垣根がないということは優しいことだと思う

僕はバスケットボールが好きだ。それも外に建てられたコートで行われるバスケットボール(以後、ストリートバスケ)が大好きだ。今日は自分が「何でストリートバスケが好きなのか」について書いていこうと思う。

ストリートバスケの魅力

僕がストリートバスケが好きな一番の理由は「垣根がないこと」だ。性別も年齢も国籍も人種も関係ない。お金があろうと、なかろうと、いじめられっ子だろうがいじめっ子だろうが関係ない。このコートの上では「一番うまいやつが一番エライ」というシンプルものさしで測られる。(うまさだけではなく、一番ハードに練習しているやつも同様にリスペクトされる)

そんな垣根のない場所は、僕にとってとても魅力的な場所に映った。

先輩に聞いたエピソード

日本のバスケ界のある重鎮の方のエピソードで「ストリートバスケとは何ぞや」をわかりやすく説明してくれるものがある。(ここではその人をAさんとし、そのエピソードを紹介しようと思う)

Aさんは学生時代、NBAを目指して単身アメリカに留学していた。お金はあまり持っていなかったため、あまり治安のよくない地域を転々として暮らしていたという。それでもAさんはバスケットをやるために来たのだと、毎日ストリートバスケをハードにプレイしていた。Aさんの強みはタイトでタフなディフェンス。相手が誰だろうと、どこでプレイしようがいつも「自分のスタイル」を貫いていた。

ある時ストリートコートでプレイしていた時、そのコートで一番名の知れたプレーヤーにマッチアップすることになったAさんは、いつも通り体をぶつけ、ハードにディフェンスをした。すると相手のプレーヤーはこう言ったという。

「お前、俺を誰だかわかっているのか?」

「だったらなんだ、俺を撃つのか?」

Aさんは、最近近所で人が撃たれたという噂を聞いていたこともあり、このような言葉が口をついて出てきたという。それでも自分のスタイルを曲げず、最後までタフにプレーし続けた。結局、その日は何事もなく終了し、無事に家に帰ることができた。

翌日、Aさんは近所の体育館でピックアップゲームに参加した。ピックアップゲームとは、リーダー二人がそれぞれ順番に自分のチームに入れるメンバーを(体育館にいるメンバーの中から)名指しでピックし、試合を行うというものだ。よそ者で知り合いも居ない、且つ唯一のアジア人ということで、ピックアップはされないだろうと思っていた矢先、Aさんはある人から声を掛けられた。ふと顔を上げると、そこには昨日のストリートコートでハードにやりあった相手が立っていた。

「何でお前が選ばれていないんだ?俺はお前がタフなやつだってこと知ってるぞ。こいよ、俺のチームだ。」

なんて格好良いのだろかう。。なんというか、とても粋だ。もう最高以外の言葉が出てこないエピソードだと今も書いていて思う。

これはストリートバスケを表す、とても分かりやすいエピソードだと思う。様々な垣根を壊してくれる場所がこの世界には確実にあることを教えてくれる。

垣根がないということは優しいことだと思う

インターネットに常時接続できるスマートフォンが普及し、少しづつ色んな垣根がなくなりつつある。先進国と途上国もそうだし、国という垣根さえも少しずつ薄まっていっているように思う。そうなると起こるのが「持つものと持たざるものとの対立」だ。持つものは自分たちが持っているものを手放したくないと、垣根を維持しようとする。垣根がなくなったらどうするのか、と不安でいっぱいかのように。

でも、僕はいつも思う。上述の通り、垣根がないということは、とてもフェアで、本当は優しいことなのだと。僕はそのことをストリートバスケで学んだ。生きていれば誰だって良いときもあれば、悪いときもある。でもストリートコートはいつだってそこにあり続けるし、いつだって自分を受け入れてくれる。そんな垣根のない場所に僕は何度も救われてきた。垣根がなくなるということについて、つい悪い面ばかりが取りざたされているけれど、僕は敢えて垣根がなくなることの良い面について、もっと知ってほしいと思う。

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