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3つの要素から導かれたメルボルンのコーヒー文化。

こんにちは。

仕事の始まりは、オフィスに荷物を置きリラックスした状態でコーヒーを買いに行くことから始まる。と言っても過言ではないほど、朝のコーヒー屋に群がる群衆。
そんなシーンが普遍化されているメルボルン。

Patricia Coffee Brewers
休日の感じも。(Small Batch Roasting)

本日は、たまたま別件でとある場所のリサーチをしている際にメルボルンのコーヒー文化の一片に出会ったのをきっかけに、調べてみると日本語で解説されているものが少なかったので、記録も兼ねてこちらに書かせて頂きます。
曖昧な部分もあり、推測の域を超えない部分もありますが、一説として解釈して頂けると幸いです。



まえがき

バリスタやコーヒーが好きな人ならご承知かもしれませんが、メルボルンは世界でも有数のコーヒー都市として有名で、まちの至る所にコーヒー屋があり、私が通っていた大学の1つのキャンパス内にも、実に15の異なるコーヒー屋がありました。(私が目視確認しているレベルでなので、実際はもっとあったかもしれません。)

参考として、世界の365都市を対象に、InstagramとTikTokの#(ハッシュタグ)を使い、#(都市名)coffee(例:melbournecoffee)がついている投稿数及び動画再生数を集計して、コーヒーが愛されている都市ランキングを作成したTambiaによると、メルボルンはニューヨークに続き、僅差で世界2位にランクインしたとのことです。
集計期間や総合値の作成方法は不明ですが、TikTokは2,700万件ほどInstagramは90万件ほどの投稿が確認されたそうです。

そんなメルボルンのコーヒー文化ですが、私の解釈としてその文化の発展を支えたのには大きく3つの要因が存在します。

1.コーヒーハウス運動
2.移民
3.都市構造の変革

多くの記事は2の要因を説明していることが多く、実際その部分が多大に貢献しているのですが、整理も兼ねて1から順に説明させて頂きたいと思います。


コーヒーハウス運動


イギリスの歴史に詳しい方ならご存知かもしれませんが、「コーヒーハウスという空間の提供がもたらす社会的価値をホテルという建造物を利用して最大化させていく。」ということを目的とし、1830年代にスコットランドで始まったとされる運動です。その背景として、禁酒協会の後援があったとされます。

事実として、オーストラリアはイギリスによって植民地化され、イギリスやアイルランドからの流刑者によって今の都市空間の礎が築かれています。よって、イギリスの歴史的な流れに沿っていた過去があることは自然な流れかと思います。

メルボルンにおけるコーヒーハウス運動も同じく、1837年に設立された禁酒協会が大きく関与しており、メルボルンではコーヒーパレス運動として知られています。政治家が中心となり、禁酒運動の一環として、パブに通う人々をコーヒーに通う常連客に変換させようと試みたものです。
当時メルボルンは開拓の真っ只中で、ホテルの建設とともにコーヒーパレスの導入が進められ、1888年までに実に50以上のコーヒーパレスがあったとされています。
また、当時は屋台スタイルで移動販売するコーヒー屋も通りの風景としてよく見られたそうです。

しかしながら、1890年に起こった財政危機(the Baring Crisis)によりコーヒーパレスは財政難に陥ることとなり、現在では完全に当時の使われ方を維持している場所は残っていないとされております。
今では、Federal Coffee (a.k.a Federal Coffee Palace)が、ホテルからショッピングモールとなった旧郵便局(General Post Office) の一画でコーヒーの提供を行っております。Federal Coffee Palaceは19世紀後半までに実在したオーストラリア最大規模のコーヒーパレスです。

画像引用元:https://concreteplayground.com/melbourne/event/free-coffee-at-federal-coffee

他にも、建物は残りつつも今はハイティーに変換された The Hotel Windsor があります。

多くのヨーロピアン建築が残っているとされているメルボルンですが、コーヒーパレスに関しては建て替えにより、その多くが失われています。

尚、禁酒運動の流れの中で発生したもぐり(Speakeasy)の文化もメルボルンでは垣間見ることができ、街歩き好きには嬉しい要素かと思います。


移民


コーヒーパレスの終焉とともに再びパブの文化が盛り返し、メルボルンのコーヒー文化も影を潜めるかに思えたのですが、移民によって別の形となって息を吹き返すこととなります。

第二次世界大戦後に起こったイタリア・ギリシャ系の移民を中心とした移民ブームにより、今までメルボルンでは浸透していなかったエスプレッソコーヒーの文化が新たなコーヒー文化として根付きます。彼らが祖国を離れた後も、祖国の味を今いる場所で味わいたい。と、レストランやバーをつくっていきました。Lygon Street はその代表格の通りです。

