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爆裂愛物語 第一話 死の覚悟


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 レイ・病み垢
 わが路を行け オレたちは開拓者

 あの日の正午、凪は死ぬハズだった。死ねば楽になれる。苦しむことに耐えきれなくなった彼女は、自分の通う中学の屋上の手すりを乗り越えようとしていたのだ。春の終わりのひんやりしたお昼だった。

 関西のとある中学に通う少女、凪。彼女が手すりの向こう側へそっと身を投げ出す瞬間、通知音が鳴った。ポケットのスマホだ。それが運命をねじ曲げた。彼女を救ったのは、ツイッターのメッセージ。それは「レイ・病み垢」のとあるつぶやきのリツイートだった。

 レイ・病み垢
 旧時代は効率の時代だった 気持と現実を別ける時代だ
 新時代は気持の時代となる 気持だけで生きられる時代だ

 大丈夫、オレが先を行く そして恐いモノは何もないと笑顔で手を振るんだ
 オレは新時代の先導者

 そのツイートが全ての発端となった。凪が自殺しようとした時刻と、「レイ・病み垢」がつぶやきを投稿した時間が重なっていたことを思えば、本当にそれが「運命」だったのだろう。「レイ・病み垢」のひと言がなければ、凪の命はもう終わっていたはずだし、もしツイートをしていなければ彼女はすぐにでも命を絶つツモリだったのだから。以来、彼女は生きることを決めた。レイ・病み垢という希望ある存在に支えられて。

「ただいま」
 中学の放課後、家に帰るとすぐ凪はスマホを開いて「レイ・病み垢」をチェックする。彼にメッセージを送ろうとするが、すでに彼からDMが来ていることに気づいて止める。

「フォローありがとう
 とても嬉しいです
 よかったら仲良くしてください
 よろしくお願い致します」

 意外に礼儀正しくて丁寧な人だと思った。繋がってる、という感覚が嬉しかった。凪は早速、「レイ・病み垢」にDMを送ってみた。

「ツイートにすごく共感しました! また繋がりたいです( ́・ω・`)いっぱいDMしてもいいですか?」
(しばらく待つが既読がつかない)
 ひょっとして寝ちゃったのかな……今日はもう寝ることにしようと思ったその時だった。スマホが鳴った。
 よかった! どうやらまだ起きていてくれたようだ。彼は一体どんな返信をくれるのだろうか……? わくわくしながらメールを開くと、そこには短く一言だけ書かれていた。

「いいよー」
「ありがとう!! 嬉しい!! よろしくね! おやすみ~」
 今度こそ眠りにつくことにした凪だったが、興奮でなかなか眠ることができなかったのであった……

 朝。
「おはよう、凪」
「……」
「返事をしないか!」
 パパだ。またいつもの朝が来た。
「……」
「まったく、朝から黙ってないで何とか言ったらどうなんだ!」
 パパは不機嫌だ。これもいつもの朝。本当は色々と話したいことはたくさんあって、だけどそれを言ってしまったら壊れてしまうことを知っているから、何も言えないし何も言わないんだ。凪はただ時間が流れるのを待つだけ……
「……」
 朝のシャワーを浴びる。
「っあ……」
 お湯が傷口にしみて痛む。でも、我慢しないと……浴室の鏡に映る自分、その胸には、傷あとが残っていた。
「……」
 この傷を見るたびに、嫌でも思い出してしまう。あの日のことを。あの悪夢のような夜を……凪は鏡に映る自分の姿を見たくなくいから眼をそらした。
「洗っても消えないよ……」
 シャワーを浴びながら、泣き崩れるしかなかった。
「うぅ……ぐすっ……」
 すると、洗面所の外からパパが声をかけてきた。
「凪! いつまで風呂に入っているんだ! 遅刻するぞ!」
 いつもと変わらない高圧的な声にイライラしてしまう。もう放っておいて欲しいのだ。早く一人になりたいのに、どうしてそうしてくれないのだろう?
「分かってるよ……! でも今日くらいは休ませて」
「何を言っているんだ⁉ お前の勝手で学校に行かないことが許されると思うのか⁉」
 パパは怒っているようだけれど、なぜか冷静になれた気がした。なぜ……この人はただ感情的に怒っているだけなんだと分かるから……? そんなことを考えつつ、さっさと体を洗って脱衣所に出る。自分の通う中学校の制服に身を包みながら鏡を見た凪は思った。
「パパには言えない……学校にも、友達にも、先生にも」
 凪は重い足取りで学校へと向かった。

