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古典での春秋論争

 春と秋どちらがいいか?日本の古典にあった論争を備忘として記録。

 古事記では兄の秋山之下氷壮夫(あきやまのしたひをとこ)と弟の春山之霞壮夫(はるやまのかすみをとこ)が1人の女性を争う形で表現され、万葉集では天智天皇の御前で繰り広げられた春秋論争に対し、額田王が優劣を断ずる詩でいきなり秋だと述べている。また源氏物語では六条御息所の息女で入内し中宮になる秋好中宮と源氏物語の正妻となる紫の上の間で春と秋についてどちらを選ぶ論争(激しいものではなく、言葉遊び的なもの?)もあった。

 という訳で日本では古来から季節の好き嫌い論争があった。寒さを脱して生命の息吹を感じ暑さへ向かう季節と漸く暑さを脱して寒さへの準備を始める季節。どちらがいいかは論争が分かれるだろう。だが最近では夏の暑い日々が増えてしまい、冬の後の春、夏の後の秋が短くなり、春秋を感じている期間が短い。

 論争は古典だけのものになるのだろうか?

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