メルボルンに初めてエスプレッソコーヒーがやってきたのは、移民ブームが起こる前の1930年代とされており、最初にメルボルンにエスプレッソマシンを導入したのは1954年にお店をオープンした Pellegrini's Espresso Bar と言われております。このお店は今もその場所にお店を構えイタリアのバールスタイルをとり、夜まで営業をしています。

メルボルンでは多くのカフェが15時で閉店し、わずかにオープンしていた店も16時にはお店を閉じることが多いため、その時間以降にカフェを利用したい。となった際は、このバールスタイルのお店を探すと見つかることが多いです(Espresso Bar等で検索すると出てきます。)。

Pellegrini's Espresso Bar

このイタリア系コーヒーが現在のメルボルンコーヒー文化の核であることは間違いないのですが、その後移民を制限する名目の水面下で行われた白人最優先主義(20世紀初頭~中後期)の政策見直しにより、多くの非白人系移民がメルボルンに移ってくることとなります。移民の制限が行われる以前から、ゴールドラッシュにより多くの中国系移民の方がメルボルンにはきておりましたが、この見直しによって非イタリア系のコーヒー(アラビック、ベトナム、フィルター等)が入ってくることができたのではないかと思います。この非イタリア系コーヒーの入り方に関しては完全推測になりますが、多民族社会であるメルボルンには実に多様な国のテイストを味わうことができ、食という面においても、探してみると日本では出会いにくい国の料理に出会え、コーヒーもそこに付随してついてきている。というのが推測のもとにあります。実際、アラビックコーヒーを飲む際は、極めて甘いスイーツとともに味わうのが筋だよ。と、その文化に馴染みのある友人に勧められたことも。

また、オーストラリアという国が他国と比較して高い生活水準を有していたことにより、コーヒー文化がいち早く定着したとも言われております。

ですが、コーヒーのための空間が無ければ密度を生むのが難しい。ということもあり、なぜメルボルンがコーヒー密度を高めるポテンシャルを有することができたのか?というのが次の都市構造の変革になります。


都市構造の変革


観光雑誌や情報サイトをみると、メルボルン=レーンウェイ(小道)と演出されていることも多く、そういったイメージをお持ちの方もいらっしゃるかと思いますが、そのレーンウェイ政策が現在のメルボルンコーヒー文化に大きく寄与しております。

このレーンウェイ政策のキーパーソンは建築や都市計画など、構築環境界隈(the Built Environment Industry)では著名なヤン・ゲールが大きく関与している有名な事例です。内容は過去に書いた記事があるので、こちらでは詳しく記載はしませんが、1980年代後半の都市の機能不全(モダニズムを主軸としたことによる公害問題)が起きた際に、その要因となっていた小道を新しい社交の機会を創出できる場に変換する為の策が設けられ、その社交場になりうる機能をもつ商業の1つとしてコーヒーに焦点が当てられ、小道に入ればコーヒーに出会える現在のメルボルンの都市風景がつくられました。

Equitable Place, Melbourne
Two Conversations


もう一つ、メルボルンとレーンウェイと語る上でついてくるのが、ストリートアート。そんなストリートアート文化をはじめとする社会派運動の波が大きく来たこともコーヒー文化の定着に寄与しており、政策の狙い通り、コーヒーは人々が出会い、話し合う社交場として広く活用され、20世紀におけるボヘミアン、アーティスト、ミュージシャンなどに愛される場と変化していき、現在は多くの観光客と地元民に広く愛されております。

かつてのコーヒーハウスがジャーナリストや政治家に愛されたように、その時代によって、コーヒーを通してピックアップされる人物像が違うというのはまさに、カフェが社会像を切り取る場所であることを示唆してますね。


あとがき


いかがでしたか?

理由は違えど、時代を通してコーヒーに求められているものが、「その空間を通して社会的交流を生み出す。」ということに一貫していることが面白いですよね。

余談ですが、メルボルンでは大手コーヒーチェーンを嫌う傾向があり、全体の95%が個人経営によって運営されているコーヒー屋と言われております。実際、日本でも見た事があり非メルボルン発祥のコーヒーチェーンで見かけるのはスターバックスのみな気がしますが、そのスターバックスも中心地に7軒で、後は車でアクセスするようなロケーションにあるという感じです。

ノートでもメルボルンのカフェを投稿されている方がかなり多くいらっしゃるので、カフェ事情が気になる方は見てみるといいかもしれませんね。書いている方も多くいらっしゃるかと思いますが、コーヒーのメニューが独特なので、もしメルボルンに来てコーヒー屋に行く際はご注意下さい。最後にメルボルンの有名チェーン(私見でのセレクトです。)を記載しておくので、興味のある方はそれぞれのリンクに飛んでみて下さい。

最後までお付き合い下さり、ありがとうございました!

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