 カアカン。カアカン。踏切の遮断機が降りて立ち往生する。カアカン。カアカン。ああ、このまま踏切に飛び出せば、楽になれるかな? でも、死ぬのは恐いよ。
 凪は踏切の脇でじっと待つ。もうすぐ電車が通過して遮断機があがるから。それまで待っていよう。そんなことを考えているうちに、また涙が溢れてきた。するとふとレイ・病み垢のアカウント画像が浮かんだのだ。あの印象的なドクロのメイクをした画像が。
「そうだ……」
 DMでメッセージを送ろう! そう思い立ったすぐにスマホを取り出した。

「おはようございます( ́・ω・`)」
 すると、すぐに既読がついた。それだけで嬉しくなってしまう自分がいた。なんて単純なんだろう……私ってバカだ……こんなんだからいつまでも彼氏ができないんだよね……そんなことを考えていたら、彼から返信が来たのでドキドキしながら読んでみると……

「おはよう」
 という簡単な言葉だけだったけど、それでも嬉しかったんだ! あ、なんかこれって付き合っているみたい? なーんてね! そんなことあるわけ……あるわけないじゃん! 何考えてんだよ私!? 自惚れるな!! 自分に喝を入れる。
 すると、また彼からDMが届いた。内容はこうだった。

「じゃあ今日も一日頑張ろうか? オレも今から仕事ー」
 たった一文なのに胸がキュンとなるのはなぜだろう? これも恋なのかな……? 分からないけど、なんだか心地いい気分になったのは確かだった。

 そのあと、学校で授業を受けているときもずっと彼のことを考えていた。もしかしてこれが恋というものなのだろうか……? よく分からないけれど、今はただ彼を思うだけで幸せなんだ。たとえ叶わぬ恋だとしても、それでいい。彼の存在があるだけで救われるから……
 昼休みになると、いつものように一人でご飯を食べている……ふと窓の外を見た。黒い10tトラックがコンビニ近くの道路脇に路駐している。
「え!?」
 その中から出てきた、背中にスカルマークを背負った黒い特攻服の男がコンビニに向かって歩いて行くのが見える。
「あっ!」
 思わず声が出てしまった。周りにいた子たちの視線が一瞬こちらに向けられたけど、すぐにまたそれぞれの話題に戻っていった……しまったー。なんか気まずい……凪はそそくさと弁当を食べるフリをした。

 チラッと、窓の外をもう一度眺めてみる。あっ、あの人、お弁当買ったんだー。ふーん。まあ、コンビニにお弁当買いに行く人って珍しくないよね……なんて思いながら、いつの間にか窓の外にいる黒い特攻服の男に見入っていた。目立つ見た目もあるが、なんか不思議と気になってしまった。なんだろう? どうしてこんなにも気になるんだろう? わからない。わからないけど、とにかく眼が離せなくなっていたんだ。
 その時だった。ふと彼こっちを向いたような気がしたのだ! 一瞬だったけど……確実に眼が合ったと思う! え!? どうしてだろう? どうしよう? なんでこんなにドキドキするんだろ?

 凪はとっさに眼をそらした。眼を合わせてはいけない気もしたのだが、体が勝手に反応してしまったのだ。
「!?」
 彼女はなんとなくスマホを開いた。そして……レイ・病み垢のプロフィールを見る。
「プライド・オブ・メンヘラか……」
 レイ・病み垢のプロフィールにはプライド・オブ・メンヘラの文字と共に

「メンヘラであることを誇りに思いなさい
    メンヘラでよかったと言える人生を生きなさい」

 という言葉があった。カッコいい……というよりは不思議な気持ちにさせる言葉だ。「レイ・病み垢」のアカウントをフォローしたのは、実はなんとなくだった。別に興味があるわけでもなくて、ただ単にSNSの通知からリツイートが流れてきただけなんだけど……なぜか気になってしまった。それは自殺することを忘れるほどに。なんだろうこのモヤモヤした感じは? そんなときにふと眼に飛び込んできた言葉があった。
「あっ、固ツイだ」

