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メアリーとフレックスナーのじわじわする関係 メアリー物語③

皆さん、こんにちは。モモです^^
これから山に行くので、ごめんなさい。早めの投稿です。

 毎週日曜日の夜にソーシャルワークに恋をしてともに旅する世界ー第2章

  先週、第2章の本編の旅を始めることができました。ほっ 

 そして、夜なのでなんとなく、なるべく読んでいて「落ち着く・のんびり・なんだか安心・なんかちょっとだけ面白いかも」そんな気持ちになれるような旅物語にしていきたいなと思っています^^心持だけでなかなか実現できていませんが。

 初めての方はようこそ!
 たまにのぞいてくださる方、ありがとうございます^^
 リピータの方、心からありがとうございます!

 今夜ものんびりと旅をしていきます。
 理想は「アナザースカイ」のような感じ。そしていつもの旅のアテンション♪
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・一応連載ですが、この話だけでも読んでいただけたら嬉しいです。
・眠い時が寝るとき♪そんなときは、「おやすみなさい^^」
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ざっくりあらすじ


 序章では、約25回にわたって産業革命の時代のイギリスで、ソーシャルワークの源流地をたどる旅をしていました。様々な制度や人や出来事をたどる旅でした。
 
 そして、第2章からは、アメリカ東海岸で旅をしています。イギリスが源流地とされるソーシャルワークがその後どのようにして確立していったのか、皆さんとその軌跡をたどる旅をしているところ(という設定!)です。

 ここで、前回の旅のまとめ(おみやげ)を紹介させてください。

前回の旅のおみやげ_________________________
 アメリカでのソーシャルワーク、その立役者となったメアリーリッチモンドは、27歳の若さでCOSの事務局長となり、最終的にはケースワークの母と呼ばれるまでに、貧困救済の活動に本格的に取り組んだ。特に広範囲で大規模な活動をしたというよりもその活動自体を体系化に取り組んだ。                  __________________________________

そう体系化!

 そう。このリッチモンドの体系化の考え方が実は画期的だった。そう私は考えます。

 何が画期的だったのか。その答えのヒントになることが、第17回~18回あたりでの旅にあります。そして、たしか18回あたりだったでしょうか、旅の途中でこんなことを私は書きました。



謎のアメリカ人女性の登場?
 そして、これまでイギリスを舞台に旅を続けていましたが、実は、このCOSの取組を当時痛烈に批判したアメリカ人女性がいるんですね。初めてイギリス人以外が登場しました笑、このアメリカ人女性については、いつかの旅で紹介していたマルサスを超えるくらいの超重要人物なので、今後しっかり紹介させてください。もう知ってるよ!という方もえっ?どんな人?という方もお楽しみに^^


この謎のアメリカ人女性が、リッチモンドさんです。


ちょっと待った。つまり、COS(自分の所属組織)を痛烈に批判していたということ?


 そうなんです。18回の内容と少し被りますが、COSでは、貧困家庭の救済について、統一化やマニュアルの作成などなるべく全体で同じ枠や形を作ろうという公平性の観点からの工夫はされていました。しかし、それは、結果的には一時的なもので、いちサービスの1つの中での取り組みでしかなかったんですね。

 統一化はされたが体系化はされなかった。このことが、リッチモンドにとって難点だったのでしょう。表面上の言葉遊びに感じられるかもしれませんが、この体系化の重要性については、もう少し旅を進めていくと皆さんと理解しやすくなるかなーと思っています。これは私の肌感触的なものですが。

 とにかく、貧困救済を一時的な1つの組織の慈善的な取り組みに留めておくわけにはいかない。そう思ったリッチモンドは、貧困救済の過程・学問とでもいうのでしょうか、多くの人がよりよく理解し、活用できるように、仕組みの理論化に取り組みました。その結果、前回紹介したケースワークという手法がソーシャルワークというもの枠組み中での支援の手法の1つという形で位置付けられるようになりました。


体系化ときたらその集大成はいつだって

 なんか歌の歌詞でありそうなタイトルと思ったのは私だけでしょうか笑
ケースワークという貧困救済の手法を体系化をしたら、今度はまとめて広めていく必要があります。そこでリッチモンドは、1917年に『社会的診断論』という著書を出します。また、1922年には、『ソーシャルケースワークとは何か?』という本も執筆しました。

 書籍化は、どんな分野で活躍した人も行う重要なツールであり功績を遺す大切な宝物になりますね。


いつだって批判する人はいる

 そうなんです。やっぱりいつの時代にも何かが起こるとそれを批判する人がいますね。リッチモンドのケースワークもそうでした。リッチモンドは、救済活動は、ボランタリーで恣意的に行われるものではなく、一定の技術を持った人間が専門職として行うべきものであると考えました。つまり、ケースワークは専門職が行うものという考えを提唱しました。

 これに批判的な主張をしたのが、エブラハム・フレックスナー(Flexner,A.)という教育学者です。フレックスというのでなんとなく自由なイメージを勝手にしていたのですが、この人、本当にしっかりと、ダイレクトに批判をしました。こんな有名な言葉があります。


「ソーシャルワーカーはいまだ専門職ではない」


 この言葉、のちにソーシャルワーカーの世界ではかなり有名な言葉として教科書にも紹介されるほど、歴史的に大きな影響を及ぼした言葉でした。

 さて、ここまでを少しおさらいですが、

 ソーシャルワーカー、専門職そしてケースワークに体系化・・・

 前回から一気に様々な新しい言葉が出てきています。旅物語風にするならば、新しい観光スポットが次々と登場しているような状態です。ただ、そのスポットがどんなスポットなのかは、まだあいまいなまま・・・

いつもの文字数の件について

 さて、あっというまの3000字です。あまり話が進んでいないように思いますが、今日はここまでにしておこうかなと思います。一気に話過ぎても疲れますし、急ぐ必要もありませんので!マイペースに心地よいペースで旅を続けていきたいと思います!

今回の旅のおみやげ_________________________
 貧困救済のための手法としてのケースワーク。リッチモンドは
リッチモンドはその体系化に取組み、ケースワークに関する様々な書籍を執筆し、ケースワークを代表する女性になった。その一方で、リッチモンドの主張を大きく否定する人が登場、その名は、フレックスナー氏。
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次回の旅のアナウンス 

 次回ですが、どのように旅を続けようか少し考えているところです。ここまででいくつかのキーワードがでてきましたので、次回以降、何回かに分けて、そのひとつひとつのキーワードについて皆さんと確認していきたと思います!そうですね。ひとまず、来週以降の旅は、次の4つのコンテンツに分けていきたいと思います。

①ケースワークについて
②事前組織協会の組織変化について
③フレックスナーの主張について
④その他 追加の寄り道など・・

 ということで、次回のアナウンスは、珍しくシンプルに。今夜は以上になります。今回も読みにくい文章にも関わらず、最後までお付き合いいただき本当にありがとうございます。

 引き続き次の旅でお会いできるのを楽しみにしています!次の週末まで皆さん、フリースタイルで、各自いろいろ進めていきましょう。

 それではみなさん、秋の夜長、少し早いですがおやすみなさい☆彡
 また、この旅って何一体?と思った方は、先週お届けした記事をお読みいただけれるととっても嬉しいです。

前回の記事はこちらです^^

この物語全体のお話はこちらです^^

おまけ  
 この物語のアナザーストーリーはこちらのページで紹介しています。 もしご興味をお持ちいただけた方、ご意見や感想などお待ちしています^^




 

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