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濱松哲朗『翅ある人の音楽』(典々堂)

 第一歌集。2014年から2021年までの420首を収める。作者の年齢で言うと26歳から33歳にかけての作品である。それ以前の作品は収められておらず、構成は季節の流れに沿ったものである。一冊に強い構成意識を感じた。また第Ⅱ部の「〈富める人とラザロ〉の五つの異版(ヴァリアント)」、第Ⅲ部の「翅ある人の音楽」は連作としての骨組みと一首一首の歌の魅力が同時に味わえる力作である。これらについてはそれだけに集中して評をすべきであると考える。

君の死後を見事に生きて最近のコンビニはおにぎりが小さい
 君の死は作中主体に取って大きな痛手だったのだろう。その後を生き抜ける気がしなかった。しかし、何とか、というか見事に生きている。そして思う、最近のコンビニは、置いているおにぎりが小さくなった。値上げの代わりに個々の大きさを減らすのだ。時代が変わったことも言っているし、それを判断できる余裕があるということも言っている。君の死とおにぎりのサイズの間に落差があるのだが、「生きる」という観念で繋がっている。

海沿ひに住めばやさしくなれさうな気がして、気がするだけで終はって
 海沿いの家々。こんなところに住めばやさしい人になれそうな気がする。しかし、海沿いの家に自分が住むことは無い。同時に、自分はやさしい人にはなれない。なれそうな気がしただけで話は終わりなのだ。読点にリズムと意識の途切れがある。

遠かつたはずのわたしがここにゐる随分とずぶ濡れの手ぶくろ
 過去の自分を振り返ると随分、遠いところにいたような気がする。それが今ここにいる。その道程でか、手袋はずぶ濡れになってしまった。身体的な不快感が少し感じられるが、今ここにいることの感慨の方が強く伝わる。「随分」「ずぶぬれ」の音の繋がりが耳に快い。
 
何だつて揚げてしまへばコロッケになるんだ春に来る憎しみも
 憎しみも揚げてしまえばコロッケになる、というのは奇想だが、とても腑に落ちるものだ。コロッケを揚げる時の高温になった油に何かを落とす。何だっていい。憎しみでもいい。そんな気持ちで調理している。「春に来る」が主体の個人的な事情を表しているのだろうが、長い冬のあとの明るい春に、なぜか心が憎しみに囚われるのは主体だけではないだろう。

絵葉書に切り取られたるみづうみの青、ほんたうのことは言はない
 絵葉書の写真はきれいなところだけを切り取ってある。もちろん偽物ではないのだが、切り取り方によって、本当の景色とは違ったものになることもあるだろう。本当の景色とは違うのだ。本当のことは言わない。絵葉書だけ見てその美しさに感動しておいてもらえばいいのだ。

偶然を運命と言ひ張りながらおまへが俺のぬかるみに来る
 ただの偶然なのに、それを運命だと強く言って、「おまへ」が「俺」の精神の一番どろどろした、どうしようもない部分に踏み込んで来る。その後の二人の行動次第で、それはやはりただの偶然だったことにもなるし、抜き差しならない運命だったことにもなるのだ。この作者には一人称が「俺」の歌は比較的少ないが、使われると衝迫力がある。

暁闇の窓に凭れてゐる内に生きのびる言ひ訳を見つける
「暁闇(ぎょうあん)」は月の無い夜の、夜明け前の暗さを言う。その暁闇の窓に凭れている内に、生き延びるための言い訳を見つけた。本来生き延びることに何の言い訳も要らないはずだが、言い訳が要ると思っている心の動きが伝わってきて苦しい。四句五句の句跨りのぐねぐねとした感触が内容に合っている。

俺はおまへであるかもしれず庭先にシャベルとスコップの行き倒れ
 シャベルとスコップは本来同じ物を指す語だが、日本語的には違う物を指す言葉として使われている。しかも地域によっては指す物が逆である場合もあるらしい。俺はお前であるのならお前は俺だろう。シャベルはスコップかもしれないし、スコップはシャベルかもしれない。二つが行き倒れるように庭先に放置されている。自分と相手の関係性も匂わせて。

ここにきてやうやく合つてきたやうな身体、わたしの終の住処よ
 自分の身体が自分のものではないような感覚を持ちながら、ある程度の年齢になって、ようやく自分の身体が自分の心にあってきた、だが断言ではなく「やうな」と保留している。この身体は主体の心の「終の住処」なのだ。この身体で死ぬまでやっていくしかない。少しずつお互いを馴らしながら。
 
花火つて聞いてゐるので大抵の爆発なら素直に受け入れる
 花火があると聞いている。だから大抵の爆発音なら花火だなと思って受け入れる。だがどうも、全ての爆発が花火のせいではないようだ。自分の身の危険になるような爆発もあるのかも知れない。けれどもそれも花火として素直に受け入れる。一首全体が喩になっていて、主体が分かっていて騙されているという読後感がある。下句は七七ではなく、六九。というよりむしろ、ざっくり十四ではなく十五という感じ方で受け取った。

典々堂 2023.6. 定価:本体2500円+税

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