「わが路を行け オレたちは開拓者」

 これも不思議な気持ちにさせる。なんだか大事な言葉に思えた。普通「我が道を行く」って言ったら自分勝手でワガママなイメージがあるけど、この人の使う「わが路」は違う。なんかすごく重くて深い“希望”のようなモノを感じさせるんだ。
「……」
 凪は“なぎさ・病み垢女子”というアカウント名で、レイ・病み垢の固ツイの、リプボタンを押した。そしてひと言だけリプを送信する……

「あっ、それより、お弁当お弁当ー汗」
 お昼が終わっちゃう 汗 凪は急いでお弁当を食べるのだった。
「あっ! そうだ! お弁当の画像DMしてみよー♪」
 そんな思いつきから、凪はDMを送ろうとした。でも、なんて書けばいいのかな? 何を書けばいいのか思いつかない……
 あ!そうだ!とりあえず挨拶から始めてみよう!「こんにちは」とかでいいかな? よし、それじゃあ……

「こんにちはー! 今日のお昼ー」
 っと送信した。するとすぐに既読がついた! え? 意外にマメな人!
 凪はすぐに返信が来たことに驚くと同時に、嬉しかった。
「あっ、来たー!♪」
 なんだかすごくドキドキする! これは恋なんだろうか?  でも相手はSNSだよ! 大人の男の人だし……ちょっと違う気がするかも。うーん、よくわかんないなー。まあいっか! とりあえず返信を読んでみた。

「お疲れー! オレもいまお昼休みだよー! コンビニ弁当 笑
 ってか固ツイにリプもありがとうね!」

 えー!! ほんとマメな人!! ちゃんとリプもチェックしてDM返信してるんだー。すごいなー。でもなんかちょっと嬉しいかも! 凪は急いでDMを返信した。

「そうなんですね! うわーコンビニ弁当おいしそー! レイさんはお仕事なにされてるんですか?」
 こんな文章で大丈夫かな? ちょっと不安だったけどすぐに返信が来た。
「大型トラックの運転手してるよ」
 え!? 本当に普通の返事きた!(笑)……あっ、そっか。レイさんはこういう人なんだ。なんかホッとするなー♪ 凪は少し嬉しくなった。DMってこんなに楽しいんだなー♪ もっといろいろな会話ができたらいいのになぁ……

「わあ! 大型トラックに乗ってるんですか? カッコイイですね!」
 ……またすぐ返信が来た! やったね♪……なになに? ってえ!? フツーにトラックの中の画像とお弁当の画像来た! オープンな人だな。するとまた返信がすぐ来た。
「そう! 仕事頑張ってるんだよー(笑)そっちもファイトー!」
 なんだか楽しくなってきて、自然と笑みがこぼれる……。そうだ! もっと楽しもう!! 凪はさらにたくさんの楽しい話題を探すことにしたのだった。

 そして我路とやりとりを続けているうちに、あっという間に午後の授業の時間が来てしまったので、授業が終わってから続きをしようと決めて一旦やり取りを終了するのだった。早く放課後にならないかなー。早く続きがしたいなー! 学校が終わると、急いで家に帰る。
「ただいま……」
 家のドアを開くと暗い玄関。
「遅かったな。早く勉強しなさい。永遠学園の受験日が近いんだから」
「うん……」
「返事ははいと言え」
「……はい」
 凪は暗い声でパパに返事をした。永遠学園、というのは関西では有名な進学校で、合格率もとても低い学校らしい。そのためパパは凪を入学させようと必死だったのだ……しかし、そんなものに自分を縛り付けて何が楽しいというのだろう?

“ほんとの私を一体誰が見てくれたのだろう?”

 ふと、そんなことを考えてみる。私って誰? 私は何者なんだろう? そんなことばかりを考えてしまう。まあ、そんなこと考えてもわからないんだけど……。
 部屋に戻った凪は、いつものように勉強机の上にノートを広げてみる。
「……」
 いつからだろうか? ペンを持つ手が震え始めたのは。それを必死に隠そうとしたのは。大丈夫だよ、と自分自身に言い聞かせたのは。
「あ!」
 スマホの通知が鳴った! 急いでスマホを手に取る。……もしかしてレイ・病み垢さんかな? 期待に胸を膨らませながら、凪はDMを開いた。
「あはっ」

