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「なら、あんたがやってよ。」問題。

妻によく言われてしまう「なら、あんたがやってよ。」の一言...

例えば、洗濯物とか食事とかに「一言もの申した」ときに発動される魔法の言葉。

やってしまった...

そして、これは家庭内の問題だけでなく仕事でも起きる問題。

「なら、あんたがやってよ。」と家で言われている僕が、
「じゃあ、お前がやれよ。」と職場で思ったりする。

この頭を悩ませる問題に関して、妻と語り合いました。(何やってんだ。)
その結果、我々2人なりに「この反論に隠された本当のこと」を整理できたので本noteにまとめます。

この先は夫婦間の問題として書き進めますが、仕事でも共通する話だと思いますので、もし良ければお読みください。

「それ、反論になってないよ」という僕の勘違い。

例えば僕が「乾燥機かけたからTシャツが縮んでるんだけど。」と妻に発言したとします。

このとき、僕が妻に実現して欲しい理想としては「次回以降はこのTシャツは乾燥機にかけないでね」となり、今後同じ事が繰り返されないことを願っています。

そこで「なら、あんたがやってよ」と言われると「いや、それは反論になっていないよ」と思っていました。

もちろん「私がやる」が望ましい場合は私がやるべきかもしれません。(実際に、Tシャツの件は私が担当する事になりました。笑)

しかし、そうでない場合、その反論は「何の改善にも繋がらないじゃないか。建設的じゃないよ。」と。

例えば、政治家や医者が「じゃあ、お前がやれよ。」って言ってきたら困りますよね。そういうもんだと思っていました。

これが大きな間違いでした。私がTシャツについて語るとき、妻は別の問題について語っていたのです。

ここから幾つかのパターンについて知り得たことをご紹介します。

パターン①マイオピア(近視眼的)

相手の真意:「なら、あんたがやってよ。批判するだけで褒めもしないくせに。

他にも取り組んでいることがあるにもかかわらず、出来ている事は褒めないで出来なかった事だけを批判する態度に怒った訳ですね。

「印象ってのは分母が(感謝+批判)なのに、感謝がないからダメなのよ。」と言われました。普段から感謝を忘れず、「批判しかしない」ではなく「たまに意見をする」という印象にしたいです。

パターン②上から目線

相手の真意:「なら、あんたがやってよ。あんたは出来ないくせに。

自分が出来ない事を棚に上げて、他人が出来なかった場合に批判を行う態度が問題になっています。これは例えば先ほどのお医者さんや政治家の話もそうですし、芸人さんに向かってネタのダメ出しをしているようなものかもしれません。

そのジャンルでは「下」だと思っている者に“上から目線”で話されるのは一番ムカつく事ではないでしょうか。つまり、相手にとってはその「言い方」が最大の問題になっている可能性が高いです。

コーチングには質問を使って「こちらが言う前に相手に気づいてもらう」というテクニックがあります。その上で「思い付きもしませんでした」というと効果的です。(私は嫁にバレたのでこの手法は使えませんが。笑)

パターン③自己犠牲の否定

相手の真意:「なら、あんたがやってよ。誰もやりたくないことをやってあげてるのに。

誰もやりたくない事をしているのに、それを認めもせず否定してくる態度にムカついています。絶対に「誰も頼んでいないのに」は禁句。

この場合は、この自己犠牲が存続すること自体が幸せなことでは無いので、出来る限り外部化・自動化するなどして本人をその作業から解放することが大事です。

(昨年末、最新型のドラム式洗濯機を購入するに至りました...)

パターン④代替案なき批判 

相手の真意:「なら、あんたがやってよ。他に考えもないくせに結果だけ批判すんな。

せっかく試行錯誤して今の結果に落ち着いたのに、代替案も出さずに批判する態度をダサいと思われています。

「ベターな代替案」を提案するのが望ましいですが、こちらも「言い方」が大事です。良いアイデア思いついたんだけど、どう思う?とご意見を伺いましょう。

パターン⑤トレードオフ

嫁の真意:「なら、あんたがやってよ。私はこっちを選んだのよ。

トレードオフである事象に対して何かを選択したのに、その決断自体を否定する態度に不愉快になっています。

「AかBか」でAを選ぶということは「Aを選んだメリットとBを選ばなかったデメリット」を考えるということであり、その判断の多くは取り戻せないことから「責任感」も発生しています。それは精神的にタフなことなのです。

まずは「どうしてそちらを選んだか」という意思決定の流れを確認し、そしてその判断を尊重することからスタートすることが大事です。

私も哺乳瓶の消毒をミルトンにするか、電子レンジタイプにするか、で議論した際に揉めました...


ここまで五つのパターンを出しましたが、妻に言わせるとまだまだあるみたいなのです。こちらの体力的にここでご容赦してもらいました。笑

言われた側の想像力が大事。

「なら、あんたがやってよ。」という言葉が出た時には、その後に続く「何か」があるわけです。

そこに気付かないまま議論を進めると本質的な解決にはたどり着きません。つまり、この議論を建設的なものにできるかどうかは「あんたがやってよ、と言われた側」にかかってるわけです。

めんどくさいですか?

でも、相手からしたら「共通理解として当然のことなのに、それを相手が理解していないので改めて説明する」って体力いるんですよね。それが信頼している人間であればあるほど。

だからこそ「なら、あんたがやってよ。」という説明する必要のない反論になるわけです。

反論が建設的でなければないほど、その裏には隠れた本音が多くある可能性があり、それを説明するのがシンドいから「なら、あんたがやってよ。」となる訳ですね。

逆に「なら、あんたがやってよ。」と言った/思ったときは相手が何を理解してなくてコミュケーション不全が生じているか考えてみましょう。

いやー、コミュケーションって難しい...

海外のメンバーと仕事してると「じゃあ、お前がやれよ。」と言われたことない気がするので、ハイコンテクストな文化で起きがちな問題なのかなぁ...

とりあえず嫁のお力を借りて思考が整理できたので、お礼にご飯でも連れて行こう。

※超蛇足として、私達夫婦は共働きで、ともに育休取得をした経験もあり、家事も分け分けして、今のところうまくいってます。笑

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