴」の授業もあった。
制服は清楚を絵に描いたようなセーラー服である。

その清楚なセーラー服のスカートを、ルーズソックスとのバランスを考えながら短くすることに私たちは一生懸命だった。
(ちなみにスカートの裾に特徴的なワンポイントが入っていたため裾上げはできなかった。)

毎朝スカートのウエスト部分をグルグルと丸め込み、丈を短くして

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看護実習(1対1看護)

看護実習(1対1看護)

看護学校では2年生の秋頃から約1年間の長い長い臨床実習が始まる。
病院のみならず保健所や保育園、包括支援センター、老人ホームなど様々な場所での実習が待ち受けている。

実習(とくに病棟)の恐ろしさは、寮で先輩たちが日に日にやつれて老け込んでいくのを目の当たりにしていたため充分に知っていた。

…つもりだった。

実際の実習は想像の10万倍つらかった。

まずレポートの量に辟易した。
分厚いレポート

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風呂と十六文キック

風呂と十六文キック

以前、学生寮のことをチラっと書いたが今日は寮の風呂について書こうと思う。

60人弱の学生が暮らす寮に中途半端なサイズの共同浴場がたった1つ。
浴場の中央に決して広くはない円形の湯船が1つ。小さなマーライオンから温度も勢いも安定しない湯が流れ出る湯船だ。

浴場の壁に沿い「コ」の字型にカランが並んでいる。カランは15台。
しかし隣りの人に湯が跳ねないよう1つずつ間隔を空けて使用していたため、1度に

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先輩と添い寝

先輩と添い寝

実習生さんと学生寮の話になり、今の時代の寮と私が過ごした学生寮との違いに愕然とした。
今は寮と言っても普通のマンション暮らしとほとんど変わらないのだな、と驚いた。

私の学生寮は上級生との二人部屋だった。(と話しただけで今の学生さんは悲鳴をあげた。)
広さは6畳ほどで机が背中合わせに2つ。
布団を敷くと先輩と添い寝状態である。

テレビ、クーラーなし。
炊飯器、ポット、扇風機、ラジカセなどの電化製

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哲学と肩パッド

哲学と肩パッド

看護学生時代に哲学の授業を受けた。
東京の大学からド田舎の学校までわざわざ女性講師が来てくれていた。

初めてその先生を見た私たちは若干ざわついた。アメフトの選手のような肩幅だった。
主張の強い肩パッドが、その先生の迫力をカサ増ししていた。

授業は難しく退屈だった。
私は先生の話を聞いてるふりをして、窓の外の景色や器用にペンを回す好きな人の長い指を眺めたりしていた。

突然「そこのあなた立って」

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