「お疲れ! いま寮に戻ったー 今日は早い方だね!」

 レイ・病み垢からのDMだ。

「お疲れ様です!」
 凪も返信した。そして続けて画像を送信する。それはネットで拾ってきた猫の画像だ。
「可愛いー! 癒し 笑」
「えへっ、よかった♪」
「こういうん贈ってくれる、なぎさ・病み垢女子が可愛い!」
「えー! 嬉しい♪」

 レイ・病み垢は律儀にDMを返すのと同時に、自分のことを毎日教えてくれた。今はもう夜の23時を過ぎていて、明日に備えて寝なければならない時間だけど、そんなことはお構いなしだ。忙しい日々の合間を縫って短いけれど濃いやり取りをしていた。それが癒しだったから。そのやりとりが、癒しで、救いで……支えだった。

「レイさんとLINE交換したーーーい!!!!」
 凪は思い切ってDMを送ってみた。ダメでもともとだ! すると、すぐに既読がつく。ドキドキしながら待っていると……
「あっ」
 まさかのOKが来た! ってかQRも贈ってくれてる! もう本当に嬉しすぎてヤバイ!! 顔がニヤける……っ!!
「やったー!」
 思わずベッドの上で叫んでしまったほどだ。その後も興奮冷めやらぬままに喜びをかみしめていた凪だった。
「うふふ♪」
 だからなのか、凪はこんなツイートをしていた。

「今の気持ちはー
 告白に成功した気分!!!!
 はいっ、おかしくなっちゃってます笑笑」

 そう呟くと、凪は嬉しそうに微笑んだ。すると……通知がピコン♪と音を立てて鳴った。それは間違いなくLINEの受信音だった。凪は慌てて画面を見た。そこに表示されたメッセージを見て凪は笑みを浮かべた。

「LINE交換の誘い、嬉しかったよ! よろしくね!」

そう、送られてきたのは彼からのメッセージだった。
「やったー!」
 凪は喜びのあまり飛び上がりたい気分だった。まさかOKがもらえるとは思ってなかったし、それが現実になるとも思わなかったからだ。なんだか夢みたいで信じられなかったけれど……スマホをギュッと握りしめて頬をつねってみた。だけど普通に痛かったので、これは夢じゃないことがわかって少しほっとした。これからどんなことが起こるんだろう? 想像しただけでワクワクする……! そんな気持ちで胸がいっぱいだった。

「ただいま……」
 しかし、凪のその高揚した気持ちとは裏腹に、彼女は暗い顔で学校に行き、そして帰宅する。またいつもの生活が戻ってくるからだ。誰にも打ち明けられずにいた一人ぼっちの日々が続く。でも今は違うんだ……スマホを取り出して鏡代わりに自分を映す。画面には幸せそうな自分が映る。
「ふふっ♪」
 思わず笑みがこぼれてしまうほど嬉しかった。そしていつしか思うことがあった。

“ああ、この人になら胸の傷のこと、打ち明けてもいいかも”
 

 そう思うようになっていた。そして、もっと彼と話したいと思うようになっていき……凪はついに、その感情を抑えることができなくなった。

「レイさん。ちょっとお話、してもいいかな?」
 一通のLINEをした。けど……抑えられなくてさらに続けてLINEした。
「大事な話、なんだけど……引かない、で、ほしいな」
「ごめん笑 どうかしてた笑 全然嫌なら大丈夫だから笑」
 凪は震える指でそう連続してメッセージを打ち込み、送信ボタンをタップした。
 すると、すぐに既読がつく。凪はビクッとして思わずスマホを落としてしまった。それから1分くらい経っても返事が来ない……もうダメなのかな? やっぱり迷惑だったかな……? そんなネガティブなことばかり考えて落ち込んだとき、ついに彼からのメッセージが返ってきた。
「全然いいよ! オレでよかったら
 でもちょっと待ってね! いま会社戻ったバカリで
 日報とか書かなあかんから!」
 内容は正直どうでもよかった。ただ嬉しかった。自分にちゃんと興味を持ってくれて、心配してくれる人がいる。それが嬉しかったから……
「うん、待ってる……」
 だからつい素直に返事をしてしまった。するとしばらくして通知が鳴った。
(来た!)
 ドキドキしながら内容を確認すると……こう書かれてあった。
「お待たせ! いま寮に帰ったよ
 話ってなに?」
「えっと……実は……」
 でも、いざ話すとなると急にいろいろ考えてしまう。やっぱりやめたい……そう思っていたらすぐにメッセージが返ってきた。
「大丈夫だよ。何でも話して?」
「……うん」
 勇気を出して言ってみようと、息を大きく吸ってゆっくりと吐く。そしてメッセージを送った。
「あのね! 私、実は、胸に、傷があるんだ!……誰にも話していないけど……。中学の時、ってかこの間、とあることがあって……」
「うん、最近あることがあって?」
「ごめん笑 指が震えてる笑」
「大丈夫よ、ゆっくり話して」
 ほんとに指が震えてうまくLINEできなかった。既読はついてるのに。返信もしてくれてるのに。仕事から疲れて帰ってきて時間もないのに。そう思うと凪は、情けない気持ちになってしまった。すると、
「大丈夫よ」
 レイ・病み垢からLINEがきた
「誰にも話してないのに
 オレなんかに話そうとしてくれて
 ありがとう」
 優しかった。心からそう思った。だから……心をゆるしてもいいと思えた。

