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視点の立ち位置を変えた場合

ほんじつのおもひ
助けてを言える社会、助けることができる社会


ざわざわした気持ちで、この文章をしたためています.
精神的に不安定になっているかたは、助長してしまうかもしれないので、ご注意いただければと思います.
支離滅裂で、論が破綻しています.
おもっきし、感情ばかりが根拠の記事です.


◆専門機関や行政のキャパシティ

「困ったら助けを求めてください」
「もっと健康に生きるために他者とつながりましょう」

いっこ前の記事で書いた事、間違いではないと、わたしは思っています.
だけどわたしの叩いた大口を、専門の現場のかたがたは、どう受け止めるのだろうと、ふっ、と思ったのです.

行政や専門機関にできることにも限りがある.
キャパシティがある.
対応しているのは、ひと、だもの.

そんな事を考え出すと、ひどく混乱してくる.

違うの、違うの.
ぜったいにぜったいに、ひとりで抱えこまないでほしい.
そこは本当に本当に、ためらわず、ぜったいに他者を頼ってほしい.

一方で、逆の立場のかたの事、考えていなかったな、って思ったんです.
行政や専門機関のかた.
「適切に対応していただきたい.悲しい結末にならないように」と思えども、人員や担当者の事情、専門機関にだって対応が難しい事だってあるだろうに.

後日談の記事を書きながら「なんて無責任な」「そんなのはただの理想だよ」と思っていました.
自分の違和感のひとつがここだったのだと、思います.

「苦しくて生きづらくて、死にたくて、なにもかも終わらせたいと思っているひと」にも、「今は大丈夫だけど今後のために、のひと」にも専門機関とつながっておいたほうがいいと思う.
心底、そう思う.
その思いは揺らぎません、変わりません.

だけど、受け皿である専門機関が手いっぱいゆえに救えない事だってありうると失念していたように思うのです.
相談先の現場のかたとて、一生懸命にしてくださっていると思うから.


◆板挟みになっていくわたしの考え

ひとりきりにならないでほしい.
だからひとをたよってほしい.
遠慮やためらうことなく、たよってほしい.

でも頼り先のひとにも苦しまないでほしい.

こんなの書いたら、困っているひとも頼りづらくなるよね、ごめんなさい.
言っている事めちゃくちゃですね.
現実は、理想通りにはいかない.
これは、解決できる問題なのでしょうか?
ひどく歯がゆく思います.



「わけわかんない、ぐちゃぐちゃ考えて.それを心配するほど、あなた偉いわけ?」とIF(イマジナリーフレンド)が言う.
ああ、ただ、こういう気持ち、ひとに迷惑をかけたくないからという気持ちで、援助をためらうかたもいらっしゃるのかもしれない、と書きながら思いました.

すみません、なにを書きたいのか、自分でもわかりませんでした.
ここまで見てくださって、ありがとうございます.

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