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言語にこだわり続けるための真夜中の一歩

 真夜中に、突如思い立ち、新しいTwitterアカウントを作った。これまでは鍵付きの大変プライベートなものしかもっていなかったのだが、そこで今の気持ちを残しておこうと連続ツイートをしていて、

「どうやら自分は言葉や感情をもっと開かれた世界に落としたいのかもしれない…」

と思ったのが先かあとか、早々にアカウントを作り、Noteのリンクを貼り、noteもマガジンを増やし、写真を変え、noteを作るきっかけにもなった方に連絡をすることまでを一気にやっていた。これは仕事ではないし、営利目的でもない、完全に自己満足の範囲だし、やっていることは単純なことで困難さはない。しかし、ここに至るまで、おそらく何年もの時間がかかったと思う。

これまでずっと私は言葉にこだわり続け、これからもこだわり続けていくための第一歩、にも満たない、おそらく靴紐を結び、くつを履いたまでをやっとできたような気がする。

アカウント作成やなんやかやをしていて、suzunaさんという方のアカウントと日記をぼんやり見ていた。デンマークほか北欧諸国に興味があったことから、以前から知っていて、過去にも見たことがあった。(今の状況はわからないが、スウェーデンに滞在していらっしゃるときの日記を以前見ていた)

改めて読むと、素敵だなあ。とため息がもれた。光あふれるやわらかな色彩の写真と、日々の日記、ロンドンの大学を終わったときの証書をもらったときの日記、休学を決めたときの日記など、逡巡しながらも言葉を綴る姿勢が見えたような気がした。

「言語をひとつ使えるようになることは、世界がまるごとひとつ増えること。」という言葉が素敵だったので引用させていただきたいと思う。(参考URLとして:以下はsuzunaさんのサイトです。)



今も、そして前からずっと、波のように押し寄せ、そして時々去っていく(要は飽きたり、その習得の難しさへの忍耐力が下がったりということです)外国語への思いと日々向き合いながら、とりあえず目の前の大きな論文を書くという仕事をしているのだが、最近全然余裕がなくて、そんなときにsuzunaさんの上記の言葉に出会えたことは嬉しかった。

最近、思いがけず英語で短い時間だが話をする機会があった。ニューヨークから来ている方で、まだ来日してまだ半年も経っていなくて、日本語と英語をまぜながら話をした。たったそれだけの出来事が、久々に英語字幕で映画を鑑賞し、さらに英語で久々にエッセイを書くという動機になった。

その方はあと二年日本に滞在するらしかった。日本語難しいです、と言っていたけれど、それまでにきっと日本語も異文化ももっとたくさん知っていくのだろうと思う。

二年後、自分もまた世界をまるごと増やすことができていたらいいなと思う。





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