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それでもまた留学したいという「焦り」との付き合い方=夜中の日記

海外に行きたい。特に今行きたいのはフィンランドとウィーン。あとスウェーデン。

これは強い願望であるが、半分意地だし、自己暗示だ。修士論文を既に書いた博士課程の先輩も言っていたが、「論文を書いているときって、無性に旅がしたくなるよね」という。本当にその通りである。論文を書きつつも、苦しくなると『かもめ食堂』を見て、たった二泊三日で訪れた冬のまっしろなヘルシンキを恋しく思い出したりする。片桐はいりのヘルシンキでのかもめ撮影中エッセイを読みつつ、その表現力に舌を巻きつつ、「なつかしいなあ~」と自分の経験と照らし合わせてみたりする。

言ってみれば現実逃避なのである。けれどこの願望が、私を生きながらえさせているのも事実である。

毎日毎日、旅行か旅に行きたい。もっと言えば、数年海外に住みたい。たぶん、言葉がわからず苦しいと思う。孤独に耐えられなくなると思う。日本食が恋しくてたまらなくなると思う。突然起こる屋内のトラブル(水が止まるとかお湯が出なくなるとか、家電が壊れるとか)に見舞われて、修理業者もすぐ来ないとか、そういうこともあるかもしれない。もしかしたらすりに合うかもしれない。(実際、ベルリンに2度行ったことがあるが、2度とも、友人がすられそうになっていたのをひやひやしながら横目で見て、阻止した。)きっとおなかを壊す。(海外に行くと水が合わないのかストレスなのか必ずおなかをこわすのだ。)

とりわけ言葉が通じないしんどさはとても大きい。それに加えて、社会背景も共有していないから、ジョークもわからない。説明で笑うこともできないし、それもしんどい。

野本響子さんという方が、日本人の英語力は3歳児くらいで、赤ちゃんが話しているようになる。それを受け止めることが大事だけど、それは簡単ではなく、特にプライドが高いほど、難しい。みたいなことを言っていて、その通りだなと思った。

言語習得のためには、恥をかき、プライドを捨てることも大いに必要であると強く思う。悔しい思いは数えられないほどした。けれどそれを体験し続けることでしか、言語は上達しないと帰国してから気持ちを整理する中でやっと、しかし強く実感した。

https://note.mu/kyoukn/n/n19b7f0237c53

それでも、だ。ヘルシンキで食べたシナモンロールが忘れられないしデンマークでたまたま出会ったおばあさんと話して松ぼっくりをくれたことを忘れられない。赤く燃えるような、日本ではみたこともない夕焼け空の色を忘れられない。「日本に帰りたくない」と泣いたときになぐさめてくれた友達のことを忘れられない。「日本が恋しい」と思いながら歩いた買い物帰りの道も忘れられない。言葉がわからずに苦しくて泣いた日々もいとおしい(と、最近やっと思えるようになってきた)。日本からの友人とこっそり塩おにぎりを握って食べたこともよい思い出だ。

だから私は飽きずにここで何度も何度も思い出を反芻してしまう。けれど反芻するのは未来のためだ。もう一度勇気を出して出かけるためだ。論文を書ききるためだ。

タイトルで言いたいことと全然違ってきてしまった。何が言いたかったかというと、今すぐ行きたいのに行けなくて焦る気持ちを抱えすぎてつらい、ということが言いたかった。きっと働き出してからも、「お金のためとは言え、何してるのかなあ」とか思ってしまうんだろうなあ。と予測している。(予想に反して仕事が楽しく充実することを願っている)

結局私は焦りとの付き合い方が本当にわからない。「海外に来年から住みます!」「移住しました」「IELTS6,5取りました!」「交換留学中です!」そういう文字を見るたびに、言い知れない不安感と焦燥感に付きまとわれる。

人と比べても意味がないと頭ではわかっていても、全然うまくいかない。生きるのって、感情とのお付き合い、なだめあい、ですなあ。

そして、未だに「焦り」との付き合い方も解決方法も簡単にはわからなくて、こうやって手を動かすしかないしなあ、

と、みつをさんみたいな口調になってきたところで、 さて、論文を書かなくては。







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