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うつ病で休職している私の就活体験記

過去の記事を見てもらえれば分かるように、
私は現在、中等症以上のうつ病になり、休職中である。
元々、「うつ病は甘え」という考えだった人間だったのだが、コロナで職務の内容が変わり、
夜寝られなくなった。
最初は頑張って会社に行っていたが、その内眠れない日が増えていき、ついには会社に行く事が出来なくなった。
そこから紆余曲折あり、現在約180連休中の真っ只中。
絶賛休職中の身である。
詳しくは過去のnoteを見てもらえばありがたい。

そんな私は現在31歳で今休職している会社は通算3社目の会社となる。

大学生の時、就職活動を真面目にしていなかった私は、某牛丼チェーン店に新卒で入社した。

何社か受けたが、最初に通ったのがここだったし、
面接でモンハンの話をしていたらいつの間にか採用となっていたので、馬鹿な私は「もうここでいいや。どうせ仕事内容もバイトの上位互換みたいなものだろう」とあっさり入社承諾をした。

いざ入社してみると地獄だった。
新入社員は120名程。まず一日目の研修でこの牛丼チェーン店の闇を見た。
座学だった。6人1チームのグループだったのだが、
研修担当が「これ分かる奴はいるか?」と聞いてくる。
するとみんな普通にまずは手をあげる。 しかしそれでは当てられない。 研修担当「そんなんじゃ誰も当てられへんぞ」と研修担当が言った。
じゃあどうする?その場で EXILE の Choo Choo TRAIN をやったりみんなぴょんぴょん飛び跳ねたりとにかく自分をアピールするのだ。
その上で研修担当に当ててもらい回答するそういう研修だった。
何やねんこれと私は思った。
ただ研修仲間に恵まれていたのでその研修自体ではやめようとは思わなかった。3ヶ月の本社での研修が終わると各店舗に行き副店長として働く。
ここからが本当の地獄だった。
私が働いていた店舗はアルバイトの数が少なくその穴を正社員が埋めるというような状態だった。
つまりほぼ深夜。 毎日夕方の17時から毎朝翌日の9時まで一人で店を回す。 連続20連勤したこともあった。 休憩時間なんてものはなくそれでも労働基準法に則って休憩を取らずとも休憩を取ったようにシフトを細工した。
月の休みは1日2日。その当時、実家から通っていたが、母親曰く本当に私の顔は死んでいたそうだ。
新卒で入社して8ヶ月頑張ったがもう心と体に限界が来た。
そんなこんなで一社目の牛丼チェーン店は約8ヶ月で幕を閉じた。

一社目の牛丼チェーンをやめた後数ヶ月間ブランクが空いた後、アルバイトとして某レンタルショップに入社した。
ここは大学四年間働いていた地で、面接もすんなり通り、みんなが「よく戻ってきてくれた!」と言ってくれた。
バイトではあったが、親は何も言わず受け入れてくれ、人間らしい生活をすることができていた。
バイトではあったが、毎日が楽しかった。

そうバイトという点を除けば完璧な職場だった。

しかし一生バイトではいられない。
当時私には彼女がいた(現在の妻)。
その彼女が「私はフリーターとは結婚はしない」と至極真っ当な事を言ってきた。
ソレを言われちゃ就活をするしかない。

一年近くバイトしていた私はまた腹をくくり、
就活をしたのであった。

2社目は就活して直ぐに採用された。
が、それが大きな間違いだった。
2社目は某非鉄金属メーカーで総務として入社をした。
就業時間は8時半から17時半。
しかし入社初日から6時50分には会社に着いていないといけなかった。もうすでにおかしい。
が更におかしい事がこの後待っていた。
私は総務として入社した。その日にプリンターが壊れたのだ。会長が「おいお前、総務として入社したなら、プリンターの1つや2つ治せるやろ!」と言ってきた。
「は?」直せるわけねーたろ。と思いつつ、色々イジる。勿論、故障はどうしようも出来無い。
そう思った瞬間、会長に思い切り殴られた。
一体何が起こったのか分からなかったが、
とにかく思い切り殴られたのだ。

「え?」頭の中が真っ白になった。
周りは誰も助けてくれない。そらそうだ。
次は自分に来る、そう思っているからだ。
みんなが綱渡りをしている。落ちそうになっても誰も助けない。見て見ぬ振りをする。

これが噂に聞くパワハラかよ、凄いババ引いてしまった…入社してから僅か3時間で退職を決意したのであった。
ただお金がない。地元からこのクソ会社の近くに引っ越したのでお金がなかったのだ。
クソと思いながらとりあえず100万貯めるまでこのクソ会社で頑張ろうと思ったのである。
最終的に4ヶ月で100万貯まったので、すぐに辞めたが、私がいた4ヶ月の間に入社してきた新人が5人いた。
そして辞めた新人が6人いた。ほんとにやばいくらいのブラック企業だった。
給料日、給与明細を経理からもらうと、会長の所にダッシュで行き、大声で「今月もありがとうございました!」と頭を下げる。
会長の機嫌が悪いとスパナが飛んでくる。
会議のある日は何故かみんな始発。
カレンダーで三連休があると初日と最終日は絶対に出勤。
意味不明な事ばかりだった。

そして辞める事をつげる日。年内最後と出勤日の前日。上長に「今年限りですか辞めさせて頂きます」と言った。
勿論、上長は驚くが私の決意は硬い。
辞める許可が降りた。
最終日、まさかの39度を超える熱が出た。クソ会社の呪いだ。しかし、整理整頓をしないといけない。
出勤し、上長が私の顔を見る。
「熱はかれ。顔色悪いぞ」と言う。39度超えの体温計を返すが、結局見て見ぬ振り。
そのまま片付けをさせられ、夜の20時頃に全て終わった。

最後に社長に挨拶しに行った。一応社会人として。
「今までありがとうございました。」
すると社長は一言。
「お前はどこ行っても一緒やからな」

そんなこんなで2社目は幕を閉じたのであった。

1社目は地獄の日々就業時間でブラック企業。
2社目は絵に書いたようなパワハラ企業。
私の仕事運は全く無く、3社目へと続くのであった。

つづく

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