不登校について⑧~保護者の方へ~
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今回は保護者の方に向けたメッセージを綴っていきます。
自分の子どもが不登校になった時、
「何でうちの子が?」
「私の育て方が悪かったのか」
そう思うのは、ごく自然なコトだと思います。
私もそうでした。
でも
・この子に何か問題があるんじゃないか
・親(自分)の育て方や、環境に問題があったんじゃないか
そう考えている間は、子どもはなかなか心を開いてくれません。
純粋な反応
不登校には様々な原因があり、それに付随する問題も多岐に渡ります。
家庭の問題、学習面、先生や友達との人間関係etc.
挙げればキリがないですが、一言で”不登校”と言っても、その原因や抱えてる問題は千差万別です。
子育てと同じで
「こうすれば良い」
という正解なんて、ありません。
ですが、私が娘と向き合ってきて、1つだけ確かなのは、
「原因を探しても、問題解決にはならない」
というコトです。
まず、お子さんが学校に行けなくなった(行かなくなった)のは、自分の身に起こっている出来事や目の前の環境に、ただ純粋に反応しているだけだととらえてみて下さい。
不登校になった時に、躍起になって
「何で学校行けなく(行かなく)なったの?」
と原因を探すコトは、お子さんに対して
「あなたはおかしい(普通じゃない)」
というメッセージを送り続けるコトになってしまいます。
例えばいじめがあった場合、そのいじめによって
「学校に行きたくない」
と思ったのなら、それは当然の反応だと思いませんか?
同じように、あなたのお子さんが学校に行けない(行かない)のは、その理由が何であれ、そのお子さんにとってはそれが当然の(純粋な)反応なのです。
(表面的には、何も原因がないように見えていても、同じです。)
私の娘の場合、
「教室が苦手」
「人混みが嫌い」
というのを行きたくない理由として挙げていましたが、
「その理由は、一般社会では通りません」
というのは、結局
「あなたはおかしい」
というメッセージを送っているのと同じになります。
お子さんに問題があるのでも、親(自分)や環境に何かある訳でもありません。
私の娘のように、
「人混みが苦手」
だったとしても、理由なんてそんなの何でもいいんです。
あなたの価値観ではなく、
「お子さんの価値観としては、それが当然の(純粋な)反応なんだ。」
というコトをまずは受け止めて、そして、これからのコトを考えて行く。
「何で学校に行けないの(行かないの)?」
ではなく、
「あなたは(学校行かずに)どうしたいの?」
と尋ねてみて下さい。
おそらく
「どうしたいか?」
なんて、本人にも分かりません。
今まで当たり前のように学校に通い、学校にいる時間が日常生活の大半を占めていたのですから。
それを一緒に考えていくのが、親の役目かなぁと思っています。
簡単なコトではありません。
こう書いている私も、そう思えるようになったのは、つい最近です。
でも考えてみて下さい。
家事が苦手な私にとって、”専業主婦として家事をするコト”が自分の役割だったら、
「毎日何のために過ごしているんだろう」
と考えてしまうでしょう。
やりがいを持てない仕事に就いているサラリーマンにとって、”家族の為に働くコト”が自分の存在価値だとしたら、毎日が苦痛になりそうですよね。
子どもは、小学校→中学校→高校…
と、そこで集団生活を送るコトが、これまでの人生の中で生活の基盤となってきました。
それ以外の選択肢なんてまるでなく、日常の大半を過ごすはずの”学校”に所属出来なければ、たちまち『社会不適合者』の烙印を押される。
そして、その”学校”に行かなければ、まるで他の生活は楽しんではいけないかのような条件や、周囲から偏見の目を向けられる。
子どもに選択肢、選ぶ権利は本当にないのでしょうか?
義務教育とは?
日本人なら貧富の差や住んでいる場所に関係なく、誰もが等しく教育を受けられる制度。
それが”義務教育”です。
この義務教育制度に則って、親は子どもを学校に通わせる(教育を受けられる環境を整える)のですが、”子どもに教育を受けさせる”というのと、”学校に通わなければいけない”というのは全く別の話です。
混同しがちですが、義務教育は
『親や社会が、子どもに対して負う義務』
で、子どもにあるのは
『学校に通える(教育を受けられる)』
という権利です。
それに対して子どもが、
「学校に行きたくない」
と、権利を放棄するコトも、もちろん可能です。
(厳密に言うと、
「学校ではない場所で教育を受けたい」
という形で、権利を行使するコトも可能です。)
大人になったら選挙権がありますが、半数くらいは選挙に行きません。
余談ですが、権利を放棄するというのは、それと同じです。
文科省が教育委員会・その他関係者向けに出した通達にも、以下のような記載があります。
「学校に行ってないのに、週末遊びに行くなんて」
「学校に行けないのに、習い事なんて」
「まずは学校に行ってからでしょ!!」
私もそんな言葉を娘に言っていた時期があるので、そう言ってしまう気持ちは痛いほど分かります。
でも今考えればこれは、学校に行けない子は人としての尊厳がないくらいの物言いであり、見方であるように思うのです。
・友達との楽しい会話
・学校の帰りに寄り道する
・新しく趣味を見付ける
学校に毎日通っていた時は当たり前にできた言動でさえも、行けなくなった途端に許されなくなる。
『学校に行かないのには、正当な(大人が納得する)理由がいる。』
『学校に行けない自分は、楽しんではいけない。』
娘は長い間、そう思って過ごしてきたんだと思います。
そんな環境が続いて、
『学校に行けない自分は、絶不調でなきゃいけない』
という思考がセットされ、身体のあちこちに支障をきたしてしまったのかもしれません。
ずっとそこにある、幸せに気づく
娘が生まれた日。
「無事に産まれてきて良かった」
と、ただそこにいてくれるコトに感謝し、涙した気持ちを、どこに忘れて来たんだろう。
娘が笑った。
娘が歩いた!
娘がしゃべった!!
ただそれだけで、嬉しくて嬉しくて。。。
ただ、ただ、可愛くて愛おしくて。。。
その瞬間を必死に追いかけて写真を撮ったり、1つ1つの出来事や成長に一喜一憂していたあの頃。
「あなたがそこにいて、笑ってくれるコトが一番。
学校なんて、二の次。」
心からそう思えるまでに、随分かかってしまったような気がします。
私が子育てに悩んでいる時にどこかで目にして、ずっと心に残ってる言葉を紹介します。
(どこで読んだのか、誰の言葉だったかは覚えておらず、一部実際とは異なる表記があるかもしれませんが、ご了承下さい。)
これは、娘が学校の最寄り駅で倒れた翌日、私の決意として書いた記事です。
お時間があれば、一読下さい。↓
そしてその1週間後、初心を思い出すために書いた記事がコチラです。↓
【不登校について】続きは、コチラ↓
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