「ほんとに引かないでね 笑。私、レイプされちゃったんだ。学校から帰る時だった。いきなり路地裏に強い力で引き込まれて、誰にも見られたくなかったから、途中で悲鳴をこらえるのに必死で……でもあいつに、胸に、傷をつけられた。あいつは嗤ってた。その傷あとが、洗っても洗っても消えなくて。パパにも隠そうとして。学校にも友達にも先生にも隠そうとして。」
 ここまでの長文LINEを一気に打って送信すると、凪は泣き崩れてしまった。
「あああ、あああああっ」
 涙を隠そうとするも、容赦なく漏れ出してしまう声。抑えれば抑えるほど苦しみと寂しさが積もる。どうしようもなかった。本当は誰にも言わずに一人でいることが一番良かったのかもしれないけれど、それを言わなかったらきっと自分は潰れてしまう。誰かに理解して欲しい、自分を、今の自分を慰めて欲しいと願ってしまったから。だから全部打ち明けてしまったんだ。
「?」
 しかし既読だけついたまま、
「あれ……」
 レイ・病み垢からの返信はなかった。
「……」
 不安になった凪は、スマホをジッと眺めている。
(嫌われたかな……引かれちゃったかな……)
 そんな不安がよぎる。

“あのね! 私、実は、胸に、傷があるんだ!……誰にも話していないけど……”

(無視されちゃうのかな……)
 その時、スマホの通知が鳴った。
「わっ!」
 反射的に画面をタッチする。(応答なし?)と思いきや、数分してから返信が来た。恐る恐る見るとそこには……ツイートのリンクだけが貼ってあった。「?」
(どういうこと?)
 よくわからないが、とりあえず送られてきたリンクをクリックしてみた。すると画面には……レイ・病み垢のツイートが、ひとつの短い詩だけがあった。

“君は醜いアヒルの子、最後ははばたく
  君はふつうの女の子、好きな人のことで
  泣いたり咲ったり

  その胸の傷は、どんなに傷つけられても
  奪えない心がある証……はばたいて”

 たったそれだけだった。たったそれだけが……彼女の生命(いのち)を、ひとりの女の子の生命(いのち)を、救った。そこに全ての答えがある気がした。
「あ……」
 ぽろ、と一粒の涙がこぼれた。そして次から次に、どんどんと雫があふれ出して止まらない。
「私……私……」
 たったそれだけ。たったそれだけの言葉が……
「生きていてもいいんだ……」
 少女の生命(いのち)を救うには十分すぎた。

“ありがとう……ありがとう……じゃあレイさんは、アヒルさんを迎えに来てくれた、白鳥さんだね”

