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磯田先生の司馬史観で極めた歴史観

私の日本史熱を沸かせた原点は紛れもなく司馬遼太郎作品です。

作品を読むことで、その歴史観を知り、やがてそれが私の中で大きくなりました。
「歴史のなかの邂逅」や「この国のかたち」などのエッセイを読む事で、
さらに各作品の奥深さを知りました。

その2段階を経て、私の中に確実な司馬史観が出来上がったのです。

しかし今回、歴史家である磯田道史さんのこの司馬遼太郎作品評を読んで、さらに1段階極めた気がします。




日本はいつから間違ったのだろう

青春時代に戦争体験をした司馬さんは、その理不尽さに素直な疑問を持ち、「いったいいつから日本人はこうなったのか?」と思い始めます。

確かにこの事はエッセイ集の中でも何度も語られていて、
どこでどう間違って、こんな愚かな戦争をするに至ったのかと怒りに似た嘆きを書かれてます。

そこで、権力体としてできた「公儀」というものに気付き、
公儀ができる時にはすでに間違っていたのかもしれないと思い至るのです。

公儀とは?
中央集権によりできた政府です。
日本という国を統率して政治を行う事で、
天下人となって、最初に日本全体を指揮したものは誰か?

そこで見つけたのが三英傑の一人・織田信長です。

では織田信長を生んだ素地はどういうものかと、さらに深掘りすると、
濃尾平野という土地と、美濃を治めた斎藤道三に至るのです。

そこに、対極な存在として明智光秀を添わせることで、日本人が道を誤った分岐点を模索しながら「国盗り物語」の執筆が始まりました。




時代の革命者に共通する合理主義

信長は様々な事で、徹底した合理性を発揮して、それまでの常識を覆し、
戦国の世に革命を施してカリスマ的存在となりました。

その後に続く、豊臣、徳川の政権は、信長政権を踏襲しながら確立されます。

やがて、明治維新という大革命時に現われた革命者に着目した小説花神かしんが生まれます。
その主人公である大村益次郎は信長よりさらに進化した合理性を発揮しました。

戊辰戦争で新政府軍を勝利に導いたのは、
紛れもなく、この大村にの超が付くほどの合理的で、
計算され尽くした作戦によるものです。

彼は作戦は、常に勝つための最短距離しか進まないという、
まったく無駄を省いた戦法でした。

私は、この大村益次郎については、
確かに実績を残した素晴らしい人物だと思いますが、
どうも人間的な魅力を感じず、面白みのない人間だと思っていました。
まるでコンピューターが人間の姿をしているような、
サイボーグ的な要素を感じてしまうのです。

しかし、そういう人間こそ、時代の変革期には最も必要であり、
ちょうど良いタイミングで現れるという事は、
歴史の神様に選ばれた者だと言えます。




格調高いリアリズム

「坂の上の雲」で、乃木希典秋山真之を比較しています。

お国のために戦うという公的な崇高な精神
二人とも共通して持っています。

さらにそこにプラスアルファ、
現実を冷静に見極めるリアリズムを持ち合わせているかどうか。

現状把握できる目を持つかどうかで、大きな差が出てきます。

司馬さんは、
日本海海戦に勝利した秋山にはあったが、
二〇三高地で多くの将兵たちを死なせた乃木にはなかったと言い、
乃木希典をはっきりと愚将だと言っています。

自分の命はやがて自国の勝利に繋がるという、
何の確証もない理想論にあおられて、犬死してゆくという作戦は、
崇高な公の精神だけではどうにもならず、
現実を観るリアリズムがなければ、まったく中身のないものです。

そんな空っぽの作戦で勝てるわけがない。


現実を知る格調高いリアリズムが失われたままだったのが、
まさしく昭和の軍隊だったのです。



昭和の非合理は明治の「鬼胎きたい」から

ではなぜ、司馬さんが体験された昭和の軍隊はその格調高いリアリズムが失われたのか?

その起因は大国・ロシアに勝利した日露戦争が挙げられます。

その勝利を大きく勘違いし、日本人の中に傲慢を生みました。

元々の日本人には、織田信長や大村益次郎に見られるような合理的なリアリズムは備わっていました。

しかしロシアにかろうじて勝利した事で、その認識は大きく路線から逸れ、謙虚さを喪失し、傲慢さしか残しませんでした。

乃木の率いる軍隊を始めとして、
どれだけ多くの無駄死を招くかという現実を見ていないのす。

司馬さんは、その明治を「鬼胎の時代」だと言っているのです。


私は「鬼胎」を勘違いしていました。

これはその字のごとく、鬼が鬼の子を孕むという解釈だったのですが、
実は、人が全く違う種の「鬼」を孕んだという事だという、
磯田先生の解釈が、ストンと腑に落ちたのです。

本来であれば、ちゃんと現実を捉える目を持つ日本人が、
なぜか明治には理想だけの精神を生んでしまった。

この時点で公に生きる崇高な精神は持ち合わせていながらも、
格調高いリアリズムを捨てた非合理な人間が昭和時代を作ったのです。


これには目が覚める思いがしました。
つくづく昭和初期に生まれなくて良かったと安堵し、
息子さんをお持ちの方はわかっていただけると思いますが、
息子たちが、犬死の道具にされなくて良かったと心から思うのです。



二十一世紀を生きる君たちへ

これからを生きる小学生に向けてのメッセージを綴ったエッセイですが、
本文もさることながら、
併載されている「洪庵のたいまつ」には、
緒方洪庵の世のために尽くした美しい一生が書かれています。

これらの作品は、未来を生きる私たちに、
人も大自然の一部であるという謙虚さを基盤に、
人々の痛みを想像できる共感性を得、
自己の確立を目指す事を訴えています。




歴史を繰り返さないように

現代、インターネットの導入により、凄まじい勢いでIT化が加速し、
人間関係が希薄になる中、次世代の子供たちは、とても大事なものを忘れてしまうのでないかと危惧しています。

もしかしたら、昭和の後半を生きた私たちは、平成・令和を生きる子供たちに負の遺産を残したのではないか。

昭和の前半で凝りていたはずなのに、
また「鬼胎の時代」を作ってしまったのではないかとも思えてしまいます。

同じ失敗を繰り返さないよう、
愚かな時代があった事は忘れてはならないと思うのです。

目をそむけたくなるような黒い歴史であっても、
ちゃんと正視する事が、未来への礼儀ではないでしょうか。


▽▽▽

今回、この著書を読むきっかけを頂いたのは偶然見つけたshinkuさんの記事によるものです。紹介していただいて感謝します。



先週もたくさんのお祝いをいただきました。
ありがとうございます!



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