その20年がプロをつくるなら
ゴールデンウィーク中、久しぶりに旧友と電話をした。大学時代からの友人の彼女は外国人だけれど、日本で暮らして20年。4年ほど会っておらず、声を聞くのは約1年ぶりだ。
彼女はわたしの夫を写した最近の写真を見て(非公開Instagramに家族写真を載せていた)、こう言った。
「ちなみさんの旦那さん、貫禄でてきたねぇ!」
お腹にぽにぽにと脂肪を蓄え始めた夫を「貫禄がある」と彼女が日本的に表現したことに、わたしは驚いた。
彼女は大学時代、教授に向かって「ダメじゃん」と突如タメ口をきいたり、先輩のことを「ちょっとアホですね」と評したりしてしまうことが多々あった。「日本的な会話」の感覚を掴めず、自分自身でも悩んでいたそうだ。
「ほんとうに日本語は難しいなぁ……。もう日本に来て2年も経つのに」と途方に暮れた様子だったのを覚えている。
そんな彼女は、いまや日本でバリバリ働いている。「貫禄が出てきた」なんて表現も造作なく使えるようになって、余裕たっぷりの大人の女性ぶりだ。適当なところでツッコミも入れられるのである。
「ほんと、日本語が上手になったねぇ」と伝えると、
「そりゃ20年住んでるからね! 20年あれば誰でもプロだよ!」
彼女いわく、日本的なコミュニケーションの感覚をつかむのに10年ほどかかったそうだ。さらに、その場にふさわしい言い回しが自然と口をついて出るようになったのはここ4、5年のことだという。それまでは「ときどきとんちんかんなこと言っちゃうこともあった」とか。
20年。
たどたどしい話し方に悩んでいた彼女が、流暢すぎるまでに流暢な日本語を操れるようになった。もちろん、長い年月の間には語り尽くせぬ苦労もあっただろう。それでも彼女は自分の目標を達成したのだ。
謙遜もあって彼女は「誰でもプロ」と言ったのだろうけれど、わたしは大いに力づけられた。
わたしも、新しいジャンルに挑戦してみたいと思い、1年以上前から毎日エッセイを書き始めた。この470日あまり、思いどおりに書けないもどかしさに歯噛みすることも少なくなかった。
それでも、20年書き続けたら、心のうちをうまく語れるかもしれない。自分にしか紡げない言葉で自分だけの世界を表現できる日が来るかもしれない。
20年後には、わたしはいわゆるアラカン。彼女の言葉を借りれば、エッセイのプロと言って差し支えないことになる(書き続けていれば)。
でもまあ、人生80年とか100年とか言われる時代、60歳あたりでやっとスタート地点に立つのもまたありなんじゃない? なんて、能天気になってみるの日があってもいいと思う。
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