 彼女はリプを返した。今やっと気づいた。彼の呟く不思議な気持ちにさせる言葉、彼の不思議な力……

 レイ・病み垢には他の人にない独特の価値観、考え方があって、それは希望で、奇跡のようなんだ。だから惹かれた。だから……生きる意味となった。

「がんばれよ」

 彼からのリプはそれだけだった。いつもだったらもう寝ている時間だけど、なんとなく眠くなく……想いがあふれていた。
「ねぇレイさん!」
 だから……
「通話できるー? 声が聞きたーい!」
 そうLINEした。
「いいよー」
 数分後に返信が来た。え!? 冷静に考えたら初通話じゃん!? SNSで知り合った大人の男の人だよね!? なんかスゴい!! ドキドキしてきた!! 凪はすぐにスマホの通話ボタンを押して、電話を掛けた。ワンコール……ツーコール……スリーコー……
「もしもし」
 繋がった‼  思わず息が止まる。思ったより高い声!! でも落ち着いた男性の声だ。なんか思ったよりもずっと話しやすそう!!
「も、もしもし! はじめまして! お忙しいところすみません!」
 なんかテンパってしまい変な感じに挨拶してしまった。恥ずかしさと緊張で心臓が高鳴るのが分かる。これもうライブじゃん! なんでか知らないけどめちゃくちゃドキドキするし、顔も熱くなってきたし……! とりあえず落ち着こう! 深呼吸した。ふーっ、よし落ち着いていこう!! そう思ってたらまた彼の声が聞こえた。
「なぎさ? なぎさ・病み垢女子さんよね?」
 え?  あ!?  もう1回言ってほしいような……ううん、違うんだ! いや間違ってないんだけど違うんだって。
「緊張してる? 笑 大丈夫!! オレもだよ」
「え?  あ、はい」
 思わず敬語になった。
「んじゃあ……あれだ」
「……あ!」
「まずは自己紹介!! オレはレイ。レイ・病み垢だよ」
「あ、はい! 私はなぎさ! なぎさ・病み垢女子です!」
「知ってるー笑」
「えー笑 ひどーい! そっちから振っといてー」
「ハハハハハ」
 ほんとに思ったよりも話しやすい人だ。そして……
「どう? ちょっとリラックスできた?」
「!?」
 思った通りの優しい人だ。
「うん……ありがとう」
「うし! じゃあ楽しもうぜ!! 通話!!」
「はい!!」
「なぎさの声初めて聞いたけど、思った通り女の子らしい声してるね!」
「え? ええ!? いやっ……私も……あの……」
「……ん?」
「レイさんの声はー……すごく話しやすくて! 優しそうな声です!!」
「なんだそりゃ 笑 ありがと!」
「はい!」
 そのまま二人、寝落ちるまで通話した。初めての通話は寝落ち通話だった。
「ねぇ? お仕事大丈夫? 朝早いんだよね?」
「平気だよ。なぎさだから。なんか癒やされんだよ」
 初めての寝落ち通話は、深夜1時におしまい。なぎさが、凪が疲れて眠るまで続いた。レイはなぎさを起こさないように彼女が寝てしばらくしてから切った……ちなみにレイさんは早朝3時起き 笑

 それから二人は毎日LINEをし合い。頻繁に通話をするようになった。いつの間にか二人の関係はどんどん深まっていき……まるで何千年も昔からの恋人同士のようになっていた。それと並行して日常は流れ……
「あ、あの人、今日も」
 凪が学校でお昼を食べていると、たまに黒い10tトラックが前のコンビニにやってくる。そして中からスカルマークを背にした黒い特攻服の男が弁当を買うのだ。
「なんか気になるんだよな……」
 目立つ見た目……というのもあるが、もっとこうなんというか、深い繋がりのような……彼女はふうっとため息をついた。
「まあ、いいか」
 そんなことを考えながら、席を立って食事の続きに戻った。やがて午後の授業が始まる。
「……」
 彼女は日常の中……少しずつ変わっていく違和感に気づき初めている。
「手が……」
 勉強のためにペンを握ると……手が震えるんだ。
「……」
 段々と酷くなっていってる。一日ごとに酷くなって、最後は気絶しそうなくらい苦しくて、でもそこで止まることができない。どんどんと手の震えはひどくなる一方だ。進学校、永遠学園の受験日が近くなるにつれ……ひどくなる一方だ。

 同時にパパの凪に対する態度はどんどんと冷たくなり、つらく厳しく当たるようになる。それにつれ手の震えはひどくなり、どんどんと自分の意志で自由に行動することもできなくなっていく。学校に行くのもだんだん億劫になってきた。
「ねえ、レイさん」
「んー?」
「私ってどうして生きてるんだろ……」
「どうしたんだよ? そんな弱音を吐くなんてなぎさしくないな」
「……なんか……よくわからないけど最近ずっと苦しくて息苦しいのに、頑張れる気がしないっていうか……」
 凪は明るい画面から視線を外して横を見た。すぐ隣に机があるのに、手が震えるせいでペンに触れることさえできないのだ。しかし勉強は遅れるバカリ。勉強が遅れるごとに……

