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創作の糧(皆様の気になった記事を紹介)

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ライティングや創作のヒントになるような記事。特に再読したい記事をスクラップしています。素晴らしい記事を集めています。ご参考になれば幸いです。
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記事一覧

【エッセイ】初代ローマ皇帝アウグストゥスの最期の言葉

初代ローマ皇帝アウグストゥスの最期の言葉をずっと不思議に思っていました。 最期の時、友人に「私がこの人生の喜劇で自分の役を最後までうまく演じたとは思わないか」と尋ね、「この芝居がお気に召したのなら、どうか拍手喝采を」との喜劇の口上を付け加えたといわれています。 皇帝と名乗るからには、王よりも偉く帝国を統治していて、とても厳つい人間のイメージがあります。だから、ローマの国作りが喜劇の舞台で、アウグストゥス自身が喜劇役者で上手に国民を笑わしている姿は想像しにくいからです。

俳句コンテストでの類句検知に協力

概要2021年5月に、部員の西江友里、宮本稜太、宮本大輝が、国内最大規模の俳句コンテスト「伊藤園お~いお茶新俳句大賞」の選考過程において技術支援を行いました。投稿された句のうち、既存の作品と重複するものや著しく類似するもの(類句)の検知を行いました。このコンテストは今年で32回を迎え、近年では毎年約200万件の句が投稿されています。人手で行っている類句検知の労力を軽減するのが目的です。 詳細今回は一次審査を通過した約2万句について、既存句約100万に対する類句の検知を行いま

【書評】人工知能が俳句を詠む ―AI一茶くんの挑戦―

本書は、北海道大学の教授陣が、俳句を生成する人工知能である「AI一茶くん」を研究・開発し、現在の人工知能がどこまで達成し、なにができていないのかを紐解いた書である。 本書では、人工知能における俳句の意義について、次の通り述べられている。 人工知能の研究にとって俳句を扱う意義はどこにあるのでしょうか。私たちは、単に俳句を生成する人工知能をつくることを目的としているのではなく、最終的には人に交じって人と対等に句会に参加できる人工知能を開発することがゴールと考えています。人と対

【俳句】文芸上の真とは 水原秋櫻子をよむ

 俳句は、現実を”ありのまま”に書くことのみが正しいだろうか。  例えば暑い季節、山中へ赴き、一本の滝を目の前にしたとする。水しぶきや滝の巻き起こす風が涼しいだろう。岩には青々とした苔が繁茂し、天は緑の木々に覆われている。  この景を俳句にしたい。滝、苔、木々、風も水しぶきもすべて込めた句にしたいと思うのが人である。しかし、およそ俳句は一点に絞ったほうがいいらしい。五七五のわずか十七音にいろいろと盛り込むのは難しいからだ。焦点がぼやけて、何が言いたいのか分からなくなってしまっ

言葉はどこに

ボードレールは、「詩人が一人の批評家を含まないことは不可能だ。私は本能にのみ導かれる詩人たちを憐れむ。私は彼らを不完全なものと思うのだ」と言葉をのこしたし、「哲学について勉強するのではなく、自分で哲学しようとすれば、哲学でも芸術論でも同じことだ。丁度、あなたが彫刻を作るのと同じだ。それは、哲学論文風にではなく、詩のようにしか表現出来ないものだ。ぼくら文筆家にとって、言葉は粘土のようなものだ。それをこねあげて、真実に迫る。それは詩人の仕事です」と矢内原伊作が言うと、ジャコメッテ

【随筆】なぜ俳句の感想文を書くのか

 俳句が五七五で表現する文芸である点を知っていても、切れだとか、詩情だとか、深くまで知っている人は、私の周囲にほとんどいない。それは全く問題のない至極当然の事実である。  好きなことは誰かに勧めたい。自分から主張しては、お節介極まりないが、聞かれたのであれば、俳句は面白いよ、と偉人らの名句をみせる。  堂崩れ麦秋の天藍たゞよふ 水原秋桜子  芥子咲けばまぬがれがたく病みにけり 松本たかし  芋の露連山影を正しうす 飯田蛇笏  ほとんどの人が「どういう意味?」という。他、

