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不登校について⑧~保護者の方へ~

不登校について、娘の葛藤(まだ続いています)と、私が客観的に見た状況や親としての想いを綴っています。
現在不登校に悩む方やご家族の方はもちろん、それに関わる方・支援する立場の方に当事者の声が届くと幸いです。

【不登校について⑦】は、コチラ↓

今回は保護者の方に向けたメッセージを綴っていきます。


自分の子どもが不登校になった時、
「何でうちの子が?」
「私の育て方が悪かったのか」
そう思うのは、ごく自然なコトだと思います。

私もそうでした。

でも
・この子に何か問題があるんじゃないか
・親(自分)の育て方や、環境に問題があったんじゃないか
そう考えている間は、子どもはなかなか心を開いてくれません。

純粋な反応

不登校には様々な原因があり、それに付随する問題も多岐に渡ります。

家庭の問題、学習面、先生や友達との人間関係etc.
挙げればキリがないですが、一言で”不登校”と言っても、その原因や抱えてる問題は千差万別です。

子育てと同じで
「こうすれば良い」
という正解なんて、ありません。

ですが、私が娘と向き合ってきて、1つだけ確かなのは、
「原因を探しても、問題解決にはならない」
というコトです。


まず、お子さんが学校に行けなくなった(行かなくなった)のは、自分の身に起こっている出来事や目の前の環境に、ただ純粋に反応しているだけだととらえてみて下さい。

不登校になった時に、躍起になって
「何で学校行けなく(行かなく)なったの?」
と原因を探すコトは、お子さんに対して
「あなたはおかしい(普通じゃない)」
というメッセージを送り続けるコトになってしまいます。

例えばいじめがあった場合、そのいじめによって
「学校に行きたくない」
と思ったのなら、それは当然の反応だと思いませんか?

同じように、あなたのお子さんが学校に行けない(行かない)のは、その理由が何であれ、そのお子さんにとってはそれが当然の(純粋な)反応なのです。
(表面的には、何も原因がないように見えていても、同じです。)

私の娘の場合、
「教室が苦手」
「人混みが嫌い」
というのを行きたくない理由として挙げていましたが、
「その理由は、一般社会では通りません」
というのは、結局
「あなたはおかしい」
というメッセージを送っているのと同じになります。

お子さんに問題があるのでも、親(自分)や環境に何かある訳でもありません。

私の娘のように、
「人混みが苦手」
だったとしても、理由なんてそんなの何でもいいんです。

あなたの価値観ではなく、
「お子さんの価値観としては、それが当然の(純粋な)反応なんだ。」

というコトをまずは受け止めて、そして、これからのコトを考えて行く。

「何で学校に行けないの(行かないの)?」
ではなく、
「あなたは(学校行かずに)どうしたいの?」
と尋ねてみて下さい。

おそらく
「どうしたいか?」
なんて、本人にも分かりません。
今まで当たり前のように学校に通い、学校にいる時間が日常生活の大半を占めていたのですから。

それを一緒に考えていくのが、親の役目かなぁと思っています。


簡単なコトではありません。
こう書いている私も、そう思えるようになったのは、つい最近です。

でも考えてみて下さい。

家事が苦手な私にとって、”専業主婦として家事をするコト”が自分の役割だったら、
「毎日何のために過ごしているんだろう」
と考えてしまうでしょう。

やりがいを持てない仕事に就いているサラリーマンにとって、”家族の為に働くコト”が自分の存在価値だとしたら、毎日が苦痛になりそうですよね。

子どもは、小学校→中学校→高校…
と、そこで集団生活を送るコトが、これまでの人生の中で生活の基盤となってきました。

それ以外の選択肢なんてまるでなく、日常の大半を過ごすはずの”学校”に所属出来なければ、たちまち『社会不適合者』の烙印を押される。

そして、その”学校”に行かなければ、まるで他の生活は楽しんではいけないかのような条件や、周囲から偏見の目を向けられる。

子どもに選択肢、選ぶ権利は本当にないのでしょうか?

義務教育とは?