「コラ!! 永遠学園の受験日は近いのに、なんてザマだ」
 とまたパパから激しく叱られる。
「またこんな点数を取って‼  いくら怒らせたいんだ‼」
「ご、ごめん……なさい……」
 と消え入りそうな声で返事をする。
「いいか、凪‼ お前なら大学もすんなり入れると思ってたのに……なんでそんな簡単なことができないんだ‼」
「……ごめんなさい……」
「何が気に喰わないんだ。言ってみろ」
「私……その……」
「なんだ? はっきり言え」
「……迷惑はかけたくないし、でもここは私の家だし」
「何を言ってるんだ‼」

 嗚呼、誰がほんとの凪を、見てくれたのだろうか?

「レイさん……私……生きる意味がわからなくなるし、将来のことを考えるとめまいがする。どうせここで頑張って生きても無駄なんじゃないかって考えただけでクラッとくる。自分が情けなくてちょっと泣けてくる。もうほんとにわかんないの……」
 ほんとに辛かった。辛くて……いつの間にか分からなくなっていた。自分でも何が何なのか。いま自分の体に何が起きているのか? 自分の心に何が起きているのか? わからなくて……
「だから……自分がどうしたいのかすらわからない……」
「…………」
 少しして、また同じ質問をする。
「……ねえ、私って何?」
 そう聞くと、彼は返信した。
「オレにはなぎさが必要だよ」
「本当?」
「ああ……疲れたなら寝た方がいい。このまま声を聴きたいならそれでもいいし」
 ……この人はわかってくれているのかな? だったらすごいな……そんなことを考えていると声が聞きたくなってしまったのでそのまま久しぶりに通話をすることにした。その夜の通話はいつもよりしんみりとしていて、でも落ち着いていて、穏やかで……その夜も寝落ちるまで通話してくれた。彼の声に安心して寝落ちるまで……

 その次の朝、いつもより少しだけ早めに起きたら学校へ行くまでまだ時間があった。だから凪は軽く朝食をつくっていた。
「う〜ん……」
 眠い目をこすりながら、トースターに半熟の卵焼きをのせ、アップルジュースを飲みながら(ああ、また同じ日々が続くのか……)とため息をついていると、テーブルのスマホから着信音が鳴る。
「?」
 凪がスマホを手にとると
「え?」
 そこには
「レイさん……」

“そんなに辛いならオレの寮に家出してこい! 養ってやる”

 衝撃的なひと言だった。でも、すごく考えて言ってくれてるのは分かる。ただ……さすがに考えた。だから既読のまましばらく放置してしまった。

 その日の授業はさすがにずっとレイさんのことを考えていた。すごく男らしいし、自分のことをちゃんと見てくれてる。それに彼と一緒に暮らす、というのは、どこか憧れだ。でも……

 凪は自分の胸に手を当てる。そうだ……自分の胸には傷がある。そんな自分がレイさんに体を見せるのは後ろめたかった。でも……逢ってみたい……。
 そんな葛藤を繰り返しながら、気がついたら放課後になっていた。そこでようやく現実へ戻ってきた。するとパパが、
「おい、お前!」
「ひぇっ……」
「一体帰宅にいつまでかかってるんだ!! サボってるのか? とっとと勉強をしろ!!」
「ひいっ!?」
「大体こんな大事な時期にそんな手が震えて。ペンも持てないなんて情けない」
「……」
 さすがに凪も怒りを隠せなかった。
「知ってたの?」
「ああ?」
「知っててほっといたの! それで怒鳴ってたの! 私がどんなに苦しかったか……わかるの! もうほっといて!」
「……」
「私、このままじゃほんとに壊れちゃう!! もう耐えられないんだよぉ……」
「…………」
 凪はそのまま部屋を泣きながら出ていって、
「ウッ……ぐすっ……」
 ベッドの枕を涙にぬらしていた。
「ううっ……もう嫌だ……これ以上は限界だよ……レイさん…………」
 だからスマホを……LINEのアプリを開いた。そしてレイ・病み垢にメッセージを送る。

“助けてください。もう限界です。家出します。お願いします。”

