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間もなく86歳老人日記
2023年12月11日(月)
「海の波」のビデオを撮りに行った。家から歩いて十分ほどの、湘南の海「虹ケ浜」に。今日の波は穏やかだった。空は曇り空であったが、暖かい。人影は、いつものことながら、まばらである。
遠くの方で、波打ち際で釣り糸を垂れている人がいる。こんな波打ち際まで、魚が来るのかと、いぶかしく思っていた。
ところが、しばらくして、私の目の前で、大きな魚が飛び上がったのである。波打ち
ロイヤル コペンハーゲンと北欧デザインの煌めき展
先日、横須賀美術館に、ロイヤル コペンハーゲン の展覧会に行ってきました。コンパクトな展覧会ながら、とても落ち着いていい雰囲気でした。展覧会の中で、これは写真を写していいよと出ていた場所が上の写真の所です。
同時に、谷内六郎展もやっていました。週刊新潮の表紙を飾った,我々の世代には懐かしい絵です。
谷内六郎とロイヤルコペンハーゲンは、コラボしていて、週刊新潮の表紙の絵が、ロイヤルコペンハーゲン
ネアンデルタール人とホモサピエンス
ネアンデルタール人が絶滅した理由と、我らが祖先ホモサピエンスが獲得した、子孫が続いていくための肉体の違いを読み、そんなものなのかと、分からないところもあるが納得できた。だが、現代人の男子の精子の数の減少、などを読んでいると、折角良い資質をホモサピエンスは獲得したにも関わらず、別の理由、精子の数の減少ということで、ホモサピエンスは、ネアンデルタール人と同じく、20万年か30万年先に絶滅するかもと、考
もっとみる愛のコリーダのシナリオを読んで
コリーダって闘牛という意味なんだって。
阿部定の事件が起こったのは1936年のことだって。
私が1938年生まれだから、私が生まれる2年前の事件なんだ。
だから明治30年生まれの祖母などは、歴史上の事件でなく同時代の事件として口に出していたんだわ。私にとってはもう歴史上の事件という感覚です。
ところで映画のシナリオですから、性の営みの描写あり、セリフありですが、読み進んで行って、その営みが昇華
ノストラダムスの予言
「ノストラダムスの予言」
1999年7月、夏休みの前日、後ろの席の智
子が、真理子の背中をつついた。真理子は、
英語の加藤先生が板書しているのを見計ら
って、振り向いた。智子は白い紙切れを、
差し出した。真理子は素早く受け取った。
「ノストラダムスの予言の7月が終わろう
としているが、まだ安心はできない。もしも
30日まで何も起こらなかったら31日が危な
い。その日は裏山の洞窟にこもって一緒
オスカー・ワイルド作「サロメ」と原田マハ作「サロメ」の感想文
年末『サロメ』にはまってしまった。
以前よく絵の展覧会に行っていた時、宗教画みたいなものを訳も分からず見たものだ。
聖書のことなど何も知らず、知ろうともせず、『サロメ』って何なの気持ち悪いねって、見たくないもののうちに入れていた。
でも、頭の中にひっかっかていたのだろう。
図書館で書棚を見ていたら、原田マハ著『サロメ』という本が目に入った。
私は少しでも利口にならねばならないと思ってその本を借り
秘められた青春- 昭和の娘 芙蓉と葵 -
(1)
芙蓉は庭の水仙を切って紙にくるみ、ピンクのリボンをかけて、杉野先生のマンションを訪れた。
マンションに杉野先生がいらっしゃるかどうかは、賭けのようなものだった。日曜日、先生は時々田舎の実家のほうに帰られる。芙蓉は胸をどきどきさせながらインターホーンを押した。
「おお、紺野か」という声が聞こえて、先生はガチャっ
平野啓一郎著『富士山』について
どんな経緯からだったかは忘れたが、私は平野啓一郎のメールレターを受信し始めた。
ついこの間届いたメールレターに、月刊誌『新潮』(新年号)に、『富士山』という小説を書いたので読んでくださいと書いてあった。
年末のある日、天気も良く温暖で風もなかった。こんな日に家にこもっているのはもったいないと思い、図書館に出かけて行って、小説『富士山』を読んできた。
筋はというと、アラフォーのキャリアウーマン
満腹料理・大人も子供も大満足の「ホッペルポッペル」
加奈子は小川のほとりに座っていた。クリーム色のサテンのブラウスに、赤と黒の格子縞のフレアースカート、それに、白いソックスとベージュ色のスニーカーを履いていた。
柔らかい日差しがもうすぐ春が来るのを告げていた。
流れの早い小川の水はきらきらと光っていた。時折、枯れ葉が加奈子の目の前を過ぎていく。赤ん坊の手のひらのような小さな枯れ葉や、グローブのような大きな枯れ葉が、気持ちよさそうに水と一緒に滑