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死を思う時には


ほんじつのわだひ
死を考えることは生を考えること


以下は、2019年に、ある公募へ送り、ぼつになったエッセイです.
ちょっと気取った文章で、そこそこ長いです.苦笑
そういえば原稿用紙10枚以内が応募規定だったかな.

……りんは秋田ひろむ氏(amazarashiさん)の曲が好きです.
よく聴くの.
それでね、死にたいと生きたいっていう気持ちは、どっちも大切なものなんだなって思うんです.

4月、入学式、環境の変化.
心配しよるんよ. ひとりじゃないだろうか、と.



◆エッセイ「死を思う時には」

 なにもしたくなくて、ただただ朝の、昼の、夜の空気に身を預けてしまいたい時、延延とかける楽曲がある。「僕が死のうと思ったのは」(作詞・作曲、秋田ひろむ氏)。

 旋律、ぼんやりとしているのに入りこむ歌詞、聴きょうると落ち着いてくるのを感じる。題名の言葉は、冒頭から何度も何度も出てくる。というよりこの曲は、こう思ったのはこうだ、という理由がいくつも挙げられていくと言ったほうが正しい。この詞は、記憶に脳に思考に、沁む。

 初めて聴いた時、題名に対しての理由が、なにがあったとかこれがつらいとかいう直接的なものではなかったので、まったくもって意味が分からず、ワンフレーズからしばらく、なんじゃろうかと首を傾げていた。最初に『僕』が死のうと思ったのは、『ウミネコが桟橋で鳴いたから』。どうして。ウミネコが鳴いたからって死のうと思ったのはどうしてなのか分からない。ウミネコに昼食のパンを盗られた、いやな思い出でもあるのだろうか。なんで『誕生日に杏の花が咲いた』から、死のうと思ったんだろう。杏の花言葉に、臆病な愛、疑いなどがあるのが関係しとるのか。

 次の瞬間どきりとした。かわいい印象の杏の花の単語のあとに、虫の死骸という単語が出たところ。杏の樹の隙間から入ってくる陽光の下でうとうとしたら『虫の死骸と土になれるかな』。歌詞の情景がすぐに心に浮かんだ。そうして似たような想像をした覚えが何度もあると気づく。たとえば、淡淡と降ってなかなか止まない雨を窓の桟に肘をついて眺める時。ああこの雨の空気にひたっていたら、体の粒子がいっこずつ雨みたいに地球に落ちて溶けていけるのかな。たとえば、朝のきりりと張りつめた空気の中を少し遠くまで歩く時。その目的地に着くまでに、自分の醜い穢れた身体と心が透明な朝の空気で、なにものでもないなにか清らかなものになっているんじゃないかな。時時、そんなとりとめのない期待を感じている。

 それを皮切りに、述べられていく理由と、理由に付加される説明たちにどんどん引き込まれていった。こんな歌詞があるという事は、こんな気持ちになるひとがいると想像できるひとがいる、もっと言えば、作者自身が感じていたというなら。わたしが感じていたものはわたしひとりがひとりぼっちで感じていたのではないと思うと、なんとなく誰かが寄り添ってくれているように思った。

 苦しい毎日が同じで、昨日もなにもできなくて、今日もなにもできない。では明日も同じ事を繰り返すのか。わたしは誰かに責められたという経験はないけれど、ひたすら自分に言い立てられてはいた。だから、『明日を変えるなら今日を変えなきゃ 分かってる 分かってる けれど』と『僕』が言ってくれて、そう、そうなんだと叫びたくなった。今の状態とか自分が変わらんと未来は変わらないと分かっているのに動けないもどかしさ。変えたい一方で変わってしまうのも怖い。そんな矛盾。新しい場所も新しく芽生える感情も未知だから。

 『僕』は、『人との繋がり』を苦手だと言う。『僕』がたとえている、解けた靴紐を結び直すのが苦手と同じように。わたしもひととの繋がりは苦手だ。言葉、距離、感情、表情、組み合わせて混ぜ合わせて繋がりが成り立つ。良好な関係を結べていても、いつそれがうまくいかなくなるか分からない。それならいっそ独りでいたい。わたしは実はそういうところがある。ただし、自分だけの世界は安心できるけれども、時に温かいもの、たとえばひとに、抱きしめられたいとも思う。守ってほしい、独りではないと感じたい。そして独りの寂しさがなくなって誰かといるのが心地よくなると、傷つけられたりしない限り、もう冷たい場所に帰りたくなくなる。それはまさに、『愛されたいと泣いているのは 人の温もりを知ってしまったから』。
 
