陽キャ哲学普及協会

ある哲学者の戯言

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陽キャ哲学とは何か

みなさんこんにちは。元々は『ぱくもとの精神と時の部屋』という名前で、Youtube発信活動をしていた『ぱくもと』です。最近チャンネル名を変更しました。その名も『陽キャ哲学普及協会』です。友人と発信活動について雑談していたところ、チャンネル主の名前(ぱくもと/純白)は毎回自己紹介で発声しているので、チャンネル名に書く必要はないのではないかという意見を貰いました。確かに【チャンネル名=自分のハンドルネーム】である必要性はあまりないので、【チャンネル名=自分の活動内容】に変更するこ

    • 陽キャ哲学美術大学 千葉雅也『センスの哲学』を批評する

      千葉雅也は美大コンプ?先日、千葉雅也の『センスの哲学』を読了したので軽く批評しようと思う。センスの哲学は読んで題名の如く、センスとは何かという問題に言及している書籍である。詳しくは書籍を読んでほしいが、簡単に解説するとセンスとは直感的理解に優れた感性を表す言葉であり、理屈や理論とは対を成す存在であると千葉雅也は言う。フランス現代思想的な言葉で表すならば、脱意味化である。ものごとをリズムとして脱意味的に楽しむことが出来る人物こそが、彼が辿り着いたセンスの良い人物像というわけであ

      • 批評される喜び

        作品を作れば、批評されるのは当たり前の話である。批評されるのが怖いなら作品を作るべきではない。成功は多作とトライ&エラーによって発生する偶然で、エラーの部分では厳しい批判にさらされる。作品に対する批判は影響力に比例して大きくなる。作品を作ることで間接的、直接的を問わず社会に対して影響を与えてしまうのだから当然だ。これをある理系YouTuberは『通知攻撃』と呼んだ。ニッチエコノミーで細々と人気者になるという幻想は不可能だ。何故なら、グローバリズムが世界を繋げ、50人に評価され

        • 汚言症が思想になる!?不謹慎女神あまみしゃけのお告げを言語化してみた

          これはあまみしゃけ写真集(仮)の後書きとして寄稿したものである。 あまみしゃけという人物を一言で言い表すならば、純粋不謹慎という言葉が相応しい。彼女のYouTubeチャンネルを覗いてみると、男性器や女性器等の不謹慎ワードが入った動画タイトルが散見される。これだけを見れば、ガーシーやへずまりゅうといった従来のバズ狙いの不謹慎系(メディア不謹慎)YouTuberと同類に見えるかもしれない。しかし、彼らの露悪的行為はあくまでも自分を売り込むためのセールストークにすぎない。過激系発

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        陽キャ哲学とは何か

          『古見さんはコミュ症です』⇔『弱者男性はコミュ障です』

          著書『超陽キャ哲学』の編集と出版作業を担当してくれたモザイクのアニメ評論がkindleで出版された。30年近く生きていると、アニメや漫画などの創作物には一定のパターンがあり、どんなに目新しいキャッチコピーの付けられた作品を視聴しても、多少の既視感は感じるものである。我々は子供ほど純粋にアニメや漫画を楽しめないのかもしれない。古臭い作品群にも斬新さを与えてくれるのが批評である。批評者の数だけ批評があり、世界や社会に対する見方がある。生きるということは批評なのである。今回はモザイ

          『古見さんはコミュ症です』⇔『弱者男性はコミュ障です』

          大谷翔平『どうだ明るくなったろう?』

          人の不幸でお金や知名度を稼いではいけない。これは道徳の観点からは概ね正しいと言える。道徳は正常な社会を構成するための必須要素であり、これがなければ社会性は成立しない。道徳以前の社会が存在したというホッブズの思考実験的仮説は、道徳のない人間を自然人と定義した。しかし『万人の万人に対する闘争』と呼ばれる無道徳社会は思考実験にすぎない。実際の人間は、社会的文化や道徳的規範、法律などの制約の中で生きており、その制約の中で行動する。したがって、万人が万人と闘争する無制約の自己中心的行動

          大谷翔平『どうだ明るくなったろう?』

          ベーシックインカムを思想にする

          昨日、逆精神病院のダニエルの司会進行で不労哲学者ホモネーモとの対談が実現した。時間の都合もあり、ホモネーモ氏に聞きたいことが全て聞けたわけではない。ベーシックインカムは経済政策なのか、それとも思想なのか。この論点を深堀するべきだった。本記事は昨日の対談を総括である。 私見を述べると経済政策としてのベーシックインカムは現実的ではないと思っている。弱者は弱者の特権を捨てることができず、強者もまた自らの特権を手放すことができないからである。生活保護や年金制度を廃止して、国民に一律

          ベーシックインカムを思想にする

          能動経済の誤謬‐シンギュラリティと経済学

          私は常々、資本主義を超える思想が必要であるとnoteやYouTubeで発信している。現状を肯定しない思想のダイナミズムが必要であるという考え方に変わりはない。しかし、同時に資本主義が現在進行形で多くの人を苦しめており、資本主義的な痛みに対する対症療法も必要であると考える。資本主義は経済によって成り立っており、現実の経済活動を無視して思想のアップデートを語ることは机上の空論を唱えることと同義である。経済は多くの人を幸福にするが、同じ分だけ不幸にする。経済が人間性に与える影響を考

