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ミクロとマクロ

しばらく更新していなかったのは、旅行に行っていたことと、引っ越し準備で忙しかったから。

更新していない一ヶ月の間にも色々なことを思って考えて、それを書きたいと思うことは何度もあったのだけど、今忙しいからね、一旦やめとくよ、と、すっとスルーすると、それは簡単に消えていって、私自身ももう覚えていない。そうすると、それって本当に自分が思ったり考えたりしたことなのか、曖昧だなぁ、と思う。
一度思っても、簡単に忘れてしまえば、それはもう私の考えですとは言えないのだ。ということは、やっぱり週1度でもこうやって書いておくことが重要なのだと思う。

私はこう思ってこう考えた、と記録を残しておく。そしてそれを気が向いたときにでも見返して、再確認する。
すると、徐々に自分というものが浮かび上がってきて、自分の思想が形として現れ始めるので、これをしないと私の輪郭はふやけて、気分で言うことも変わり、自分が何なのかわからなくなってくる。

今月、引っ越すので、断捨離&荷作りをしている最中に、昔の日記を見た。
(引っ越しに関してはまた後日書こうと思う)

私の手元に残っている人生の最古の日記は高校生の頃。
そのあたりから、たまーに今でも大きなことがあると書いたりして、5冊くらいある。
昔の日記を読み返すと、本当にくだらない、子供ぽい考えが書いてあったりしてうんざりもすれば、ほうほう!そんなこと!!と、自分で自分に感心させられることもある。そんなこと、今じゃ考えなくなってたけど、いいね大切だね!というような。

5年くらい前の私は恋愛に関して悩むことが多かったらしく、恋愛について起こったこと思ったことが素直にそのまま書いてあることが多かった(というか7割型それかも)。
ああ確かにそんなこと言われたなーとか、あの人とそんな感じだったんだ!とか、読んでいると昔のことが徐々に蘇ってきた。(書いてなかったら完全に忘れていたことばかりだ)

昔の私は本当に恋愛だけじゃなくても色々くよくよと悩んでいて、もう最悪だ〜、と書いてある四日後に、全てが絶好調!と書いてあったりして、あなた大丈夫?と心配になる。
自分は日々の少しの出来事で、最近全てが最悪!にもなるし、全てが最高!にもなる気質なのだなと改めて思った。

私は、日常で起きた小さなこと(あの人にああ言われたとか、こんなことがあったとか)を拡大して顕微鏡のように細かく細かく見て、よく怒ったり泣いたり笑ったりする気質だ。
よく言えば、感受性が豊かだけど、悪く言えば情緒不安定。
私の彼は、傷つきにくく、情緒がかなり安定していて物事にまるでこだわらないので、細かく考える私とは、こんなに性格が違う人もいるものだなーとよく驚かされる。

その細かく細かく見る脳内の作業って、ドツボに嵌るというか、嵌ったら抜けられなくなる沼のようなものだということに最近気づいた。(だから単純に言うと、なるべくやめたい)

例えば、誰かと喧嘩したという出来事があったとして、それについて細かく見てみれば、
「私はどうしてあんなに怒ったのだろう?」
「あの人はどうしてあんな風に言うのだろう」というところから始まり、
「これは私の〇〇な人生経験から来てるな」だとか、「私は何故そう思ったかと言うと〇〇があったから〜」とか、
「きっとあの人は〇〇な考え方を持っているのだ」とか、
「あの人には昔も〇〇と言われたことがある、完全にこれが原因だ…!」とか、
色々色々出てきて、さらにムカついて泣きたくなったりする。
そうして細かく細かく考えていると、全然今までに気づかなかったことに気づけたりして、成長したりもするのだけど、こんな風に考えたって仕方ないよなーとも、最近はよく思うのだ。

細かく細かく見て気が滅入るより、(きっと鬱病とかになる人って細かく見すぎているからなのではないか…)大きく大きく広い視点で見ると、実際は、ただ喧嘩しただけで、意地張っちゃっただけで、ごめんねって言えば済む話だったりするのだ。
大きく広く見ることは「今自分は平和に暮らせていて、周りに人がいてくれて最高だな」とか、そんな思想に辿り着く。

私の彼のように大きく広く見て物事を深く考えられない人は、細かく細かく見ることが時には重要だし、
私のように細かく細かく見ちゃう人は大きく広く見て、何でも受け入れることが重要ですね。
(何に関しても自分の気質と逆を心がけるとちょうどいいものだ)

というか、細かく見ちゃう人の何がいけないって、細かく考えるのはいいけど、それをやっていると悪いことが見えすぎてしまうからよくないのよね。(悪いことにはなるべく気づかない方がよかったりする)

こういう話を書いていると、
細かく細かくの人は脳味噌の皺が細かく刻まれていて、それを顕微鏡で拡大して、最終的にその細胞に乗っかるイメージ。周りで色々微生物みたいな見たこともないものが蠢いている。
大きく広くの人は、脳味噌の皺の細胞のアップから始まって、カメラがそこから引いて引いて、脳味噌全体が映って、人間の頭が映って、人間の身体全体、日本、地球、宇宙。というイメージ。
どちらにしても、新しい世界が見えそうな予感がする。
ミクロとマクロの視点をうまく操って、価値観を広げたいですね。

また更新がんばります。

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