 現代には年齢を問わず、自ら命を閉じるひとがいる。理由はさまざま。いじめだったり仕事だったり、他にもいろんな理由で。かつて本気で考えた身としては、彼または彼女が、どのような気持ちで死を思うようになったのかを知りたいと強く思う。知るための手段を漢字で示すなら、訊きたいのではなく「聴きたい」。あなたが死のうと思ったのはどうしてだろう。あなたが眠りにつくまでに、なんとかなんらかの方法で聴かせてもらえんじゃろうか。いや、わたしはつまるところ、わたしでなくてもいいから、あなたにひとりぼっちになってほしくないのだ。

 わたしはインターネット上に作ったウェブサイトを、十一年前から、先述の主旨を変えずに運営している。時代の流れによるものか、今ではほとんど来訪者はいないが、たまにふらりと覗いてくれるひとがいる。サイトの掲示板に苦しいと残すひともいる。わたしは大元の運営会社の機能のひとつの書き込み通知メールを受け取ると、出来るだけ早くコメントを読む。会話をしたいというような書き込みには返信している。先ほどのように「苦しい」だけだったら返信はしない。ただ心の中で、「生きていてくれてありがとう。このサイトに来て、あなたの言葉を書いてくれてありがとう」と思うだけだ。

 もちろんインターネットでそのようなやりとりをしたり、そもそもそのようなウェブサイトを立ち上げたりする危険性については承知している。実際、少し前に死者の出る事件もあった。常に危険はつきまとっている。分かっていながら続けるのは、苦しいつらいと感じるひとがひとりぼっちになってほしくない、どこかに居場所を持てたらいいという想いがあるからだ。
そして逆に、わたしも救われている。もともとふたつ柱があり、ひとつは自分の居場所としての意味も求めたウェブサイトだ。十一年も続けてこられたのは、来訪者のかたがいたからだろう。中には実際に会ったひともいる。互いにつらいと感じる現実にあえぎながらも今を生きて時間を共有した。ここx県まで来てくれて、いいところだねとにこにこ笑ってくれたひともいた。名所を訪れてx県の空気と自然を感じたかたもいらした。またねと言い合ってそれきりになったひとも、どこかで楽しくしているといいなと思っている。

 次の歌詞に進む。『死ぬことばかり考えてしまうのは きっと生きる事に真面目すぎるから』。自分で言うのもなんだが、深深と嘆息するほどぴたりと来る。色色がんばりたい、好いひとでいたい。杓子定規で物事を考え、気を張りつめすぎてやがて心がぱんっと破裂する。わたしは真面目すぎるのだ。気を抜くのが本当に下手でしょうがない。

 この感覚、ふと死に引っ張られるひとにとって、たいてい当てはまるんじゃなかろうかと思う。世の中の多くのひとが、大切な命なのになぜそんなふうに考えるのだとふしぎに思い、ときには責め、怒る。いやいや違いないのだが、死を考えるひとほど、生を考え、真面目に考えているともわたしは思うのだ。壊れかけのおもちゃをぽいっとごみ箱に放るみたいに気軽に言うひとは、国の出している数字のうちどれくらいいるのだろうと疑問にすら思う。壊れかけたなにかを直そうと真面目すぎるくらいに考えて、重圧に耐えているひとがほとんどではないのだろうか。

 ここではたと立ち止まって考える問題がある。「つらいひとは誰かに助けを求めてください」と啓発されていても(わたしの「聴かせてほしい」もしかり)、苦痛に耐えるのにせいいっぱいならば、どうしていいかわからなくなっているのではなかろうか。周りへの意識も持てないかもしれない。陸上競技で完走を目指す選手が沿道の声援すべてに応える余裕がないように。そうすると、「聴かせてほしい」も実は現実に叶わない気持ちなのだろうか。そこへいくと無理な話かもしれないと、持っていた自信めいたものがしゅうっと小さくなっていく。驕りなのやもしれない。こうしてほしいとお願いしたり、強く働きかけて関わったりするのは。

 それでもわたしは、たくさんの考えや方法があるなかで、変わらずに願っていたいと思っている。どうか、目の前にいるひとも見えないところにいるひとも、独りになりませんように。だれとも比べられないつらさ、死のうと思った理由を伝えられますように。受け止めてくれるひとがちゃんといますように。たった独りで、誰のぬくもりも知らないで、気づかれないで、眠りませんように。
 最後に、「僕が死のうと思ったのは」の終わりは、『あなたのような人が生まれた 世界を少し好きになったよ あなたのような人が生きてる 世界に少し期待するよ』と結ばれている。わたしは想像する。このあと、『僕』は遂げたんじゃろうか。それとももう少しこの世界にいたのだろうか。楽しい事も嬉しい事も、つらくかなしい事も、暗くも明るくもあるこの世界に。


ここまで読んでくださったかたに感謝を.
長かったですよね;;;;;;(^_^;)
ありがとうございます.

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