記事一覧
たかが人生なんかのために
最後にnoteを更新したのは2年前。
今日28歳になった私は(爆誕おめでとう⭐️)夜職にも戻ったし役職を貰っていた昼職は辞めてしまったし演劇は相変わらず続けている。ODはやめたけれど自傷癖は相変わらずでそれでも頻度は減ったしお酒の量も減った。偉い〜〜(えらい)
流行病前にお酒を辞めなければいけない病気が全快(自己判断)したので業種を変えた。可愛い服が着たかったしノルマに追われるのが疲れてしまった
掛けも割ってもぜろはぜろ。
うるさい心音。アルコールの香りが鼻をつく、揺れる信号と上がってく料金メーター、オートロックに鍵をさしてこみ上げる胃液を飲み込み壁に背を預けボタンを押す。
重たいドアを開く。ハムスターのためにつけたまんまのエアコンのおかげか部屋の温度が熱った頬に心地いい。
靴を脱ぐ。部屋まで歩けず、天井を見上げる。床が冷たくて、ハムスター の水の飲む音が小さくカラカラ聞こえる、「自分の意思で動く別の生き物がこの
ぐるぐる、三半規管。
昨日新しく迎えた白いワンピースの揺れる裾が可愛い。
わざと地面から足を浮かせている。
地に足をつけなければとか思いながら、私はやっぱり刹那的に収まりきらない自分を持て余し飼いならせているとは言い難い衝動的な破壊欲に焦がされている。
最近お酒も薬も量が増えた。意識的に意識することを放棄して安心感を覚えている。言葉から気持ちから人から、そして自分からも目を背けている。
友達だと思っていたのに、「
空や海月や氷とさよちどり雲より波にこえ迷ふなり
いつもより高い所から見知った街を見下ろしてみた。向かいに見えるオフィスビルからはせわしなく働く人が、少し目をおとすと商店街を歩く人々が見えた。
私は一体どこにいるのだろうと見下げた浮遊感に吐き気を覚えた。正しく日差しはさしていて、足場のない自分が浮き彫りになったようで無性に泣きたくなってしまった。
それぞれの場所での自分。取り巻く環境や人間関係の差異が激しいが故の息苦しさを感じる。求められる自
触れてなぞって離れて見つめる
雨の繁華街。いつもなら衣装と一緒に陰鬱さを脱ぎ捨てられるのだがなんだか鬱々とした気持ちが払拭できなかった。
働いているお店の入ったビルから出ると着飾った人々が傘をさしていた。細い雨が電飾に反射して銀色の光が降っているようだった。
手荷物が多いのが嫌いな私は多少の雨なら傘を持たずに家を出てしまう。靴や鞄が水を弾かなくなる前にはだいたい後悔をするのだが。
電気のついていない冷たい部屋に直帰して色
生まれてきた以上は、生きねばならぬ
生きねばならぬ、生まれてきてしまったから。どうやって生きるかは後付けでとにかく生きなければならない。生きていかなくてはならない。だって、生まれてしまったのだもの。
選択はいつだって自由だ。別に無理に生きる必要はない。ただ、生きねばならぬだけ。生きてゆけないのなら別にそっと幕を下ろすことだってできる。ただ、生きていくからにはただ生きねばならぬ。生き抜いていかなければ。
こういうことを考え出す時私
殴られた方はもちろん殴った方もちゃんと痛いから。
もう会えない人。もう会わない人。もう会いたくない人。仏教徒ではないけれど袖振り合うも多生の縁って本当に存在していると信じているし、素敵な言葉だと思う。
今日まで、私マーケティングにまんまと引っ掛かった可愛い男の子達をたくさん泣かせてきた。今だって自分のために書き殴った手書きのPOPを可愛いと価値をつけ引き寄せられて大切にしてくれている人がいる。バーゲンした弱味だけでわたしの全てを抱えたつもりで所