わかりやすさについて思うこと

本を読んだり、自分で文章を書いていたりすると、ふと「わかりやすさ」について考えることがある。

作品の感想として度々耳にする「わかりやすくておもしろかった」というのは、褒めているのかどうなのか。

そういう感想は、文学に限らず、映画もドラマも演劇も漫画もアニメも、おしなべて創作物全般について聞こえてくると思う。
果たして「わかりやすい」は正義なのか。

もちろんそれは「好みの問題」というのが一番腑に落ちる。
わかりやすいのが好き、わかりにくいのが好き。人それぞれ。

作り手の方をはじめ、創作物が好きな人たち、多くの作品を鑑賞している人たちからしたらこれは議論し尽くされていることで、「何を今更」感がすごいとは思うのだけれど、ひとりの読者として、創作を志す者として、思ったことをつらつらと書いてみることにする。

きっかけは、こちらのnoteを読んだこと。

「主語と述語のセットは1つの文に1つまで」
「主語は「絶対に」省略してはいけない」
「否定語は可能な限り減らす」などなど。

もうほんとにごもっともなポイントが挙げられていて、自分の書いた文章を思うと恥ずかしくなってしまう。

文章を書くのが好きな人はきっと身に覚えがあると思うのだけれど、筆が乗ってくると自由に走らせてやりたくなって、調子に乗って走りすぎてしまった結果、読み返してみたらまあ、穴がなくても入りたいくらい恥ずかしくなって全消去。これあるある。(ですよね?え、私だけ?)

読んでくれる人のことを具体的に想定し、より多くの人に受け取ってもらう、理解してもらうことを目的とするならば、上記のnoteで言及されているポイントは至極真っ当な、修行中の書き手にとっては耳が痛いならぬ目が痛いアドバイスであり、保存して、都度読み返したいくらいである。

(ちなみに会社員時代、広報業務をやっていたことがあり、ニュースリリースを書いたりしていた。
そこではまさに「読みやすい文章」を求められていた。)

ただ、当然だけど「読みやすい文章」と「創作・表現としての文章」は違う。
こと文学に関しては、読みやすいからいい作品、つまり人の心を掴む作品、とは限らないよなぁと思う。

でも読んでもらわないと始まらない。伝わらない。これジレンマ。

2つに分けるのもどうかと思いつつ、便宜的にジャンルで言ってしまうと、エンタメは基本的には読みやすい文章で書かれているし、技巧を凝らした文章は純文学に多い。
前者は広く色んな人に読んでもらうことを前提としていて、後者は所謂「本好き」が読むもの、と思われているような気がする、一般的に。

これ、「鶏が先か卵が先か」問題と同じで、そもそも読みやすさを追求した結果がエンタメなのか、エンタメを書くには読みやすい文章が求められているからそうなったのか。純文学もまた然り。
もうジャンル分けがナンセンス、という話にもなってくるのだけれど、「わかりやすさ」について考えるとき、やはりそこには明確な線引きがあるような気がする。

純文学が売れない、と言われるのは、そういうことなのだろう。
基本的に文章を読むのが面倒くさいと思っている人にとって(ほとんどの人がそうだと、上記noteで筆者の末吉さんはおっしゃっている)、自分の限られた時間を使って、おもしろいかどうかどうかもわからない、読んでいて疲れる文章など、初めから手を出さないのが当然と言われれば当然なのかもしれない。

わかりやすすぎるものに対しての飽きとか物足りなさはどうしたってやってくるものだけど、やっぱり多くの人は、ベタって好きだよな、と思う。
いや、多くの人に好まれるものが、ベタと定義された、と言った方がいいか。

かく言う私もやっぱりベタはそれなりに好きだ。
ベタを嫌悪した時期もあった。
でもやっぱり、ベタはベタでいいのだ。
それに気がつくのに時間がかかった。
若いときはベタなものに惹かれる自分が嫌いだった。

自分が、拙いながらも物語を紡ごうと試みたときに、ふと思うのだ。
ついついベタを避けようとしてしまうけれど、でも人の心に届きやすいのはベタで、それは忘れちゃいけなよなぁと。

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例えばディズニー映画について考えてみる。

(色々な意味で)囚われのお姫様が、王子様の登場によって運命が変わる。
出会った二人は恋に落ち、お姫様は報われない現状から救い出されハッピーエンド。

様々バリエーションはあれど、大枠では、多くのプリンセスがその道を辿る。

なんてわかりやすい…!

何かが足りない、欠けている、不満である、そういう主人公が、その欠落を埋めてくれる存在と出会い、夢を叶えてゆく物語。

わかりやすすぎるほどだ。まさにベタ。

表現・創作しようと思うとき、つい、何か変わったこと、斬新なアイデアを、と思いがちだ。
そんななかで、ディズニーみたいな王道の物語に思いを馳せると、なるほど人が人に惹かれるというのはそもそもこういうことだな、などとシンプルなことに思い至るのである。
描き方としても衒いがなくて、だからこそ多くの人の心に届く。

つまり、ベタは物語の基本だ。
ベタを頭にたたき込んだ上で、自分のやりたいことをやってみるのがいいのかもしれない。
ディズニー勉強になるな。観よう。

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ファンタジーや恋愛ものを見ると、現実では手に入らないものを擬似的に得ることができる。
ミステリーやヒューマンドラマや悲劇的なものを見ると、カタルシスを得ることができる。
それらはだいたいわかりやすいものであることが多い。

物語が難解だとカタルシスを得るどころか、さらにモヤモヤして終わってしまう。
純文学作品読んで、「だからなんじゃい」って感想になってしまう人はきっと多い。

私も純文学読んで「よくわからなかったな…」って感想になってしまうことあるし、エンタメ読んで「スッキリした!」って思ったりする。

ただ、読み終わった後も考える余白があるのは純文学なんだよなぁ、なんて思う。
エンタメは、作品のなかで、まるっと、明確に答えを示してくれる。
だからこそ安心して楽しめるし、良くも悪くもあとに何も残らない。

どちらが好きか。
読者としても、書き手としても。
最初から言ってるけれど、結局は単純に、好みの問題なのである。


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