日本人なら貧富の差や住んでいる場所に関係なく、誰もが等しく教育を受けられる制度
それが”義務教育”です。

この義務教育制度に則って、親は子どもを学校に通わせる(教育を受けられる環境を整える)のですが、”子どもに教育を受けさせる”というのと、”学校に通わなければいけない”というのは全く別の話です。

混同しがちですが、義務教育は
親や社会が、子どもに対して負う義務』
で、子どもにあるのは
『学校に通える(教育を受けられる)』
という権利です。

それに対して子どもが、
「学校に行きたくない」
と、権利を放棄するコトも、もちろん可能です。
(厳密に言うと、
「学校ではない場所で教育を受けたい」
という形で、権利を行使するコトも可能です。)

大人になったら選挙権がありますが、半数くらいは選挙に行きません。
余談ですが、権利を放棄するというのは、それと同じです。


文科省が教育委員会・その他関係者向けに出した通達にも、以下のような記載があります。

不登校児童生徒への支援は、「学校に登校する」という結果のみを目標にするのではなく、児童生徒が自らの進路を主体的に捉えて、社会的に自立することを目指す必要があること。
・・・
(中略)
・・・
不登校とは、多様な要因・背景により、結果として不登校状態になっているということであり、その行為を「問題行動」と判断してはならない。不登校児童生徒が悪いという根強い偏見を払拭し、学校・家庭・社会が不登校児童生徒に寄り添い共感的理解と受容の姿勢を持つことが…
・・・
(以下略)

「不登校児童生徒への支援の在り方について(通知)」令和元年10月25日 文部科学省より一部抜粋

「学校に行ってないのに、週末遊びに行くなんて」
「学校に行けないのに、習い事なんて」
「まずは学校に行ってからでしょ!!」

私もそんな言葉を娘に言っていた時期があるので、そう言ってしまう気持ちは痛いほど分かります。
でも今考えればこれは、学校に行けない子は人としての尊厳がないくらいの物言いであり、見方であるように思うのです。

・友達との楽しい会話
・学校の帰りに寄り道する
・新しく趣味を見付ける

学校に毎日通っていた時は当たり前にできた言動でさえも、行けなくなった途端に許されなくなる。

『学校に行かないのには、正当な(大人が納得する)理由がいる。』
『学校に行けない自分は、楽しんではいけない。』

娘は長い間、そう思って過ごしてきたんだと思います。

そんな環境が続いて、
『学校に行けない自分は、絶不調でなきゃいけない』
という思考がセットされ、身体のあちこちに支障をきたしてしまったのかもしれません。

ずっとそこにある、幸せに気づく

娘が生まれた日。

「無事に産まれてきて良かった」
と、ただそこにいてくれるコトに感謝し、涙した気持ちを、どこに忘れて来たんだろう。

娘が笑った。
娘が歩いた!
娘がしゃべった!!

ただそれだけで、嬉しくて嬉しくて。。。
ただ、ただ、可愛くて愛おしくて。。。

その瞬間を必死に追いかけて写真を撮ったり、1つ1つの出来事や成長に一喜一憂していたあの頃。

「あなたがそこにいて、笑ってくれるコトが一番。
学校なんて、二の次。」

心からそう思えるまでに、随分かかってしまったような気がします。

私が子育てに悩んでいる時にどこかで目にして、ずっと心に残ってる言葉を紹介します。
(どこで読んだのか、誰の言葉だったかは覚えておらず、一部実際とは異なる表記があるかもしれませんが、ご了承下さい。)

「子育てに正解はありません。
それでも、あえてお伝え出来るとすれば、
『今、あなたは子どもの事で悩んでいる。』
その時点で、あなたの子育ては間違ってない
のだと思います。」

これは、娘が学校の最寄り駅で倒れた翌日、私の決意として書いた記事です。
お時間があれば、一読下さい。↓

そしてその1週間後、初心を思い出すために書いた記事がコチラです。↓

【不登校について】続きは、コチラ↓

追伸:これまで娘に起こった不登校の状態について、文字起こしをしています。
気持ちを整理しながら少しずつ書いているので、まとまりのない文章になるかもしれませんが、お許し下さい。
何か分かりにくい点や質問等あれば、コメント欄へお願いします。
当事者の気持ちとして、お伝えできれば幸いです。


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