未来9月号

未来9月号、届きました。 今月は8首掲載していただきました。 ありがとうございます。 冒険して作った歌も掲載してもらえてうれしいです。。。 すこしずつ麻酔が効いてゆく午後のくちびるうまく好きといえない 透明なゼリーのなかに差し込んだスプーンがいま本音にふれる すこしずつ麻酔が切れていく夜に歯ぐきのにぶい痛みはわたし 抜歯後の痛みのように慣れていくはずだったのにまだ泣いている 人参をぶらさげられて走り出すみたいに電車に乗ってしまった 人参の漢字は人妻に似てるねえ

どなたかの書いたものではたと気づいたのですが、夏の果物が大好きな理由。人は最初に食べたものに影響を受けるのではないかという。私は春生まれなので、おそらく離乳食で初めて口にした食べものは夏の果物の果汁だったのではないかな?と。桃や西瓜、初秋にかけての梨やぶどう……贅沢な春生まれ。笑

おぼろ月もうもう消えてゆきにけり 今から30分前くらいに、 ふと玄関先に出て見ますと、 おぼろ月がみえました。 一旦、家に入り、5分後、 また見に行きましたら、 もう雲に隠れて見えなくなって いました。 久しぶりに見た、明るいお月様でした。

真鍋呉夫の怖い俳句

残暑がきびしいからでしょうか。ある方から、「怖い俳句はないか」という質問を受けました。 突堤に指のかかりし月夜かな/真鍋呉夫(まなべくれお) 釣りが趣味の方でしたので、これをあげました。 『真鍋呉夫句集』 宋左近 編 芸林書房 2002年 111頁 情景は、明瞭です。月光が、隈なく照らしています。ホラー映画の冒頭のシーンのようです。何が海から上がってきたのでしょうか。何の情報もありません。読み手は、自分のもっとも怖いものを、想像してしまうでしょう。 作者の真鍋呉

星野くんの「二塁打」/道徳に反して成功した人を評価すべきか

ご存じですかね、星野くんの二塁打。 道徳の授業で取り上げられていたらしいので、ご存じの方も多いかもしれません。わたしの記憶には凄く、薄く。通っていた小学校では取り上げられていなかったか、もしくは道徳の授業が退屈で聞いていなかったかで、どこかで聞いたことあったかもなー、レベルでした。 舞台は旧制中学での甲子園をかけた野球の試合の一幕でして、授業では、監督の指示に従わなかった星野くんは正しいか否か、みたいなことがテーマになることが多いようです。 要約はこんな感じ ・1 R

俳句生活「虹」好き句鑑賞 その1

はじめまして。俳号「いかちゃん」と申します。先日結果発表された、カタログハウス通販生活内の企画、俳句生活「虹」の作品のなかから、特に好き!と思うものについて、鑑賞文を書かせて頂きました。僕の鑑賞のクセで、多分に分析的な文章となってしまっていますが、ご容赦ください。それでは、どうぞ! 夕虹を煮詰めて街の夜に塗る/磐田小ド都会の句だと思いました。歓楽街。人々は虹の美しさに気付くこともない。灰色の街に現れた「夕虹」の色彩は、どろどろに煮溶かされ、「街の夜」に塗られてネオンの輝きと

まいにちが平和であってこそ稲穂

季語▷いなほ( 三秋 ) 現代俳句

八月という月

    長崎や坂折れさうに秋暑なり      梨鱗 もうずいぶん以前に、長崎を訪れました。 どんな町だったのか、記憶もおぼろです。 今では長崎というと、テレビや映画でよく映る長い坂が浮かびます。 あれは、実際に見た景色でもあったのでしょうか。 八月という月は、記憶に留めておかないとならない出来事があった月でも あります。 広島忌 長崎忌 終戦記念日。 ユヴァル・ノア・ハラリ氏は、その著書「サピエンス全史」で 世界は現在、ゆるやかに統一化されている最中だと述べています。