 そう送るとすぐに既読マークがついた。そして数秒後に返事が返ってくる。
「どこで待つ?」
 その返事を見た凪は、希望を見出した。そして、すぐに行動に移した。

「凪? ちょっといいか?」
 パパが凪の部屋をノックする。
「すまない。パパも言いすぎた。話しをしよう」
 しかし……
「!?」
 彼が部屋に入ると……もう彼女はいなかった。
「……レイさん、か」
 パパはそうひと言呟くと、家の固定電話に手を伸ばし……学校に繋げた。
「あ、すいません。凪の父です。凪のことなんですが、ちょっと体調を崩しまして……はい。はい。しばらく登校できないかもしれません。ご不便おかけします」
 ガチャリ……と電話を切ると、静かすぎるぐらいの沈黙が訪れる。
「さて……いつまでごまかせるか」
 パパは片手にスマホを持ち、
「オレは悪い父親だろうか……これは放任か、信頼か」
 ツイッターのアプリを開く。そこには……レイ・病み垢のページがあった。

「ハァ、ハァ、ハァ」
 寒い夜だった。凪はネオンの街を走り抜け……息を切らしながら細い道に入り込んでいく。
「ここで待ち合わせ……」
 そこは路地を入った奥の行き止まりにある、古びた廃墟だ。
「レイさん……」
 凪は寒空の下、ドキドキしながら彼を待つ。家出の興奮やこの先の期待、不安よりはるかに、彼がどんな人なのかという楽しみで胸がいっぱいだった。
「私これからどうなるんだろ?」
 それは心配からではない。何もかもが初めての体験で、未知の感情に飲まれるような未知なる興奮だ。しかし……いつまでたっても来ない彼に、徐々に不安をおぼえてきた頃だった。
「!?」
 LINE通話の通知音だ!
「はい! もしもし!」
「おうなぎさか! 来たぞ! いまどのへん?」
「えっと……廃墟の建物のー。玄関っていうか」
「あ、わかった。たぶんアレだ。白いパジャマ着けてんだろ?」
「え?」
 凪がふと後ろを振り向くと……
「!?」
 そこにはスマホを片手に握った特攻服の男が……
「あっ……たまに学校の前の、コンビニにトラックで来る……」
「? なぎさ、だよな?」
「!?」
 こわい人? とっさにそれが勝った。声は確かにレイさんのそれだ。でも……なんか見た目っていうか……声とのギャップがあって、こわそうな雰囲気……
「なぎさ……」
「!?」
 近づいてくる!! なんかこわい。でも……でも!! 凪はとっさに眼をとじた。すると、
「んな格好じゃ寒いだろ?」
「!!」
 彼は凪に自分の特攻服を着せた。
「……」
 あたたかい……ああ、
「レイさん?」
 やっぱりレイさんだ。スカルマークの黒い特攻服が、凪を……寒空から護ってくれた。

「さて、行くか。バイクで来てっから。後ろ乗りな」
 凪はコクリとお辞儀をした。
「そういや本名な!! オレは我路。“中嶋我路”だ。」
「我路……」
 レイ・病み垢の本名、それは“中嶋我路”。なんだかその響きは、なぜか妙に懐かしい響きで……なんだか嬉しい……距離が……すごく近くなった気がして、あたたかい……
「私は凪。“大野凪”だよ」
「なんや、そっちのハンドルネームはほぼまんまやん 笑」
「だって思いつかなかったもん!」
 ふたりが初めてリアルで再会した夜は、まるで……初めての通話の夜のように暖かく、それでいて不思議な雰囲気だった。

 そんなふたりの背後に不気味なシルエットがある。あの姿をなんと形容すればいいのだろう。悪意、絶望、憎悪、怨念、頽廃、邪心、魔性、そして狂気……それら総てを内包した圧倒的すぎる闇。絶対悪にして完全悪。黒と赤のロングコートに身を包み、光を吸収しても闇が溶けない黒い髪がなびくたび、彼は酷く愉しそうな、狂気を帯びた笑みを浮かべる。激しい風が一瞬やんだとき、彼の心が黒く染まりきった時だ。血のような三日月を背に眼光を真赤に輝かせた影法師は口の端を吊り上げて、低く重い声で囁いた。

“闇よ、オレを照らせ
 殺害の志を、殺戮の志を、大量虐殺の志を”

つづく

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