          能動経済の誤謬‐シンギュラリティと経済学

          「本読んでて偉いって!!こいつ馬鹿!!」画面パンチ→お前のレベルが低いだけ

          「野菜食べてて偉いって!!こいつ馬鹿!!」 (画面パンチ) 「野菜は美味しいから食べるの」 これはR1芸人のホリエモンが考案したキレ芸。 こんなどうでも良いことでキレてるホリエモンをみてみんな笑う。確かにどうでも良いことだけど、かなり本質的な憤りである。俺も「思想強いねー」とか「本を沢山読んでて偉い」とか言われたら同質の憤りを感じる。そういうシチュエーションでは憤りを悪態に変換しても大人げないので、ホリエモンのように画面は殴らない。その代わりに皮肉を返すようにしている

          「本読んでて偉いって!!こいつ馬鹿!!」画面パンチ→お前のレベルが低いだけ

          BASIC THOUGHT 思想の再分配

          コロナ禍で囁かれたトンデモ理論は沢山ある。反ワクチンやQアノンなどの陰謀論的カルトが人々の不安に付け込み猛威を振るった。その中でも一番腹立たしいプロパガンダが『失業者の増加と自殺の関係』である。企業はコロナ禍で持て余した労働力を新卒採用を抑えることでカットした。結果として、若者の失業率は増えて、自殺者が増加したというニュースは真実味があり、理にかなっていそうに見える。また横浜市立大学や慶応大学などの研究機関は、失業と自殺率の相関関係を前提とした確証バイアスで研究論文を発表した

          BASIC THOUGHT 思想の再分配

          【異端者の哲学】京アニ放火犯 青葉真司を死刑にするな!!

          京アニ放火事件の被告である青葉真司に京都地裁から死刑判決が下された。まだ地裁レベルの判決とは言えど、これは危機的状況である。青葉真司の行為を見れば誰の目にも彼の非は明らかである。建造物に不法侵入し、ガソリンで火災を起こして36人もの命を奪ったことは擁護のしようがない。しかし、本裁判で彼は妄想性障害が認定されており、この事実を考慮したうえでの死刑判決という結論には些か驚く。青葉真司は10年以上に亘って『自分を監視する闇の人物』や『京都アニメーションによる盗作』を大真面目に信じて

          【異端者の哲学】京アニ放火犯 青葉真司を死刑にするな!!

          【陽キャ哲学】メリトクラシーとメリークリスマス

          リベラル側の論客からよく聞かれるメリトクラシー批判だが、私は非常に懐疑的である。確かに境界性知能問題などの人間生来の能力が持つ格差は明確に存在するだろう。しかし、格差問題の説明においてメリトクラシーを問題の中心に据えようとするのには違和感がある。メリト(長所)として設定されている項目は大抵の場合、情報処理能力である。学力偏差値を前提とした個人のポジショニングを社会的メリト(長所)として位置付けている点が違和感なのである。かつての日本は一億総中流社会と呼ばれ、金融資本的な格差が

          【陽キャ哲学】メリトクラシーとメリークリスマス

          嘘の多重化とFAKEの世紀

          読者の皆さんに紹介したい最新の思想がある。それは天才高校生思想家である稲葉くんによって提唱された『嘘の多重化』という概念である。稲葉という青年は現在高校生ながら、嘘という普遍的にも思える概念の転覆を試み哲学界&思想界に衝撃を与える存在となっている。昨今のディープフェイク技術には目を見張るものがあり、人類は偽造された情報とどう向き合うかという議題を真剣に考えなければならない局面を迎えている。岸田首相の生成AIを使った投資詐欺の広告が国会で問題視されるなど社会問題にもなっており、

          嘘の多重化とFAKEの世紀

          自称弱者についての考察

          日本を代表する現役の『才能』と言ったら誰を思い浮かべるだろうか。大谷翔平や藤井聡太、一昔前なら本田圭佑やイチローなどがそれに当たるかもしれない。よく語られる題材に成功者になるには『才能か努力か』という問題がある。私も多くの論者が述べるように才能と努力には掛け算的な相乗効果があり、才能のあるものの努力が人材として結実するという意見に賛同する。勿論、才能は比較優位的なものであり、貴方や私にも何らかの才能は存在すると考えてよいだろう。私が今回の記事で語りたい問題はその先で、『努力に

          自称弱者についての考察

          構造上の不可能性 is エンタメ

          我々は得てして、構造的問題に対して道徳や倫理の力によって解決を図ろうとする。内心では薄々不可能であることが分かりながら、不条理が倫理を覆い隠してしまうことに対して義憤にかられる。『いじめはいじめる側が悪いのか、いじめられる側にも要因が存在するのか』『組織に蔓延るフリーライダーは排除するべきなのか』『ズルい人間が得をして善人が損をする社会は肯定してよいのか』などの問題は度々、人間性の劣化や道徳観の退廃などといった言葉で表現されてきた。西洋文明では、永らく現象への位置づけに神を持

          構造上の不可能性 is エンタメ

          訂正可能性の哲学は読む価値なし

          先日にYoutubeでも紹介した東浩紀の『訂正可能性の哲学』について批評してみる。一言で言えば、老害の現状肯定的意見を、未来への希望的観測でカモフラージュした観念論と抽象論を書き連ねた駄作である。人間の思考限界を家族という共同体に求めたところは素晴らしいと思うが、後半で家族と訂正可能性が具体的にどのように社会や個人をよくすることが出来るのかについては全く言及されていない。東は徹底的にルソーの一般意志を擁護し、必ず政治的決定に介在し続けなければならないことを述べている。カーツワ

          訂正可能性の哲学は読む価値なし